六章 「弱音こぼれる」

 彼はすごく知的で包容力のある男性だとわかってきた。

 彼は私の知らないことをたくさん知っていて、教えてくれた。

 優しいだけではなく、そっと後ろで支えてくれているような安心感がある。

 女は安心を求めるんだよと、黒猫のチロルに話しても、にゃーにゃーといつものようにくっついてくるだけだった。

 最近私は話すことが楽しいと思うようになってきている。これは大きな変化だ。今までそこまで何も考えずに話していた。

 猫じゃらしで猫と遊びながら私はいつも思うことを考えていた。猫と過ごす生活は私に合っている気がする。もちろん猫そのものは好きだ。むしろ好きな動物は猫だけだ。私は好き嫌いがはっきりしている。白か黒か。わかりやすくていいと思っている。

 猫は犬のように毎日散歩に行かなくていいし、ずっとべったりでもない。気が向いたときにやってくるぐらいがちょうどいい距離感なんだ。

 彼はイエスマンな事は間違えないけど、彼と話して彼を知っていくうちに違う側面が見えてきた。

 それは私にはないものばかりで、羨ましく思う。

 それは「尊敬」というものなのだろうか。

 気がつくと普段悩まない私が、珍しくしばらく悩んでいた。


 あることがきっかけで、彼とは頻繁にメールするようになった。

 それは私が「お願い、愚痴を聞いて」とメールを送ったことに始まった。

 その日は、仕事で一日本当に自分のペースが狂う日だった。自分のやり方にこだわりのある私は、ペースが乱されるとどうしてもいろいろなことがもうまくいかなくなる。情けないけど、いつもそうなんだ。

 ちょっといや、だいぶトイレで泣いたけど、なんとか仕事を終わらせることができた。

 でもこのもやもやとした気持ちが体で暴れていて、ずっと落ち着かなかった。

 顔を洗っても、シャワーを浴びても、横になっても何も変わらない。

 ずっと気持ち悪い感情がいる。

 困り果てていると、自分の携帯が目に留まった。

 その時なぜか彼の顔が浮かんだ。直感を信じ、彼にメールしてみた。

 その時はもう二十三時を過ぎていた。

 でも彼からはすぐに電話がかかってきた。

「どうした? 大丈夫か」

 私は安心して、抑えていた感情を一気に外に出した。

 それは決して綺麗なものじゃなかった。

 それでも彼は何度も「大丈夫、小鳥遊さんは悪くないよ」と言ってくれた。私を肯定してくれた。最後まで話を聞いてくれた。

 それから、愚痴だけでなく日々のことや楽しかったことなどもメールするようになった。

 私は弱い部分を見せたことで、気が楽になったのかもしれない。普段はこんなに簡単に人に気を許すことはない。なんだかうまく言えないけど、彼は特別だった。今では彼のことを悪くないと思っている自分がいる。

「今日は仕事で、いいことがあったんだ」

「よかったね、どんなことあったの?」

 彼のメールは彼の優しさをダイレクトに反映している。メールなのに心に響くものがある。

「私が工夫して作ったポップを、社長が褒めてくれたんだ」

 ちなみに私は広告会社の企画部で働いている。彼は大手のシステムエンジニアだ。お互いに自分に合った仕事を選んだなと私は思う。

「それはすごいね。俺もどんなのか見てみたいよ」

「そういうかと思って、スマホで写真撮ってきたよ。すごいでしょ? 今から送るね」

「おぉ、気が利くね。ありがとう、見てみるよ。いやぁー、これはすごい。時間かかったんじゃない?」

「時間かかったけど、楽しかったよ。何か作るの好きだから」

「芸術家だね」

「そんなに褒めてくれてありがとう」

 彼は私の話をいつもしっかり聞いてくれた。

 普段は一人で行動することが多い私からすると、すごく新鮮で嬉しいことだった。

 もちろん、彼からメールが来る時もある。

 そして、彼はすぐにメールを終わらせず、忙しいだろうにマメに返事を返してくれた。一つのメールで一日何十通とやりとりが続いた。

 それが次第に毎日になっていった。

 そんな毎日を送っているうちに、私の中で彼とのメールすることが一日の楽しみになってきていた。

 私は彼からメールが来ると笑顔になっていた。

 彼との共通点を考えた時、映画好きというところが似ていた。他はあまり似てないんだけど。

 よくメールでもその話題になった。

 私は恋愛映画が好きで、彼はミステリーが好きだった。でも彼はいろんなジャンルを観るようだ。

「そうだ、じゃあ映画を一緒に観に行こう、きっと楽しいはずだ」と急にそんな考えが浮かんだ。今まで思い浮かばなかったのがおかしいぐらいだ。

 だから私は迷わず「今度映画行かない?」と彼を誘った。

 窓から外を見ると、たくさんの星が輝いていた。冬なら星がよく見えるのはわかるけど、春にこんなにも綺麗に見えるなんて知らなかった。澄んだ空気が心を癒す。

 彼からはすぐに「うん、いいよ」と返事が来たのだった。

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