第十一話 ナタリア大食堂
ふわり、とゲラルドが地面に降り立ったのはポルック村の村外れ。飛行魔法というのはなかなか目立つから。
その数秒後にチエリが僅かな音をたてて、私とゲラルドの前に軽やかに着地した。
少し遠くから今日も賑やかな声が聞こえてくる。村の近くを流れている川のせせらぎと共に、馬車の荷車の音、鍛冶屋の鉄を叩く音、馬の鳴き声。
「ポルック村は今も武器や防具。他にも初心者から中級者の旅人にはとても必要なものが揃ってるの。安くて、品質が良くて、しかも美味い」
「うまい?」
「ナタリア大食堂は城下町でも有名なほどなんだよ。チエリはそこで少し手伝いとかしてたの」
「なるほどな。それであの美味しさ。つまりは従者の師匠にあたるのか」
ナタリア大食堂は量が多くて、安くて、美味しい。駆け出しの旅人や冒険者にはもってこいだ。それにわざわざお金のある職に就いている騎士までも来る。
「そーね。料理の師匠って感じ」
「だが金というのは信頼や質を買うのと同じだろう。それでよく問題ごとが起きないな」
「そりゃまあ、ナタリアさんに逆らう人が居るなら見てみたいよ。あ、着いたよ」
目の前には木造の二階建て。両開きの扉の上には看板でナタリア大食堂と書かれている。
窓から中の覗くと、今日も大盛況。カウンター席は僅かにも、あとは四人掛けや六人掛けの机が二つくらいしか空いていない。お肉が焼ける匂いや、スープの匂いが外にまで香ってくる。
ゲラルドはその匂いを嗅いでなのか、機嫌よさそうに笑みを浮かべた。どうやら気に入ったようだ。よし。
「さてゲラルド。ここで私と取引をしよう」
「……内容による」
「ゲラルドが食べたいもの、全部食べていい。だけど、これから私の言うことに合わせて。余計な事は言わない。いい?」
「不安しかないのだが」
「大丈夫大丈夫。ちょっと驚くだけだから」
なんとか頷かせて、ゲラルドの手をしっかりと握る。指を絡ませて。
ギョッとした表情でこちらを見てくるゲラルドと、呆れ半分関わりたくない半分の表情のチエリ。それを無視して大きく一歩踏み込んで扉を開けた。
「こんにちはー」
騒がしかった食堂内が一瞬だけ静かになった。僅かにゲラルドの手に力が入る。
でもそれも数秒後にはなくなる。
「おー! ソフィー! 元気だったかー!?」
「元気元気」
「大きくなったなぁ! 前はこんなちっちゃかったのになぁ」
「それ、米粒じゃん。酔っ払ってるの?」
「エルは元気か? チエリは置いてかれたのか? 寝坊したか?」
「違いますよ!」
沢山集まってくる大人たち。それぞれに言いたい事を言ってみんなして頭を撫でてくる。おかげで私もチエリも髪の毛がぐしゃぐしゃだ。
一しきり構ったあとはターゲットが変わる。ゲラルドにだ。ゲラルドがさがろうとしたけど、私が手を強く握り直す。逃すものか。
「兄ちゃんはどうした?」
「旅人さんか? それとも騎士か冒険者志望か?」
「僕は――」
「ソフィーが帰ってきただって!?」
ゲラルドの声を遮るような大きな声。食堂の奥から聞こえてきたと思ったら、私たちを囲んでいた人たちが一気に道を作る。カウンターから私たちへと。
作られた道をギシッギシッとしっかりとした足どりで、近付く一つの影。しっかりと姿が見えて、厳しい顔で私を見つめる。
そして目の前に立って、私を見下ろした。
褐色にブルーグレーの瞳に金髪の髪を一纏め。
「久しぶり、ナタリアさん」
彼女がナタリア大食堂の大女将、ナタリアさんだ。
ジッと私を見下ろしている眼光はまるで獲物を狙うかのように見える――が、すぐに歯を見せてニカリと笑った。そして同じく髪の毛をぐしゃぐしゃにしてくる。
「やーっとちゃんと顔を見せたね!」
「引っ越してきた時に見せたじゃん」
「扉から顔だけ出して、引っ越してきました、の事を言ってんならデコピンの刑だよ」
それは勘弁したい。慌ててゲラルドと手を繋いでいない方の手でオデコを隠す。
ナタリアさんはその様子を見て、口を大きく開けて笑い出した。
「まあ元気でやってんならいいさ! でも顔を見せに来ないと家に行くからね。そこは覚悟しときな。……で、ソフィー、この男はなんだい?」
私とゲラルドが繋いである手を見た後に、ゲラルドを見つめてブルーグレーの瞳を僅かに細める。ゆるりと唇が弧を描き、腕を組む姿はどこぞの騎士と言われても疑うことないくらいの背格好の良さ。
ナタリア大食堂はいつも繁盛している。美味しいし、安いとなれば客層も広がるだろう。
となれば、良くないお客さんだってもちろん来る。食い逃げならまだ可愛いが、ナタリアさんを狙ったり従業員を人質にしたり。そういう輩も居る。
だが、ナタリア大食堂は今も問題なく営業をしている。それは何故か。
ナタリアさんを筆頭に従業員が強過ぎるのだ。
どこでその強さを手に入れたのか知らないけど、悪党なんて者が太刀打ち出来ないほどのもの。そういう輩から店を守るために、と気付いたら強くなったとか従業員は言っていた気がする。
ゲラルドがナタリアさんを見つめて、何を考えたのか口を開いた直後、私が割って入るように声を上げた。
「私の恋人! ゲ……ルドーって言うの!」
「は?」
「へぇ」
「ハァ……」
私、ゲラルド、ナタリアさん、チエリの順で反応が返ってくる。また訪れる静寂。それもやっぱり長くは続かない。
「ええええ!?!?」
周りが驚愕の声をあげるなか、私は笑みを浮かべてナタリアさんを見た。私の言葉を聞きた直後、ナタリアさんは僅かに目を丸くして驚いた表情をしたけど、今は面白いものを聞いた、と楽しげな笑みだ。
「どこで?」
「クレモデアの時から」
「一緒に逃げてきたのか?」
「うん、そう」
「何をしているんだい?」
目を丸くしているゲラルドの腕を引っ張って胸元に擦り寄る。
やっぱりリモングラスの匂いがする。着替えたはずなのに。
「魔法薬師としての実験相手」
まるで宝物を見せびらかすような気持ちだ。自然と出た笑顔はこれからの事を考えて、楽しみで仕方ないというもの。
ナタリアさんは私を見つめた後にゲラルドに目線を動かして、大きく短いため息をついた。
「別にナタリアさんが反対しても、この人と離れるなんてないから」
「アンタ、恋人くらい自分の夢と離れて考えてあげたらどうなんだい」
「ナタリアさんはこの食堂が恋人じゃん」
「そうじゃないだろう。……まあ、アンタやエルを普通と考えるのが無理だね」
ナタリアさんの声が静かな空間にやけに響く。この食堂、いや、この村のボスはナタリアさんだ。だからみんなナタリアさんの反応を伺っているのだろう。ゴクリ、と唾を呑む音が聞こえてきそうだ。
ガシガシと乱暴にナタリアさんが頭を掻いた後、ゆっくりと目を瞑って、ふっと笑う。同時に眉間に皺が取れて、眉尻を下げた。
閉じた時よりも更にゆっくりと開かれたブルーグレーの瞳は少し潤んでいた気がする。
「ルドー、と言ったね」
「あ、あぁ」
「多くは言わないさ。ソフィーをよろしく頼むよ」
「えっ」
「宴だー!」
わぁ! と騒がしくなる声。誰かが言った言葉により、みんなして自分の飲み物を上へ掲げる。
騒ぎを聞きつけて、外から人は入ってきては口々に嬉しそうに話す。
あのソフィーにやっと恋人が出来た、と。
みんなゲラルドに「あの子をよろしく」とか「苦労するだろうけど大丈夫」とか「胃に穴が空きそうになったら相談に乗るからな」とか色々と言っている。その度にゲラルドは訳が分からないけど、反論はせずに一つ一つ頷いては返事をしていく。律儀な男だ。
みんなして嬉しそうに笑顔で、ナタリアさんなんて「今日は半額だ!」とか言っている。それを聞いて更に盛り上がりを見せるみんなに、ゲラルドは私を見つめて顔色を悪くした。
「悪いことしちゃったなぁ」
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