四章 「スルーはできません」

 私にとって恋をするのは簡単なことだ。

 いつのまにか恋に落ちて、恋人になっている。そんなに難しいことではない。そもそもあれこれと考えるのは好きじゃない。だから、性格とか特定のところをじっくり好きになっていくわけじゃない。

 太陽が日の光りを運んでくる。眩しい太陽は、新しさの象徴のようだ。春は太陽も温かくて他の季節とはなんだか違う気がする。太陽の香りも気持ちがいい。

 大きな熊のぬいぐるみを抱えながら、私は部屋で横になっている。

 私は一人暮らししている。もう三十歳なんだから、一人で生活できなきゃダメだし、一人の方が時間の融通も利く。生活はきっちりしてるとはお世辞にも言えないけど、なんとかやれている。うちのもう一人の住人である黒猫のチロルは、私にくっついて寝ている。甘えん坊だなあ私は頭を撫でてあげた。

 チロルは男の子なのに、本当に仕草も鳴き声もかわいい。

 クローゼットにかけられている私独特の並べ方で整理された鮮やかな服が私を照らしている。

 最近誰かのためにおしゃれしていないなと思った。

 そうは言ってもここ最近は恋人が途切れていない。

 でも、どれも長く続いていない。

 それがなぜなのかはわからない。

 真実の愛ってなんだろうか。

 ふとそんなことが思い浮かんだけど、すぐにやめた。

 そんなこと考えたって私にはわからないんだから現実的じゃないと思った。

 意味のないことに時間を費やしても無駄なだけだ。

 もしかしたら彼ともそんな関係になるかもしれない。

 いや、あんなイエスマンでしっかりしてない人はそもそも恋愛対象にすらならない。

 私の恋愛は自由と自立が保たれることが大事だ。

 彼相手だと心配ばかりして、私の自由はない。そんな生活耐えられない。

あの性格の彼とはやっぱりないと否定するのだった。


 人よりも頭一つ高い身長、髪は短髪、ヨーロッパ系の垢抜けた顔の作り、目も青いからきっとどこかの国とのハーフだろう。服装はタイトな黒のジーンズに、シンプルながらすらっと見えるポロシャツという姿だ。

 彼は目の保養にはなる。見るぶんには彼は非常に優秀だ。

 私が待ち合わせ時間ぴったりに着いた時、彼はすでに東京駅に着いていた。

 きっと待ち合わせ時間より早くに着いていたのだろう。

 まだ寒さは残っているけど、春を感じられる天気だ。

 少し前に着いておくなんて、律儀だけど効率が悪いと私は思う。だから私はこんな風に話しかけた。

「おまたせしました。着くの早いですね」

 他の人の視線が一気に私に集まった。私たちは、むしろ彼は目立っているようだ。純日本人にはなかなか出せない色気というものが彼からは漂っていた。

 私はその視線を全く気にしないで、普通に彼に話を続けた。

 私は彼の腕時計をちらっとチェックした。おしゃれな男性は腕時計にこだわっているからだ。彼のは遊び心がたくさんあるシルバーの腕時計だった。好感がもてた。

「こんにちは。えっ、そうですか?」

「じゃあ、早速行っちゃいましょうか」

 私は自分で話しておきながらすぐに先頭を切って歩きだした。彼は慌てて後についてきた。時間は大切だから無駄にしたくない。

 東京駅に着いていつも思う。東京駅は、目的がわからなくなって途方にくれている人の集まりだ。

 誰もが目的を見失い、生きることに必死のようだ。

 彼の方を向き直すととふいに桜の香りがした。前をみると、満開の桜が咲いていた。その香りが新しい出会いをイメージさせた。春は出会いの季節だと私は思う。

 それから少し歩いて、コーヒー店に着いた。

 このお店も私のお気に入りの一つだ。

 私たちはまず注文することにした。

 彼は予想通り決めるのに時間がかかっていた。そんな性格だと、やっぱり優柔不断だよねと私は思った。直感で決める私とは正反対だ。

「ウインナーコーヒーください」

「俺はエスプレッソをお願いします」

 コーヒーが運ばれてくる間に私は、改めてお礼を言った。

「先日は助けて頂きありがとうございます。私っていつもああなんです。思ったことは言わないと気が済まないんです。本当に助かりました」

「いやいや、そんな大したことはしてませんよ。恐かったんじゃないですか?」

 なんだか敬語で話すのは久々で新鮮だ。

「それは大丈夫です。秋月さんこそ顔のお怪我は大丈夫ですか?」

「全然問題ないと言えたらかっこいいんですけどね。実はちょっと痛みます」

 彼は少し笑ってそう答えた。場を和ませてくれているのだろう。

「あっ、治療費払いましょうか?」

「俺が勝手に助けに行ったんですから、治療費なんていらないですよ」

 彼は早口でそう答えた。優しい彼に私は一層申し訳なくなった。

「はい。それではお言葉に甘えさせて頂きます。本当に申し訳ないです」

「そういえば、小鳥遊さんはここの店はどんな風に知ったんですか?」

 私が申し訳なさそうにしていると、彼は話題を変えてくれた。

「えっ、歩いてたらたまたま見つけたんですよ」

 私はこだわりはあるけど、お店の見つけ方は結構偶然に任せている。それを説明するのも変だし、でもこの答え方だと行き当たりばったりな人だなとか思われないかと思った。ちらっと彼の方を見ると、ニコッと笑ってくれた。

「雰囲気もいいし、素敵なところですね」

 彼はそこには触れず、褒めてくれた。少しほっとした。

「コーヒーの味も絶品ですから楽しみにしておいてくださいね」

「あっ、そういえば、秋月さんって見た目とギャップがすごいとかよく言われませんか?」

 私は急に思いついて話題を変えた。 いつも私の話はあちこちに散らかる。

 彼はイケメンだけど、イエスマンなところとか残念な部分が多いから、私は質問せずにはいられなかった。

 彼はなんだか困っているようだった。おかしなこと言っただろうか。

 それとも他に考えごとしてるのだろうか。

 私があれこれ考えていると沈黙を破るかのように、コーヒーが運ばれてきた。

「お客様、ウインナーコーヒー二つお持ちしました。お間違いなかったでしょうか?」

 店員の丁寧すぎる口調。いつも気になる。でもそれより気になることがある。

 彼は何も言わずそれを受け取ろうとしていた。

 私はそれがどうしても受け入れられなかった。

「すみません、私たちが頼んだのは、ウインナーコーヒー一つとエスプレッソ一つです。これは間違えています。取り替えてください」

 店員はすぐに謝って、エスプレッソを持ってきてくれた。

 彼は申し訳なさそうにしている。

「ありがとうございます。俺っていつもこんな時何も言えないんですよ。助かりました」

 彼は思った通りイエスマンだった。

 顔の作りというか、雰囲気というかそんなものからイエスマンな感じがにじみ出ている。私の直観は間違ていなかった。それと同時にどれぐらいイエスマンなんだろうと彼のことが気になった。

「いえいえ。欲しいものを飲まないと、せっかくのコーヒーが勿体無いですよ。人生は長いようで短いですし」

 私はごく普通のことを言ったつもりだったけど、彼はなぜか大笑いしていた。

 まあ彼が笑ってくれたならそれでいいか。

 店内は、なんだか今日は一段と温かい雰囲気がしている。

「今度は俺が今回のお礼として、どこかに連れて行きますよ」

 彼が話してるのを聞いて、会った時からどこか違和感を感じていた。それが何だろうかとずっと思っていたけどやっとわかった。

 彼からはフレッシュさが溢れている。年は二十五歳と言っていた。私は三十歳だ。二十代と三十代では同じような言葉を話しても重みが違う。

「それは楽しみです」

「あっ、コーヒー美味しいですね。この店に惚れ込むのわかります」

 彼はコーヒーの香りを楽しみながらゆっくりとそう言った。

「気に入ってもらえてよかったです」

 それから私たちは今日話するのが初めてと思えないぐらい、たくさん話した。

 自分のこと、仕事のこと、好きなことなど自然と次から次に話が浮かんだ。

 彼と話していてすごく楽だなと思えた。

 不思議だけど、そう感じた。なぜだかはわからない。

 でも、人と話していて楽だと思えるなんてこれまでにはなかった。

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