第4話 現れた男


 祖母から送られてきた種を育てはじめて数日が経った。

 水だけで育つと手紙に書いてあったが、本当にそれでいいのか不安になる。

 植物を育てる方法として水耕栽培というものがあるが、この種にあっているのかわからない。

 祖母が言うのだから大丈夫だと信じたいけれど、どのくらいまで水を浸せばいいのか、日当たりはどの程度必要なのかなど、もっと詳細なことを書いてくれたらよかったのに……と思う。

 自分なりに考えて、水を毎日浄化し、日当たりのいい場所に置いているが、これが正解なのかわからなかった。


「芽が出ないってことは違うのかな……」


 不安に唸りながらわたしは器の中で今日も輝いている種を見つめる。


「どんな花が咲くのか楽しみなのになぁ」


 ひとり呟いた時。

 何かが小さく割れる音がした。

 それは氷がひび割れるような音で、小さく一瞬だった。

 気のせいかと思ったが、目の前の種に異変があった。


「割れてる……!」


 宝石のような見た目の外殻。その真ん中に亀裂が入っている。

 そして――


「芽だ……!」


 ひび割れた隙間から、細く小さな芽が出ている。

 今この瞬間に芽吹いたのだろうか。

 それならすごく貴重な瞬間を見たのかもしれない……!


「すごい……! ちゃんと出てきてくれた! 嬉しいなぁ……!」


 小さな小さな頼りない芽。

 それが切れ目を押しのけて出てくるように伸びている。

 その様子を見てわたしはホッとする。

 本当に芽吹くが不安だったが、あとはこのまま成長していってくれるのを願うだけだ。


「……って、そろそろ出勤しなきゃ」


 ずっと見ていたいがそうもいかない。

 窓辺の日が当たる場所に芽吹いた種を残して、わたしは慌てて玄関を出た。




 種が芽吹いたことで、とてもいい気分で一日仕事できたわたしはいつも通りに帰宅する。


「ただいま~」


 暗い室内を魔具の明かりで照らす。

 そして、わたしは異変に気付いた。


「ええええ!」


 ぎょっとしてわたしは窓辺に駆け寄った。


「めちゃくちゃ伸びてる……」


 今朝、小さな芽が出たばかりの種。

 それが、今やその数十倍にも茎を伸ばし、葉を繁らせ、さらにはてっぺんに蕾までできていた。


「一日でこんなに成長するもの……?」


 思えば種からして不思議なのだから、そこから出てくるものが普通なわけがない。


「新種の植物なのかな……」


 この穢れの蔓延した世界に適応できるような、丈夫で繁殖力の強い植物なのかもしれない。


「不思議だねぇ……」


 改めて種から成長した部分を観察してみる。

 種からまっすぐ上にと伸びるのは、しっかりとした枝。その枝にはむすうのトゲが付いている。

 葉は楕円形で、周りがとげとげしていた。


「これは薔薇っぽい……?」


 枝や葉の特徴を見ると薔薇に極めて近い気がする。

 ただ、祖母が送ってきた種は薔薇の種とは似ても似つかない。

 なので薔薇っぽい、としか今のところわからない。


「今日成長したペースでいくと明日には花が咲きそうかも」


 先端の蕾は堅く、花弁の色はまだわからない。

 でも今朝は小さい芽の状態だったのだから、朝には咲く可能性はある。

 本当に不思議なことの連続だけれど、どんなお花なのかは純粋に楽しみだった。

 いつものように持ち帰ってきたお花を生けてから、家事と寝る支度をして、ベッドに潜る。

 一度窓辺を眺めてから、まだ見ぬお花に期待を寄せながらわたしは目を閉じた。




 ──じ……、あ……じ……


 声が聞こえる。

 それはとても近くからで、低い響きだった。

 次第に覚醒していく意識。

 瞼の裏に眩しい光を感じながら、ゆっくりと目を開けた。

 すると、飛び込んできたのは銀と青。


「主、やっと気づいた」


 その言葉は、目の前にある整った口元から聞こえてきた。

 何度か瞬きをして、わたしは視界の情報を捉えようとする。

 毛先にいくにつれ、青から銀になっている髪。

 銀の長いまつ毛に縁取られた青紫の瞳。

 鼻筋はずっと通り、シミひとつない白い肌。

 人形のような左右対称な容貌。

 服装は濃い青色のスリーピーススーツで、一見しただけでいい布で仕立てられているのがわかる。

 と、目の前の情報を流し込んだわたしの脳が導き出した答えはひとつ。


「どちら様ですか……?」


 もしかしてここは自分の部屋じゃないのかとも思ったが、わたしを覗き込んでいる人越しに見える天井や壁は、この数年間で毎日見ているものだった。

 残るは目の前の見知らぬ男性がわたしの部屋に入り込んだということだけだ。

 いくらイケメンとはいえ、見ず知らずの男性が寝ている間に勝手に部屋に上がり込んでいたら警戒はする。

 わたしはできるだけ距離をとろうと、ベッドの上で後ずさる。


「主、やっとこうしてお会いできました」

「えっと……」


 端正な顔をふわりと綻ばせ、彼はベッドの横に跪き、胸に手をあてる。

 まるで長年会えなかった恋人に会ったのかと思わせる行動にわたしは戸惑った。

 少なくともわたしの知り合いにこんな綺麗な人はいない。


「……ごめんなさい。わたし、あなたとは知り合いじゃないと思います」


 わたしの言葉に彼は頷く。


「当然です。主とこの姿でお会いしたのはこれがはじめてですから」


 彼の言うことがさっぱりわからなくて、わたしは首を傾げた。

 そんなわたしに微笑ましい視線を向けながら、彼が口を開く。


「私は薔薇のフロル。あなたが育てた種から生まれた花の化身です」


 そう言って彼が指し示したのは、窓辺にあるあの種。

 そこには美しく咲き誇る大輪の薔薇の花があった。

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