第二十二話 バックドラフト

「いいですか。恋というのは永遠に添い遂げたい相手の事で、お互いがお互いを慈しむ心より成り立つのです。片方だけでは駄目。絶対に反対です」


「でも片想い、って言葉があるよ?」


「それは相手と結ばれないと分かっているものも一概に無いとは言えませんが、御母堂様はそれを許しませんよ」


 確かに。ナタリアさんは死ぬとか嫌う人だ。

 冗談でも言ったらぶん殴られるのを知っている。私は経験してないけど、エルが殴られたのを見たことがあるから。痛いのは嫌だ。


「じゃあナタリアさんには生きてる、って言おう」


「いやいやいやいや。まず相手が魔王です、なんて言ったら心配するじゃないですか」


「私の恋人、ゲラルドになってるからそのまま通せば問題ないよ」


「問題の大渋滞で目眩が起きそうです」


 頭を抱えるチエリ。そこまで悩む事でもないだろう。ゲラルドがオッケーしてくれたらの話だけど、そこまでチエリが頭を悩ますことでもない気がする。

 なんでもかんでも心配しちゃうの、大変そうだなぁ。

 執着したり恋をしたりすると、その人のさまが見れて私は好きだ。よく侍女たちを観察していたけど、宰相サイドと騎士団長サイドに分かれていたのは面白かった。

 まさか自分も侍女たちと同じようになるとは思ってもいなかったけど。


「ゲラルドにはもう少し恋人のフリをしてもらわないとかなぁ」


「ゲラルド殿にも選ぶ権利はありますよ!」


「確かに。ゲラルド、まだ私と一緒に居てくれるかなぁ」


「ソフィア殿……」


 楽しくやれると思ったんだけどな。やっぱり私って人付き合い上手くいかないみたいだし。エルの仲間のみんなが特殊だったんだろう。

 それにエルの仲間とそこまで長く居たりする事はなかったし。もしかしたら長期間一緒に居ることで何か問題があったかもしれない。


 問題が発生して、解決する。それはなんでもある摂理に近いもの。実験とか考えるのは得意なんだけど、人との関係となるとどうにも上手くいかない。


「ゲラルド殿が居なくなったら、あのエセ大魔法士に付き合ってもらいましょ」


「チエリのそういう素直なところ好きだよ。さて、そろそろ油が蒸発したかな。チエリ、なんかこじ開ける棒持ってない?」


「棒ですか……。ちょっと探してきますね」


「ありがとー」


 小走りで駆けていくチエリの背中を見つめて、見えなくなったところで窯に視線を移す。

 たぶん水が蒸発するよりも高温になっているはずだ。もし油が蒸発していても、窯の周りに張り付いているだろう。私の予想では。


「遅いなぁ。見つからないのかな」


 石が熱くなっているだろう。だから火傷しないように、持ち手は熱を通さないものを探しているのかもしれない。

 それは有難いのだが、こうしている間にも油が固まってしまって、また白くなってしまうかもしれない。それでは困る。

 ふと、視界に入ったのは薪の木。まだ短く切られてないやつだ。


「テコの原理だっけ……」


 前に読んだ本にそんな原理があった。大きなものを動かしたり出来るというものだった。重心を遠くにすればするほど、僅かな力で動くけど重心にかかる負担が大きいと書いてあった。


 薪を二本持って、窯と入り口を塞いでいる石の間に横から挟む。挟んだ薪を窯の方へ僅かに押し倒してみる――が、動かない。


「うわっ暑い」


 近付いただけで肌が焼けそうだ。きっとこの中は更に凄い事になっている。開けたらすぐに離れよう。

 ゆっくり、ゆっくりと力を加えていく。僅かに薪が窯の方へ傾いた。いい調子だ。


「これで精油が出来る一歩になったらなぁ」


 とりあえずゲラルドに使ってくれないか頼んでみよう。もし別れの挨拶になっても、それくらいは手伝ってくれそうだ。

 成功していたら、あの魔素の花にも使えるだろうか。何枚もの花弁が渦状になっているあの花は何に使えるだろうか。

 もしこれが精油の精製の一歩になったら、ゲラルドはまだ居てくれるだろうか。


 ズッ、と石が大きく動いて窯の入り口が見えた。


「あ、開い――」


「ソフィア殿!」


 チエリの声が遠くから聞こえた。

 同時に目の前に広がるのは赤。

 熱くて肌が痛くて、襲いくる。


 炎だ。


「――ぁ」


 バックドラフト。

 思い出す言葉はそれだ。

 

「ソフィア殿!!」


 チエリが私に風魔法を使う。私の周りは一気に風に包まれた。


「チエリ! それはダメ!」


 間に合ったと安心する表情のチエリが私の声に目を丸くしたのが見えた。

 チエリが包んでくれた風魔法が赤く染まる。炎が風魔法を蝕んだ。


 ――あ、これは死んだ。


 唐突に浮かび上がる死。チエリに伸ばそうとした手を下ろした。

 火が私を呑み込もうとしている。


「あっけな」


 目も痛くなってきて、死ぬならせめて苦しまないようにと瞼を下ろす。髪の毛に火が燃え移ろうとした。


 突然、肌が痛くなる。


 焼けるような痛さではない。突き刺すような痛み。


「……え?」


 さっきまで確かに高温の炎に包まれていたはずだ。なのに今は身体が震える。


 寒い。

 そしてリモングラスの匂い。


「知識があるのに無鉄砲に突撃をするのは改めるべきだ、娘よ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る