第四話 取引をしよう(ゲラルド視点)
「おい、いったいどういう事だ」
僕は娘の従者――チエリに尋ねた。僕がベッドで眠っている理由は、様子のおかしい娘――ソフィアが話した。だからといって、そうかーなるほどー、となるかと言われたらそれは違う。
いったいどういう事だ、という質問は助けと称した毒味をしていたことじゃない。それも色々聞きたいところだが、今はそこじゃない。
なぜソフィア・コネリーが魔王である自分を知らないか。それだ。
別に吹聴しなくても、世界が震撼した存在だとは分かっている。子供だって知っているくらいには常識的な存在。
なのにあの娘は全く知らない。
どこの頭のネジが緩い箱入り娘を連れてきた。おまけに“まほうやくし”という意味の分からない言葉に協力しろ? 意味が分からない。あの娘の恐怖心という心は死んでるのか?
さっきまでよく眠っていたのに疲れた気さえしている。
娘の従者は僕の質問に大きな大きなため息をこぼした。娘は僕が目を覚ましたことで、薬草を煎じるために部屋を出て行った。
要らない、と伝えた。だが「まだ本調子じゃないんでしょ? ならちゃんと飲まなきゃ」と言い残して、足早に去って行った。
あれは絶対に僕の体調を気にしての発言じゃない。そもそも僕を拾ったとか、沢山の薬を試したのだけど、とか聞き間違いかと疑いたくなるような言葉の羅列を吐く娘にそんな優しさがあるわけがない。
きっと今度も何か試すため。よく今まで異端者として審問されなかったものだ。
「先に言っておくと、某のせいではない」
「それはどうでもいい。お前は勇者の仲間だっただろう? なぜ、あの勇者の身内であるのに、僕のことを、知らないんだ」
一つ一つ言葉を区切って、娘の従者に強く訴える。
娘の従者であるコイツには覚えがある。あの勇者と共に城に来た者。剣技と極東の秘術を使っていた。素晴らしいものだった。
だがそれは思い出だけの話にしてほしい。別に会いたいわけじゃない。勇者一行の一人なのだから。
本当に最悪だ。
勇者と関わるなんてもう御免だと思っていたのに。こんな早く関係者に出会うなんて思ってもいなかった。
娘の従者は僕の言葉にそっと目線をずらす。とても気まずそうな表情でポツリポツリと言葉をこぼしていった。
「……某がここに居るのはソフィア殿に多大な恩がある故。冒険に同行しなかったのは某の目的と一致しなかっただけ」
「なるほどな。ではなぜ娘は僕のことを知らない? 仮にも魔王であったんだぞ。おかしいだろう」
「……それは特殊な場所でなかなか外の情報が入りにくい場所だったからだ。あとソフィア殿は自分が興味ない事はとことん覚えないし忘れる」
「魔王の存在もか」
「そなたが魔王だと知らない」
居るのか、そんな奴が。いや居るから驚いているんだろう。
だからあんな無邪気に笑うのか? そうではないだろう。いきなり赤の他人に倫理観と優しさを捨て置いた言葉を並べるところからして、頭のネジはすっ飛んでいるんだ。あの勇者の親族なら大いにあり得る。そうに違いない。
「勇者は知っているのか。娘がここに居る事を」
「知っているわけないだろう」
「僕のこともか」
「これから話す」
そうか。そうか!!
噛み殺せていない笑みが漏れる。娘の従者はそんな僕を見て、顔をしかめた。今も律儀に刀の柄に手を置いて。
僕があの娘に何かすると思っているのか?
そんな勿体ない事をするわけがないだろう!!
あの勇者に対して唯一対抗出来るカードかもしれないんだ。もしまた勇者と会った時に有効に使える。そうすれば勇者に会った時の事を僅かにでも考えなくて済む。
僕のこれからは安泰だ! 穏やかに過ごせる!
「娘の従者……チエリと言ったか。僕と取引しないか」
「断る」
そうだろうな。ここで頷いたら、お前も頭のネジの様子がおかしいのか、と心配になるところだ。
娘の付き人は僕を鋭く睨み付けて今にも刀を抜いてきそうな勢い。だがそれはここでしない。何故ならばあの娘の大切な場所だから。
従者にとってあの娘はたいそう大事なようだ。主人思いの良い従者。だがそれが仇となっている。さっさと追い払えば良いものを、律儀に娘の気持ちを案じたことにのる行動。
「クレモデア王国、側室失踪事件」
ぴくり、と指と眉が動く。先ほどよりも眼光は鋭さを増したような気がする。
あぁ、当たりだ。娘は確かに「引っ越してきた」と言ったが、どこからとは言っていない。それを質問する隙も話をすり替えも上手かった。
ただここ数日、クレモデアの方が騒がしかった。
勇者の姉である未来の側室が消えた、と。
誘拐事件かまたは殺されたのかと思っていたが、自分で逃げてきたなんてまさかの事態だ。それにたんまりと財産まで持って。
逃走については計画的なものだろう。だがその後の事まで考えていない。今やクレモデア王国だけでなく、ここミターニア王国の領地にまで失踪事件について知れ渡っている。
コバルトグリーンの瞳に、ゆるくウェーブがかったベージュの髪。付き人は極東の黒髪と赤目。
「ちなみに教えておこう。僕がここに来たのは昨日。その日の夜、見知らぬ男が数名来た。全てクレモデア王国の兵士だ。この意味が分かるか? 場所は知られているんだ」
「……あの爺め」
「容姿は知れ渡っているぞ。そもそも極東の出は少ない。どうする? ここから去るか? あの娘がたいそう喜んでいたこの場所を」
娘の従者の瞳が大きく揺れる。そして僕を鋭く睨んでいた瞳をゆっくりと閉じて静かに深呼吸をした。
数秒後、目を開けて未だに睨んでいる表情のまま小さく口を開いた。
「取引を聞こう」
「僕があの娘を守ってやる。よく分からないものにも付き合ってやる。だから勇者に僕のことは伝えるな。もちろん僕とお前で戦うことも禁ずる。停戦状態といこうじゃないか」
娘の従者は僕の言葉を咀嚼するように、単語を呟いては呑み込む。そうして約一分。
未だに眉間に皺が僅かに寄りながらも僕の方を見つめた。もう敵意はない。交渉成立だ。
「分かった。何があってもあの方を守ってほしい。某ではきっと守りきれない。だからよろしくお願い申し上げる」
「あぁ分かった。その潔さ、とても気に入った」
刀の柄から手を下ろし、しかめていた表情を解いていく。僕もそれを見て、手のひらに纏っていた魔力を解いた。
遠くから駆けてくる音がする。あの娘だ。
「ねぇ、チエリ。この薬をって……え? なに? 私が居ない間に仲良くなったの?」
僕と娘の付き人を交互に見て、機嫌良さそうに笑う。
どうやらあまりいい関係性ではなかった事は理解していたようだ。それで僕たちを二人きりにさせたという事はなかなかな性根をしている。
「娘、お前の出した条件、協力しよう」
「えっ! いいの!? 本当に!?」
「僕は約束を違えない」
一度した約束は違えるなんて僕はしない。今までだってこれからだって。
すると娘はパンっと手を合わせて、子供のように口を開けて目を見開いて嬉しそうな表情で僕の前に駆け寄ってきた。
そして僕の手を取って何度も手を上下に振る。
「ありがとう! ありがとう! 魔法薬師としてまた躍進出来たよ! よろしくね! えーと」
「ゲラルドだ」
「あ、うん、そう! ゲラルド!」
娘の従者は娘の言葉を聞いて、苦笑いをこぼす。本当に興味ないことは覚えないらしい。
まあ暇つぶしにはなるだろう。長く生きては驚きも大切だ。いい刺激になる。
あまりにも両手離しに喜ぶもので、ついこちらの表情も和らいでしまう。
だがやはりこの娘、そこで終わる奴ではない。
「じゃあゲラルド、この薬草塗ってみようか。前にこれ、僅かに飲んでみたら倒れちゃったことがあるの。あれは毒ね。だから皮膚経由ならまた違う効果があると思うんだけど、ゲラルドはどれくらいの痛みなら耐えられる?」
矢継ぎ早に伝えられる言葉。ピシリ、と空気が凍った気がする。だが目の前の娘は呑気に笑っているが。
「……おい従者」
「約束の変更は致しません」
「え? なに? 約束? とりあえずゲラルドに魔法薬師について話さないとね! 楽しみねゲラルド!」
この娘、頭のネジがとっくにないのではないか?
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