第二十三話 花の名
身体がふわり、と暖かくなる。恐る恐る目を開ければ、私を呑み込もうとしていた炎は無い。代わりに地面が青白く硬いものになり、息を吐くと白くなった。
「氷……?」
「ソフィア殿!」
未だに理解が出来ない私にチエリが勢いよく抱きつく。ここは氷の上。私は今、滑り止めの靴なんて履いていない。
バランスなんてとれたものじゃなくて、チエリが抱き着いてきたと同時にぐらり、と後ろに倒れる。視界に空が入る。
「あれ」
これは転ぶ、と思ったのに背中に痛みもなくて、私は中途半端なところで体勢も視界も止まる。背中に感じるのは僅かな温度。
何度か瞬きをしていると、空一色の視界に違うものが現れた。そこでやっと合点がいく。
「あ、ゲラルドか。そうか、魔法」
「帰ってきたら火柱が立っていたなんて、どんなサプライズだ」
「あれはバックドラフトっていって、一酸化炭素が充満して酸素がない空間に空気を送り込むと起こる現象でね――」
「いや、原理は聞いてない。お前はなんでそう、考えがあるようでないんだ」
「実験には失敗がつきもので」
「ちょっと黙ってください!!」
「はい」
チエリに怒鳴られてしまった。
確かに今のは私が悪い。もう少し考えを巡らせていれば、起こらなかった事だ。
僅かに震えているチエリ。呆れた表情のゲラルド。
どちらにも迷惑をかけてしまった。
「ごめんなさい」
かけていい迷惑と、かけちゃいけない迷惑がある。今回のはかけちゃいけない方。
私に抱きついていたチエリは顔を上げて、鋭く睨んでくる。赤い瞳が潤んでいる。
「本当に思ってます!?」
「うん。今回のは考えなしだった」
「確かに実験には犠牲がつきものです。でもソフィア殿が焼身自殺なんてしたら、某は切腹しますからね!」
「はい。すみません」
チエリが私から離れると、鼻をズッと鳴らしながら乱暴に涙を拭った。
「罰として一人で片付けしてくださいね! ゲラルド殿も手伝わないように!」
「え、このカチコチの窯を?」
「魔法具でも使っては!?」
その魔法具も一緒に凍っているんですが。
だが今のチエリに私は反論はしない。今回のは全面的に私が悪いから。
大股で帰ってしまうチエリ。取り残された私とゲラルド。ゲラルドが私の肩を軽く押して、倒れそうだった体勢から直してくれる。
「ありがとう、ゲラルド。死ぬところだった」
「だろうな。こんな過激な出迎えは初めてだ」
「……油も蒸発すると思ったんだけどね。ダメだった」
上手くいくと思ったんだけど。どうやらこの方法では駄目らしい。
困ったぞ。手詰まり状態だ。
仕方なく、薪を切っていた近くの斧で氷をかち割っていく。ゲラルドはその様子をジッと眺めてきた。
「娘、なぜリモングラスに固執するか、前に聞いたな」
「あー、あったかも」
「あの村に使うためだろう?」
「あぁ、うん、そう」
ナタリアさんから聞いたんだろう。私もちゃんとナタリアさんに話した覚えないけど、あの人一応村長だし。村で私が話したことを聞いて予想したんだろう。
私の答えにゲラルドは「何故だ」と聞いてくる。
「何が?」
「僕は勘違いをするところだった。血も涙もない、頭のネジどころか倫理観すらも皆無な奴だと思っていた」
「すごいね。そこまでなれたら羨ましい」
ふふ、と笑う私にゲラルドはやっぱり今日も難しい表情をしている。
でも悲しそうではない。きっとナタリアさんと色々話して、私に何か言いたいんだろう。ナタリアさんは他人の心を動かすような人だから。
「お前は今、馬鹿にされたんだぞ。怒らないのか」
「別に怒るほどでもないし。そもそも仮説の話じゃん? そう思ってる、って現在進行形でも、それが私の評価で――」
「僕は悲しい」
魔法具がなんとかとれて、状態を確認していた。よかった、まだ使えそうだと息を吐いた時だった。
ゲラルドが私を真っ直ぐ見つめてくる。
「……悲しい? え? なんで? ゲラルドになんか迷惑かけた?」
「違う。そうじゃない。僕は娘が魔法薬師になるために協力している。娘は僕に衣食住を提供している。対等だと思っている」
「そうだね。私が提案したし、異論はないよ」
「だからこそちゃんと話してほしかった」
「なんで?」
「対等だから話し合い、助け合うものではないのかと僕は思っている」
前のように悲しい表情も寂しい表情もしていない。私をしっかりと見つめる瞳。
ナタリアさんは本当に人を奮起するのが上手だ。
「だから僕は話し合いたいし、助けてもらうだろうし娘を助ける。全て分かってほしい、とは言わないが僕がそう思っていることを頭には入れておいてほしい」
「どうして?」
「僕がそうしたいからだ。これまでも。これからも」
晴れやかな表情で宣言するゲラルド。まるで今までうじうじ悩んでいた事を吹っ切ったように。
ゲラルドの言いたい事はわかった。ただそれよりも、私はゲラルドが最後に言った内容の方を確かめたかった。
だってその言い方だったら。
「……これからも魔法薬師になるために協力してくれるの?」
「あぁ。だが一つ条件がある」
「内容による」
「僕以外のやつで実験や魔法具を使うのはやめろ。僕は特段魔法に耐性があって、頑丈なんだ。その辺の者と違う」
「自分で言っちゃうんだ。いいよ、分かった。ゲラルドが嫌だ、って言うまで守るよ」
「では永遠に来ないな。契約してやる。右手を出せ」
ゆるりと持ち上がるゲラルドの唇に私も釣られるように笑みを作る。
ゲラルドに言われた通りに右手の甲を上にして差し出せば、私の右手の小指とゲラルドの右手の小指が絡まる。
「ここに契約を交わす。ソフィア・コネリーに協力し、ゲラルド・ヴァインセンの条件に従うものとする。……このまま契約を交わすなら、認めることを言え。ただし契約はそうそう――」
「承認した!」
「おいっ」
ゲラルドと私の右手の小指が眩い光に包まれる。数秒すると光は収束していって、指に小さく模様が浮かぶ。魔素の花の形だ。
まるで指輪のようで、私は何度も自分の右手を見つめる。ゲラルドはそんな私を見て、小さくため息をついた。
「わー、綺麗。ゲラルドが選んだの?」
「娘、お前ホイホイ契約なんてするものじゃないからな。分かってるか? どんなにあちらがいい条件を提示してきても裏があると――」
「説教はチエリで十分でーす! この花、ゲラルドも好きになったの?」
「そういうわけじゃない。あの花の花言葉は幸福。娘と僕に幸福を、と願ったものだ」
「へぇ。前からあったんだ」
「ローズピンク。昔教えてくれた。誰が教えてくれたか、もう覚えないがな」
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