第十二話 まずいお茶
「おい、どういうことだ」
美人が真顔で睨んでくると怖い、というが確かになかなかな迫力がある、とゲラルドを見て思った。
「みんないい人で楽しかったでしょ?」
「そこじゃない。なんだ恋人とは。聞いてないぞ」
「言ってなかったからねぇ」
グツグツと鍋の中ではリモングラスが浮いている。チエリから煮物の作り方を教えてもらったけど、それは実験と同じようなものだった。
料理と科学はとても近い存在なのかもしれない。
今日のお昼にナタリア大食堂で開かれた宴はとても盛大だった。飲めや歌えやのどんちゃん騒ぎ。知らない人までもが乾杯と祝ってくれていた。
ただ単に騒ぎたかったのだろう。ここ最近、色々と騎士団も大変だし。
チエリは知らない人に沢山囲まれてもみくちゃにされたのが疲れたようで、私とゲラルドに“煮出し”の方法を教えて先に寝ている。
ゲラルドは少し疲れた表情を見せながらも、チエリほど顔色が悪い訳ではなかった。沢山の人に囲まれるのはそこまで苦ではないらしい。
「あんな嘘をついて、これからあの村に行く時にどうすればいい」
「行かなきゃいいんじゃない?」
「それは無理だろう。何か用事があったらあの村に行くのが一番便利だ」
「じゃあ姿を変えるとか。まあそこまで考えなくてもいいんじゃない?」
リモングラスの良い匂いがする。サッパリとした柑橘系の香りだ。
ゲラルドは私の言葉を聞いて眉間に皺を寄せた。
彼は不思議だ。
圧倒的な力を持っているし、大抵のことは一人で出来るだろう。なのに周りのことをよく気にするし、私がちょっといい加減な事をすると面白くなさそう。
今日だって全く知らない人たちから遠慮のない言葉をかけられても、ゲラルドは一つ一つ返していた。教育の違い、だけでは説明がつかない。
「築き上げたものを下に見ているような言い方だ。ナタリア、という女性は娘にとってそこまで大切ではないのか」
「そう見える?」
振り返ってゲラルドを見つめれば、口を噤んで目を目を僅かに泳がせた。目が合わない。言い過ぎた、と思っているんだ。本当にそういうとこ、優しいよね。
僅かな光の中でも、ゲラルドの瞳の中は今日も鮮やかに輝いている。
ボコッ、と沸騰する音が聞こえて、慌てて火を止める。かなり煮出しをしたはずだ。あとはこれを冷やしてどうなるかだ。
鍋の前のスペースを空けると、ゲラルドが鍋の前に立って風を送り始める。突然冷たくすると、鍋が割れる可能性があるから。
「気持ちとか、大切とか、よく分からない。だってそれは目に見えないもので、可視化することは出来ない」
「人の気持ちはそうだろう」
「相手も自分と同じように大切に思ってる、なんて考えてたのに全く真逆の感情をもってたら? それでも大切って思える?」
ピクリとゲラルドの指が動く。魔法が風魔法から氷魔法に変わったのだろう。少しだけゲラルドの近くの温度が下がった。
答えないゲラルドに私は言葉を続ける。
「今日居たなかで、どれだけの人が私のことを喜んでくれてたと思う? 実はあの中にね、ポルック村に住んでた時に私とエルをいじめてた奴らも居た。それなのに今日、なんて言ったと思う?」
ゲラルドの瞳がこちらに向く。怒りも悲しみもない。ただこちらを眺めるだけのような瞳。ただ少し寂しそうに見えた。
「あの時はごめんな、幸せになるみたいでよかった。そう言ってたよ」
「……だがそんな人間だけではないだろう」
「そうだね。人の足を引っ張る奴らに目を向けていたら、魔法薬師なんて務まらない。きっとこれから沢山そういう事がある。だから見えないものに対して、一つ一つ大切とか考えなくて良くない? って私は思うよ」
人という生き物は一生分かることはないと思う。自分のことが分からないのに、他者のことを分かるなんて出来るわけがない。分かったつもりなる。そうやって人は寄り添ってきた。
「別にゲラルドが何を大切に思って、何を捨てるのかは自由だと思う。ただ私の大切はそこに重きを置いてないだけ。時折生まれる副産物を誰かに渡すとなれば、考えるかもしれないけど」
「お前はそれでいいのか」
「うん?」
「それで何もかも無くして、一人になってもいいのか」
怒っているような苦しそうな表情で私を見下ろしてくるゲラルド。
随分と極端な例えだ。どうして彼がここまで他人に対してを考えるのか知らない。きっとゲラルドの大切なものがそこなのだろう。
何か無くしたからこそ言えるのかもしれない。聞いたら答えてくれるかもしれない。
でもそれは私がなりたいものには関係のない事だ。
「私は非魔法士だから一人になったらこの世界では死んじゃうだろうなぁ」
どこまでやれるだろう。一人ぼっちってなかなか難しい。私にあるのは興味ある知識だけ。魔法も使えない、武力もない、お金を稼ぐためのうまい言葉も目利きもない。
リモングラスの鍋はよく冷えているらしく、僅かに水面に氷を張り始めた。
ゲラルドに魔法を止めるように言って、鍋の中を覗き込んでみる。白い物質は出ていない。どうやら失敗のようだ。
「失敗かぁ。確かにこれだけなら、冷えた飲み物と同じだもんね。仕方ない。ゲラルド、一緒に飲もう」
鍋の中に入っている液体だけグラスの中に入れる。心なしか、色が黄色とは言いづらいものになっている気がする。
「……ぅえ。なんか土と葉っぱの味が……。ゲラルド、なんかこのリモングラスまずい――」
「どうしてお前は、お前を大切に思っている相手の気持ちを踏みにじるような言い方をするんだ」
叱るような言い方なのに、とても切ない寂しい声。俯いているせいで前髪がかかっていてゲラルドの表情は見えない。でも僅かに噛んでいる唇は、確かに苛立ちに近いものを感じる。
「踏みにじるって。別に相手と同調することは出来るよ。ただゲラルドには私を知って欲しかっただけ」
「僕はそんな気持ち知りたくなかった」
「どうして? 自分と大切なものが同じだと思った? それは期待という願望だよ」
強く唇を噛む姿が見えた。
直後にテーブルに置いてあるグラスを持って、一気に中の液体を飲み干す。それは美味しくないリモングラスの液体だ。
案の定、飲み干した後に「まず」という感想と咳き込み始める。だから言ったのに。
「おかしいなぁ。そもそもリモングラスの要素がいつもより少ない。鍋にこびり付いたのかな。どうしよ。チエリに怒られる」
「自分が大切にしたいと思う相手に期待をしてしまうのは仕方のないことじゃないのか」
あぁ、まだその話を続けるのか。
そもそもゲラルドと私で、お互いが最重要に置くものが違う。私は魔法薬師になりたい。ゲラルドは分からないけど、私とは違うもの。根本的に違うのだ。
「してもいいと思うけど、それを相手に強要した途端、大切と言えるのかな。……私はちょっと分からないし、興味があまりない」
「っ!」
「ごめんね、分かってあげられなくて」
なるべく穏便に済ませられるように、エルリックの笑みを真似て浮かべみる。するとゲラルドは傷付いたような顔をして「寝る」と言うと、目の前から一瞬にして消えた。
階段を上がるだけなのに魔力の無駄遣いだと思う。とにかくゲラルドと確執が生まれてしまった事は確かだ。
人が増えればそれだけ思想も増えて衝突もある。私はそれが苦手だ。どんなに強く言われても思われても、理解がよく出来ないから。
「少し様子見て謝るのがいいかなぁ」
ため息をこぼして、仕方なくリモングラスの液体を飲む。やっぱりそれは美味しいなんて言えなくて、まるで土の入った水を飲んでるみたいだ。
「まずいなぁ」
たださっきよりもまずく感じるのは、どうしてだろう。
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