第二十四話 実験の兆し
「油が蒸発する、ってのであの方法は良くないことが分かった。じゃあこれからどうするか、って話だよね」
「絞ってみるのはどうだ」
「それは前にやったけど、ただリモングラスが擦り潰れただけだった」
「なら刻んでみるのは」
「それは何か実験する前にやってるんだよね」
片付けが終わって三人でご飯を食べ終わり、迷惑をかけたお詫びとしてキッチンの片付けは私とゲラルドでやっている。
私とゲラルドがキッチンに残ることにチエリはすごく心配そうだった。どれだけキッチンに対しての信頼がないんだ。
ゲラルドが鍋を洗って私が食器をしまう。
同じ事を何度も繰り返しながらも、私とゲラルドの話の内容はリモングラスからどうやって精油を取り出すか、だ。
「そもそもリモングラスに精油とやらはあるのか?」
「ある。絶対に」
「何故断言出来る」
「アロマオイルとエッセンシャルオイルの効果と使い方、だっけな。そんな本があったの。たぶん著作年は三百年以上前のもの。ロストワードで書かれてたから」
「そこに精油の取り出し方は書いてなかったのか」
「ぜんっぜん。精油の使い道とか」
「そうか」
落胆するゲラルド。色々と考えてくれたりしているみたい。それが私として嬉しい。
チエリは実験には付き合ってくれるし、相談にも乗ってくれる。
でも私が実験を中止する、と言ったら、チエリは「分かりました」と言うだろう。ゲラルドはきっと怒るか拗ねる。
こうやって自分と同じ熱量で話を聞いてくれることは、私にとってとても心が躍る存在。
「成功は失敗の上に成り立っているんだから」
「そうだな。――うわっ」
「ん? どうしたの?」
「すまない。フライパンの中に触れたようだ。ベタついていた」
「あぁ、油だね。それ」
「……油」
ベタついたであろう手をゲラルドはジッと見つめて、何かを思い出すように手を閉じたり開けたりする。
今までキッチンに立ったことがないんだろう。やっぱりゲラルドはどこかの貴族だったんじゃないか。
数秒、自分の手のひらを見つめていたと思ったら、はっ、と顔を勢いよく上げて私の眼前に油を触った手を見せてきた。大きな手だ。
「どうしたの?」
「僕はこれに触れたことがある」
「うーん? まあチエリの料理とかで――」
「ナタリア大食堂の天井近くの窓でだ」
「……天井近く?」
ナタリア大食堂は一階建だ。ただ空間を広く見せるためにと、天井が高く作られている。人が登るなんて掃除以外であまりない。
そう、料理はもちろん、油を飛ばすような高さでもない。
ゲラルドの手のひら触れれば、やっぱり油のベタつきだ。
「蒸発した水が天井近くに付着して、そこに埃がくっついたとかは?」
「それなら窓に汚く残るだけだろう。僕が言っているのはベタついたんだ」
「油が蒸発したってこと……? でも油って蒸発っていうより燃えるんじゃ――」
ふわり、とリモングラスの匂いがする。ゲラルドからだ。
私はチエリが料理をするコンロの前に椅子を持ってきて、慌ててその上に立ち上がる。僅かにバランスを崩せばゲラルドが魔法で支えてくれた。
危なっかしい奴だ、と呆れた表情のゲラルドにお礼を言って、背伸びをして壁に触れる。
もしかして。
「……ねぇゲラルド。ゲラルドは薬草中毒になった。でも私はその解毒は全部は成功してないの。大半がゲラルドのオート魔法で回復してた」
「だろうな。まあ僕レベルになれば、意識がなくてもオート魔法で――」
「そのオート魔法で使ってる魔法、教えて」
そうだ。ゲラルドから未だにリモングラスの匂いがする。それはゲラルドの体内でリモングラスの香り成分がまだ残っているからだ。
薬草は確かに食べ過ぎていた。だけどそれは大半ゲラルドのオート魔法で解決している。なのにリモングラスの匂いはまだ残っている。
更に、精油というのは一滴や二滴だけでもかなり匂いが強いと記されていた。その匂いがする、ということはゲラルドの体内で精油が作られている可能性がある。
二階に上がっていく味噌スープの匂い。蓋をしないと蒸発してしまう料理。窯の油。油が跳ねるには高すぎる天井。そして今、コンロの上の壁に触れたベタつき。
もしゲラルドがかけている魔法に私が想像しているものがあれば――。
「解毒魔法、熱魔法、冷却魔法、異常回復魔法……だった気がする」
「なんで熱と冷却?」
椅子の上でゲラルドに食い気味に聞けば、私を見上げる表情が戸惑いの色になった。それでも早く、と急かせば「大半の悪いものはこの魔法でどうにかなると、代々伝えられている」と居心地悪そうに答えた。
そういうことか。
「すまない。これにはなにも根拠はない」
「いや、ううん。うん。今のでハッキリした」
「何がだ?」
「リモングラスからの精油の作り方」
目を丸くするゲラルドに私は満面の笑みを返す。
あぁ、早く実験したい。うずうずする。どんな反応を見せてくれるんだろう。
「水蒸気だよ」
「……僕にも分かるように説明してくれ」
「もちろん。水蒸気というのは上に上っていくんだ。チエリが味噌スープを作った時に出ている湯気があるでしょ? それだよ」
「だがあれは味噌スープだ」
「そう、味噌スープ。私も水蒸気になるのは水だけだと思ってたんだよね。それが良くなかった」
確かに水蒸気というのは水を含んだものから出てくるだろう。だけどそれは水だけが湯気となるんじゃない。もしそうだとしたら、二階で味噌スープの匂いが香ってくるなんておかしいことだ。
少なからず、水以外に味噌スープの成分が含まれているんだ。それが水と溶けていて、香りは上ってきている。
「前に沸騰している味噌スープの蓋についているお湯を舐めてみたけど、それは水だった。でも水じゃなかったんだ」
「何を言っているんだ?」
「限りなく水に近い味噌スープの一部だったんだよ! もしかしたら、あの蓋についた水を集めて、水分を飛ばしたら味噌スープが出来るのかもしれない」
「つまりは沢山の味噌スープの湯気があれば味噌スープが出来るということか?」
「そう。仮説上ではね。美味しいかはさておいて。壁についた油。湯気と一緒に混ざってたんだよ。油に溶け合っている水があって、それが蒸気になっていたんだ。ベタつくのは、蒸気の中に油も入っていて、それが上に立ち昇る。壁についたその蒸気の中の水は蒸発して、油がだけが残ってベタつくんだ」
前にリモングラスを鍋で沸騰させた時に、リモングラスの匂いがあまりしなかった。それは蒸気で飛んでしまったから。
「極め付けはゲラルドの身体とオート魔法」
「僕が……?」
「うん。ゲラルドは未だにリモングラスの匂いがする。食べ過ぎだせいで身体の血液とかにも混ざっちゃったのかな、と思ったけど、そうじゃない。ゲラルドは無意識に精油だけ取り出してたんだよ」
熱魔法でゲラルドの中のリモングラスは煮出されただろう。だけど湯気の逃げようがない。そこに冷却魔法で湯気が冷やされれば、水と油の凍る温度は違う。だから別々に分ける事が出来たんだろう。
「油自体を蒸気、ってなるのは難しいのかもしれない。でも、水に混ざった油ならば日常的に使っている熱魔法で蒸気を出すことが出来るんじゃないかな」
「つまり、リモングラスを水で熱して、その水蒸気だけを集めて冷やせば……精油が出来るということか?」
「うん、もしこれが合っていたならばっ」
興奮冷めやらぬままの弾んだ声で言えば、ゲラルドは目を段々と見開いて、口角を上げて口を開ける。目はキラキラと輝いている。
魔素の輝きじゃない。好奇心と喜色による、子供が期待に胸を膨らませるような無邪気なもの。
だから私も釣られて幼心になってしまった。
椅子を蹴って、ゲラルドに抱きつく。ゲラルドは驚いた表情をしたけど、すぐに笑って「分かった分かった」と背中を優しく叩いてくる。
「やった! やったよ! これからだよ! これから! 実験が出来る!」
「そうだな。まずは魔法で試してみるか?」
「ダメ。それじゃあ結局魔法が必要じゃないか、って思われる」
「誰に言われるんだ」
「これから驚かす世界にだよ」
ゲラルドは私を床に下ろして、ジッと見つめてくる。と思ったら、短く声を上げて笑った。呆れているとか馬鹿にしているとかじゃない。本当に面白そうに。
「世界か。そうか、世界を驚かすか」
「前に言ったじゃん。世界を驚かせる、って。魔法の概念を覆す、って」
「そうだったな。やはり僕が居て正解だな」
「時折あるけどその自信って何なの? ゲラルドってどこかの貴族?」
それなら今までの待遇とか怒られるのかな。ゲラルドに怒られなくても、家族とかメイドとか執事とか。
ゲラルドはキョトンとして目を何度か瞬いた後に「いいや」と答える。
よかった、貴族ではないようだ。なんか私は貴族とかそういう方とあまり話が合わないから。考え方が違うんだ。
「貴族ではない。安心しろ」
「よかった。じゃあ冷却するための器具を考案しよう。今日は徹夜だよ! それで明日ポルック村に行ってくる!」
「また従者に怒られるぞ」
「……ゲラルドって防音魔法とか気配を消す魔法って使える?」
私が何をお願いしたいのか分かったのか、ゲラルドは少しだけ顔をしかめた。そして私を何秒か見つめた後に仕方なさそうにため息を吐いた。粘り勝ちだ。
「今回だけだぞ」
「たぶんね!」
「正直なやつだな」
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