第7話 出立


 再び自宅に帰ってきたわたしとロジエは、荷造りをすり。

 といってもロジエは身一つなので、わたしの荷物だけど。


「これからどちらに行くのですか?」

「祖母の家だよ。連絡がつかないから直接行ってみようと思って。じゃないとロジエをどうすればいいのかわからないし」


 大きな鞄に荷物を詰めながらいうと、ロジエは表情を変えた。


「どうすればってどういうことですか!?」


 ロジエがぐいっと顔を近づける。

 わたしはその勢いに仰け反って、口を開いた。


「どうって、わたしのこの狭い家にロジエを置けるわけないし、あなたを養えないよ?」

「離れるなんて嫌です、シェリ!」

「わぶっ……!!」


 ロジエが縋り付くようにわたしを抱きしめる。

 鞄に詰めようとして手に持っていたものが辺りに散らばった。


「ちょっ! ロジエ!?」

「せっかく会えたのに離れるなんて……! 私はシェリと一緒にいないと枯れてしまいます!」

「え! 枯れるの!?」


 わたしはぎょっとして、声を上げる。

 すると、ロジエは腕の力を緩めてわたしの顔を見つめる。


「はい、枯れます。だからずっとお傍に置いてください」


 悲しげに微笑むロジエ。

 思えば、ロジエは今日生まれたばかりなのだ。

 たとえ穢れた世界でも、楽しいことや嬉しいことはたくさんある。

 それを経験せずに枯れてしまうのは、可哀想すぎる。

 わたしのそばにいれば枯れずに済むのなら、叶えてあげたい。


「……わかったよ、ロジエ」


 わたしが承諾すると、ロジエはぱあっと表情を明るくさせた。


「ありがとう、シェリ!」

「わっ!」


 またもやロジエはぎゅっとわたしを抱きしめる。

 体は大きいけれど反応は子供のようで、わたしは「はいはい」と言いながら、背中をぽんぽんと叩いた。




 出かける前にロジエと一悶着あったものの、どうにか出発する。

 まず目指すは、列車乗り場だ。

 祖母の家は違う町にある。そのためには列車で移動するしかない。

 入り組んだ町の中を標識を頼りに歩く。


「えっと、こっちかな?」

「シェリ、こちらです」


 方向感覚があまりないわたしを見かねて、ロジエがフォローしてくれる。


「そうかも! ありがとう!」


 わたしがお礼を言うとそれだけでロジエは幸せそうに微笑む。

 ほんの少しのことなのに喜ばれるのはどうも面映ゆい。

 いたたまれず顔を逸らし、わたしは足を進める。


「あれだ!」


 この町に来た時、一番初めにたどり着いたのがこの列車乗り場だ。

 町と町を結ぶ唯一の交通手段ということもあり、列車乗り場は人でごった返していた。


「シェリ、はぐれてしまいそうですのでお手を」

「あ、はい」


 差し出された手にわたしは自分の手を載せる。

 たしかにはぐれたら大変だと思ったが、さも当然のように手を出してしまった。

 シミ一つ無く、滑らかな手だが、大きく骨張った男性の手に、わたしの手が包まれる。

 少しひんやりしているものの、確かな体温を感じるその手をじっと見ていたら、上から声が振ってくる。


「まずどこに行けばよいですか?」

「あそこの切符売り場に」


 指さすと、ロジエはわたしの手を引いて歩き出す。

 人に埋もれてしまうわたしとは違い、人垣から頭一つ飛び出る長身のロジエには、目的の方向がよく見えるのだろう。迷いのない足取りで進んでいく。

 最短距離で切符売り場に到着したところで、わたしは二名分の切符を買う。

 その間もロジエはわたしを守るかのように後ろにピタリと立っていた。


「はい、ロジエの分」


 人混みを少し外れたところでわたしはロジエに買った切符を渡す。

 金属の小さな板。

 そこに乗る町の名前と降りる町の名が書かれている。

 ロジエはそれを両手で恭しく受け取る。


「シェリがはじめて下さった物……!」

「いやいやいや、大げさな……」


 感激に打ち震えているが、たかが切符だ。

 しかもそれは降りる時に回収されるので手元には残らない。

 それを教えるべきか迷ったが、あまりにも幸せそうなので黙っていよう。


「あの列車かな?」


 わたしたちが乗る列車が来たらしい。

 降りていく人の波を待ってから、わたしはロジエを連れて列車に乗り込んだ。


「この辺でいいかな」


 二人がけの椅子が向かい合わせに配置された車内。

 誰も座ってないところを見つけて、わたしは足を止める。

 はめ殺しの小さな窓がある奥側に座り、ロジエを手招きする。

 するとロジエは少し逡巡した後、わたしの向かいではなく隣に腰を下ろした。

 え、と驚くわたしに向かってロジエはにこりと笑う。


「隣の方が何かあった時に守れますから」

「何かって……何もないと思うけど……」


 釈然としないながらも移動する気がないロジエにわたしはため息を吐く。

 嫌なわけではないからいいかと、向かいの席には鞄を置くことにした。

 しばらくして列車のドアが閉まっていく。発車するようだ。

 小さな窓からは誰かの見送りに来ている人が名残惜しげに手を振っているのが見えた。

 鈍い金属音を鳴らして、ゆっくりと列車が動き出す。

 ちらりとロジエの方を向くと、彼はにこやかな表情でわたしのことを見つめていた。

 昨日眠る時には想像もしていなかったこの状況。

 この美しい人と町の外に出ることになるとは……。

 変わらないと思っていた日常が、急に非日常になってしまった。

 四角い枠の中を流れていく風景を眺めながら、わたしは不安とともに、ほんの少しだけ心が弾むのを感じていた。

 

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