第5話 ロジエ


「咲いてる……!」


 わたしはベッドから抜け出ると、窓辺に駆け寄った。

 窓から差す太陽光に向かって咲くのは、大輪の薔薇だった。

 珍しいことに、その薔薇はシルバーブルーの色をしていた。花弁の先端は色が薄く、花芯に向かって青色が濃くなっている。


 ――この色と似たような色を見たことがある気がする。


 そして、ハッとする。

 彼を見ると、花を見つめていたわたしを穏やかな表情で見つめていた。

 薔薇の色合いと、彼の髪色がそっくりなのである。

 にわかに信じがたかった花の化身だという彼の言葉。

 人間とは思えない美しい顔立ちも花の化身だとすれば納得できる。


「本当に……?」


 青い薔薇と彼を見比べてわたしが呟くと、彼はにこりと笑い「はい」と頷いた。


「で、でも花の化身って、聞いたことも見たこともないけど……」

「それはそうですよ。何しろフロルが生まれるのは数百年ぶりだと思います」

「数百年……!? というか、フロル……?」

「フロルというのは私のような花の化身のことです」

「なるほど……」


 全然わからないけれど、とりあえず彼がフロルということだけは理解する。


「では、主」

「え? それはわたしのこと!?」

「ええ、もちろん。私の花を手折って頂けますか?」

「手折る? 薔薇だし鋏じゃないと無理じゃない? というか手折っていいの?」

「はい。手で枝に触れて頂ければ大丈夫ですから」


 どうぞ、と促され、わたしは流されるまま、咲いている薔薇の枝にそっと両手を伸ばした。


「わっ!」


 わたしの指が枝に触れた瞬間、なんの力も入れていないのに、薔薇が摘み取られた。


「ありがとう、主」


 彼は、お花を持つわたしの両手を包み込むように手を取った。

 すると、薔薇の花は、形を変える。


「な、なに……?」


 枝が縮んでいき、花弁がそこに重なるように溶けていく。最後に手のひらにほんの少しの重みだけが残る。

 彼のものに重なる自分の両手をおそるおそる開いてみる。

 そこには青い石が付いた銀色の指輪があった。

 指輪に目を奪われていると、そこに手が伸びてくる。


「あっ……」


 指輪を手に取ったのは、彼だった。


「主。私の名はロジエ。青薔薇のフロルです」


 彼、ロジエは名乗りながら、わたしの左手を取る。

 そして、指輪をわたしの薬指にはめた。

 指輪は、指の付け根までくると自然にちょうどいいサイズになってそこに収まる。

 状況が呑み込めず、彼を呆然と見上げるわたしに向かって、彼は幸せそうな笑顔を浮かべた。


「よろしくお願いします。私のシェリ」

「あ、はい。……いや、いいえ」


 もうわけがわからなくて、おかしな返事をしてしまう。


「え、どちらですか?」

「どちらもなにも、はじめから説明を求めます……!」


 わたしに言えるのはそれだけだった。




 深呼吸を何度かして、わたしは落ち着きを取り戻す。


「よし! それではどうぞ」


 こうなれば何が来ても驚かないぞ、という気概でわたしはロジエという彼に言った。

 狭い部屋なので、わたしはベッドに、彼には食卓の椅子に座ってもらい向かい合っている。


「では何から話しましょうか……。まず、私が花の化身、フロルであることはいいですね?」

「はい、とりあえずは……」


 信じがたいがそこは飲み込む。


「それではフロルについてお話しますね。フロルとは――」


 彼は、フロルについて話し出した。

 フロルは、世界樹の種から生まれる。

 浄化された水と水に込められた純粋な祈りによって、育った花がフロルとなる。

 フロルは、穢れた土や空気を浄化でき、穢れにより魔物化した植物とも戦う術を持っている。数百年前は、フロルがたくさんいて、世界の浄化を担っていた。


「当時は今でいうところの魔法使いは存在しなかったのです」

「え……」

「今の魔法使いは、フロルと人の子が番った子孫なのです」

「……じゃあ、わたしにもフロルの血が流れているってこと?」

「いえ、シェリからはその匂いがまったくしませんね。フロルの血はほぼ受け継がれていないかと思います」


 わたしには魔法使いとしての力がほぼないから、当然といえば当然だ。けれど、少しだけ残念な気がした。

 しゅんとするわたしに向かって、彼は「けれど」と続ける。


「シェリにフロルの血が受け継がれていないからこそ、私は目覚めることができたのだと思います。フロルと人のあいの子、魔法使いにはフロルを目覚めさせることはできません」

「そうなんだ……!」

「はい。ですから、シェリが私を大切に育ててくれて、花が咲くのをとても楽しみにしてくれたこと。そして、その結果、こうしてお会いできたことがとても嬉しいです」


 美しい顔に幸せそうな笑みを浮かべ、彼はわたしを見つめてくる。ただでさえいい顔なのに、うっとりと見つめられたらドキッとしてしまう。


「……っと、ところでそのシェリっていうのはどうして? わたしの名前は違うんだけど……」


 話題を変えようと問いかけると、彼は「ああ」と言って説明してくれる。


「シェリというのは、生み出してくれた主へ信頼と親愛を込めて呼ぶ名前です。愛しい人、という意味なんですよ」


 何の衒いもなく、まっすぐわたしに向かって放たれた言葉に、急激に顔が熱くなった。

 これは、フロルとの間に子供ができるのもわかる気がする……!

 とても美しい見た目をしているフロルから、こんなに直球に親愛の情を向けられたら、自然とそうなってしまうだろう。

 わたしは火照った顔を両手で覆い、心の中で呟く。


 ――助けて、お祖母ちゃん……!


 いろんな意味でわたしの手に負えない事態に、元凶である祖母に強く助けを求めるのだった。

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