第3話 不思議な種


 仕事を終えて、わたしは自宅に向かった。

 わたしが住んでいるのは、ごくごく普通の集合住宅の一室。狭い土地に増築に増築を重ね、迷路のようになった建物群の中にある。

 この町で暮らしはじめた頃は、何度迷子になったことか。

 今はすっかり道を覚え、職場と家の往復に迷うことはないが、それでもそれ以外の場所は近所でもあってもさっぱりわからない。

 階段を上り、通路を渡り、また階段。それを繰り返すこと数分で小さな我が家に到着した。


「ただいまー」


 暗い室内に向かって言う。

 誰もいないとわかっているが、長年の習慣とは抜けないもので、つい言ってしまう。

 窓から差し込む、外からの明かりを頼りに壁伝いに進むと、明かりの魔具をつけた。

 明るくなった部屋の中、真っ先に向かうのは窓辺に飾ってある花の元だ。

 生けてある花瓶ごと持ち、キッチンへ向かった。

 花瓶からお花を抜くと、中の水をシンクへ流して軽く花瓶を洗う。

 そして、新しい水を注ぎ、その水を浄化する。

 抜き取ったお花から今日一日で枯れてしまったものを取り分けると、わたしはお花を見つめた。


「ありがとうね」


 ほんの数日だけれど、綺麗に咲き誇り、辺りの空気を浄化してくれた。

 まるで美しさと引き換えにするように……。

 短い生命を燃やし尽くして枯れていくお花を見ると感謝の気持ちが自然と湧き上がるのだ。

 枯れ果てたあとは、さらに火となって温めてくれる。

 穢れのせいで、植物が育つのが難しいこの世界では、火の燃料になるほど木が取れない。

 主な燃料は石炭か油が使われている。

 だから枯れたお花であっても燃やせるものとしては、とても貴重なのだ。ちなみに、家畜の餌に利用することはできない。お花には、毒があるものも多い。

 綺麗な花には毒がある、と言うのは本当なのだ。

 枯れたお花を除けたら、まだ咲いているお花と今日もらってきたお花を合わせて花瓶に生ける。

 このお花は、お店で売り物にならなくなったものだ。お花屋店員特権として、こういったお花を無料で頂けるのだ。

 なのでわたしの部屋には常にお花があった。

 残り物ゆえに色や種類がバラバラなお花たちだが、生けてみると意外と悪くない。

 普段考えつかない組み合わせもあったりして、お店で作る花束のアイデアが生まれたりすることもある。

 今日はピンク多めに差し色で黄色と紫が入った花瓶アレンジになった。

 狭くてなんの変哲もない部屋だけど、お花があるだけで気分が明るくなる。実際に空気を浄化をしてくれるので、お花のおかげで気持ちよく過ごすことができるのだ。

 花瓶を元の位置に戻すと、わたしは職場に持っていった鞄を開けた。

 中から取り出したのは、祖母からの小包だ。

 紐で括ってあるそれを解き、包みを開いていく。すると金属の箱が出てきた。

 模様のないシンプルな四角い箱。

 蓋がついているので、それを開けてみる。


「手紙と……なんだろ?」


 ひとまず畳まれて入っている手紙を読んでみる。

 羊皮紙に綴られていたのは祖母の字だった。

 わたしが息災かと問う言葉のあとに続いたのはこうだ。


『あなたにお願いがあります。同封した種を育ててみてほしいのです。土は不要で上手くいけばあなたが浄化した水だけで育ちます。もしも花が咲いたら教えてください。あなたなら芽吹かせることができるかも知れません』


「……どういうことだろ? 育てるのがそんなに難しいお花なのかな?」


 最後の文はよくわからないが、とりあえず同封されているらしい種を見てみよう。

 手紙の他に箱の中にあるのは布に包まれたもの。

 箱から取り出し、布をとる。


「……綺麗」


 出てきたのはクルミ大ほどの青い宝石だった。

 明かりに向かってかざしてみる。

 不揃いながら綺麗にカットされた表面に光が反射し、キラキラと輝く。


「あれ? でも種って……」


 どうみてもそれは種には見えなかった。少なくともわたしが知っている種とは全く違う。

 手のひらの上に載せたそれをじっと見る。

 すると、青い半透明な部分の奥に小さな種の影があるのがわかった。

 まるで青い氷に閉じ込められているようだ。


「これが種……?」


 種を見たらなんのお花なのかわかるかと思っていたが、こんな不思議な種を見るのははじめてだ。

 どんなお花が咲くのか予想もつかない。


「とりあえず言う通り育ててみよう。……えっとお水だけでいいんだよね……?」


 祖母の手紙をもう一度読み返してから、わたしは少し深さのある器を用意する。

 そこに水を入れて、浄化のために祈る。


 ――どうか芽吹いてくれますように……。綺麗なお花が咲いてくれますように……。


 どんなお花なのかという期待に胸が膨らむ。

 しっかりと浄化されたのを確認してから、水の中に種をそっと沈めた。

 澄んだ水の中に青い宝石が沈み、それだけで少し幻想的な光景だった。

 本当にお花が咲くのかはわからないけれど、もしも咲いたなら、きっとそれははじめてみるお花なんだろうなぁ。

 なぜ祖母がわざわざこの種を送ってきたのかはわからない。

 けれど祖母のすることだから何か意味があるのだと思う。

 わたしは水の中で淡い光を乱反射させる青い不思議な種を、しばらくの間、見つめていた。

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