第9話:RE:人類二番目

 ソフィアには隠れているように言いつけて、最上は校舎の側面にまで移動する。屋上からも校舎内の窓からも死角になる唯一の場所だった。花野が捕らわれている場所は聞いた。北から南にかけて三棟並んでいる校舎のうち、真ん中に位置する建物の一階だ。

(あと五分弱かな……。間に合わせる。大丈夫、僕ならできるはずだ)

 コンクリートの壁に抜き手を放ち、穴を空けつつ校舎を上っていく。最上が登っているのは南側の校舎で、北方向に校舎が二棟あるのが見える。

 半分ほど登ったところで、片方の手を壁から抜いてぶらぶらとふる。手がじんじんと痛む。

「くそ、なんで今日に限って調子悪いんだ」

 壁を上りきる直前、最上は大きく息を吸った。そして一気に飛び出す。南の校舎を上ることにしたのは、最上が見つけた見張りがここにいたからだ。

「なんだおま――」

 防弾チョッキを着こんだ兵士二人に一秒で接近し、一秒で一人目のあごを砕き、最後の一秒でもう一人の後頭部を裏拳で打ち、意識を奪った。

 すぐに花野がいるという真ん中の校舎の様子を確認する。

 発見。

 本来教師が立っているはずの教壇には、小型機関銃を持ったフルフェイスマスクの兵士が二人立っていた。窓際の一番後ろの席に、背を丸めて震える花野の姿がある。彼女も、他のクラスメイトも、最上が見る限りでは無事だ。

(少数精鋭ってソフィアも言ってたから、子供を抑えるのに人数割いてないんだろうね。まぁ、割く必要もないか。後は交渉役と、校舎外の索敵かな)

 時間があれば、もう少し敵の様子をうかがっていたかったけれど、そうはいかない。まずは花野の救出を最優先にする。

「よし」

 最上は助走をつけて一気に屋上から飛び出した。ヒュウっと風を切る音がして、すぐにガラスが割れる音がした。一人目のテロリストを勢いのままに蹴り飛ばす。

「あぎがぁ!?」

 大型トラックに跳ねられたかのごとく、教室の扉をぶち抜き吹き飛んだ。

 教室にいた生徒が悲鳴を上げる。唯一、花野が最上の名を呼ぶのが聞こえた。

「次ィ!」

 床を蹴り飛ばし、最上は野獣のように二人目に殴りかかる。

(銃を盾にするかな?)

 が、テロリストがとった行動は、最上の予想とは全く違ったもの。

 銃を捨てて、最上の拳を受けた。素手で。

 デジャヴ。

「また会ったな、最上彼方」

「なっ……新神ちゃ、がっ!?」

 名を呼ぶ間もなく、新神の右手が最上の額を鷲掴みにする。そのまま力任せに新神は走り出した。まずは教室の壁に最上を叩き付けたが、壁の方が破壊音を立てて砕ける。けれども新神はそれで止まらず、さらに南の校舎を貫いた。破壊に伴い土煙が舞う。校庭に出たところで、新神は最上を地面にたたきつけた。爆音とともに地が揺れ、校庭にクレーターが一つ作り上げられた。

「ソフィア・クラウディが絡むと出てくると思った」

 フルフェイスマスクを外すと、最上と同じように束ねた長髪が流れ出てきた。ナイフのように鋭い瞳は、最上を捉えている。

「心臓抜いたから、死んだと思ってたんだけどな」

「その程度で死ぬわけないだろう」

「それもそうだよね。元人類最強だし」

 負けん気は強いらしい。最上の口を塞ぐように新神の拳が振り下ろされる。最上はあえてそれを頭突きで相殺する。

(教室に残った生徒の元に別の兵士がたどり着くまでいくらかかるだろう)

 その兵士は、子供を脅して大人しくさせるか、それとも殺してしまうのか。

 わからない。

 なら、最悪の方を想定して一刻も早く新神を倒して戻るべきだ。

(けど、よりによって新神ちゃんが出てくるか。いや、僕が現れるって想定していたからこその新神ちゃんなのか)

 後頭部を狙った蹴りで新神を上からどかしてから、立ち上がって体勢を立て直す。

「生徒を助けてくれって妹に頼まれたからね。さくっと倒させてもらうよ」

「……やってみろ」

「前に四十三秒で倒された君が、僕に勝つ気かい?」

 人類最強と人類二番目が再び衝突する。片や『化物プロジェクト』の最高傑作の化物、片や第三次世界大戦を一か月で終戦させた『化物化プロジェクト』の最高傑作。学校の校庭というありふれた場所が、銃弾の代わりに拳が行き交う戦場と化した。

 互いに小細工抜きのインファイトで殴り合う。

「あれ?」

 間の抜けた声を上げたのは最上で、二の腕が深く裂けて血が溢れている。

「なに驚いでる?」

 手刀が最上の体を何十か所も抉る。豆腐を削るようにあっさりと体に傷が刻まれていく。出来上がったのは水を血に変えた噴水だ。

「ぎ、ぃぃぃいいいいいいいいぁああああああああああああああああ!?」

 何かがおかしい。

 以前ではありえない。手に取るように見えていたはずの新神の動きが目で追えなくなっている。

 反撃できない。

「死ね」

 新神の指先が最上のあばらを砕き、内臓を貫通する。

「がぼふっ」

 最上の口から血が溢れ、新神の頬を濡らす。ちかちかと赤く染まる視界。壊れた人形のようにゆっくりと振り返ると最上の体を貫いた新神の手には、ぴくぴくと脈を打つ心臓が握られていた。トマトを潰すかのようにあっさりと、それは握りつぶされた。花火のように最上の心臓の肉片が四散した。

 体中の血の流れが止まる。

 脳がエマージェンシーコールをかき鳴らす。

 無意識のうちに痙攣する体。使い終えたカイロのように冷めていく。


――さ、さっきは助けてくれてありがとね。え、えと、ボクはソフィア・クラウディって言うんだ。

 長い犬歯を見せながら笑うソフィアの笑みは印象的だった。

――なんかお兄ちゃんみたいな人だから、おにぃって呼ぶね!

 だんだんと懐いていくソフィア。

――おにぃは暇つぶし下手だよね。え? ボク? ボクはテレビがあるだけでいくらでも時間を潰せるよ。

 ソフィアの動画中毒っぷりにはいつも呆れさせられた。

――おにぃ、おにぃ、おにぃおにぃ。


 壊れたテレビが映像と音声を垂れ流すかのように最上の脳内に走馬燈が流れる。

 死は平等に訪れるかのように思えた。

「……あが、がじねなぃいいいいいい、いいいあ……が、がぁああああああああああああああああああああああ!」

「なっ!?」

 体の動きが制止したので、新神は油断したのだろう。

 最上は両手で新神の片腕を掴み、そのまま両足で飛び、力いっぱい彼女の体を蹴り飛ばす。新神の体が吹き飛ぶと一緒に、おもちゃのロボットの腕が抜けるようにあっさりと、腕が肩からもげる。

 地面を転がる新神。崩れ落ちる最上。

(く、そ、体が熱の棒でかき回されているみたいに痛くて熱い。頭がぼうっとする。血が足りないんだ畜生)

 嫌な汗が全身から噴き出る。死神の足音が近づいてくる。新神の腕を抜き、抜き取られた心臓の再生を試みる。

(血の流れはほかの部位の筋肉で作り出せ。とにかく頭に血を回す)

「腕、腕ッ腕腕うでうで腕ウデ腕が腕が腕が私の腕を――」

 ナイフのように鋭い瞳が最上の方を向いた。

「貴様ッッ!」

 残っている新神の右腕が、確かに最上の眼球を、そして脳みそを狙っているのを察知する。

 その一撃は、避けられなかった。とっさに体が動かなかった。

(心臓を再生するのにすら手間取っているのに――脳まで損傷したら――死――)

 最上の脳天に穴が空かない。

 新神の拳の軌道から、最上の体は逸れていた。

 痛みが生む熱とは違う、ぬくもりが最上を包んでいる。

「ソフィア……?」

「ついにボクに助けられちゃったね?」

「安全な場所で待っていろと言ったよね!」

 ソフィアが最上を押し倒していた。

「おにぃのこんな姿見せられたら、遠くから見てるだけなんて無理だよ」

「どうしてソフィアは他の人を放っておくてことができないの」

 けれど、ソフィアのおかげで致命傷を免れたのも事実だった。

「他の人じゃないよ。家族だよ」

「……」

 言葉を失った最上に、茶目っ気のある笑みをソフィアが浮かべた。

「それに、おにぃの隣が一番安全な場所なんでしょ?」

「……あぁ、その通りだよ」

 人類二番目ごときに、負けるわけにはいかない。大切な人を守るために、いつだって最強で居続ける。

「も、が、みぃ! 痛みで目がぱっちりだぁ殺す殺すコロス。貴様を殺して人類最強が私であるのを証明するぅうううう」

 瞬時にソフィアを抱き上げ、横へ移動する。先ほどまで最上がいた場所にクレーターが上書きされた。

(人類最強への執念が半端じゃあない。まるで哺乳瓶を取り返そうとする赤ん坊みたいだ。手加減を知らない相手ほど厄介なやつはいないよ)

 新神の存在意義が人類最強であるとするなら、それを取り返そうとする気持ちはわからなくもない。

(どうする? 認めるしかない。大雑把な動きは掴めるけれど、新神の動きが追いきれなくなってる)

 いかに新神を捕まえるかだ。

 一つ、とても簡単な方法がある。

(……失敗したら、多分死ぬよね)

 手段が一つしかなく時間もない。仕方ないと最上は腹をくくる。

「ソフィア、動くなよ」

 ソフィアの立ち位置を把握して、彼女を巻き込まないようにしながら、最上は再び新神とゼロ距離で殴り合う。

 体がぐちゃぐちゃになりそうな痛み。全身の関節がきしむ。

 相手が腕一本であるにもかかわらず、殴り合いでは互角。

(ほんと、どうなってるんだ僕)

 体力的には、心臓を抜かれた最上の方が不利。

 新神が拳を振りかぶると同時に、最上は上半身のガードを緩めてわざと隙を作った。案の定、そこに新神が拳を叩き込んできた。

 ギリギリのところでそれをいなす。

(認めたくないけど――体が覚えてるな)

 相手の力を利用して体を引き寄せ、腕を一の字に極めて、一気に地面へ倒す。その際、本来は固めるにとどめる腕に、思いっきり力を込めてもぎ取った。

「ががげぎぎぎぎぃいいいいいいいいいいいい!?」

「朧火に習った体術が役に立つなんて……クソっ、なんか嫌だ」

 二本目の腕を放り投げつつ、新神の背中に乗る。絶対有利のポジション。

「今度はダルマにして、ミンチにしてあげるよ。そうしないと死なないだろうから」






 一つの肉塊に成り果てた新神に最上は背を向ける。ふらふらと危うい足取りでソフィアの元に向かった。

「花野ちゃんがいるとこにさっさと戻ろう。次の兵士がくるかもしれない。あれ……」

 足に力が入らない。傷の回復が間に合ってなかった。

「おにぃ、大丈夫!?」

「大丈夫だよ、僕は、強いから」

「……わがまま言ってごめんね」

「わがままも何も、ソフィアは別に間違ったことは言ってない」

 力が抜け、不覚にも体をソフィアに預ける形になってしまう。

「……一分休ませて」

「傷、治すの手伝うよ」

 ソフィアは自身の鋭い犬歯で、自分の手に噛みついて傷をつけた。雪のように白い肌から血が溢れる。その血が生物的にうねり出した。

 血液操作。

 身体能力や、知力は並みの人間に毛が生えた程度のソフィアをDマンたらしめる奇妙な性質だ。

「そっか。血液操れるくらいまで回復したんだ」

「うん、お父さんとお母さんのおかげだよ」

 朧火と西天。最上は二人のことをあまり考えたくなかった。

(なにが穂野ノ坂学校は安全だよ)

 ソフィアの手が最上の傷口に触れる。

 血小板が集まり、死んだ細胞が除去され、肉芽組織による修復が高速で行われていく。

 痛みが消えていくのが心地いい。

 自身の再生能力で心臓を作り出し、ソフィアの血液操作による治療で外傷治していく。けれど、体力は回復しない。

(いけない、痛みが引いて逆に意識が……)

 まだ意識を失うわけにはいかない。花野のクラスに戻り、虚構科学研究所の残党から彼女らを守る。

「おにぃ、帰ろう」

「なに、言ってるの。ソフィアが頼んだんでしょ。最後までやるよ」

「ううん、終わったんだよ。お父さんとお母さんが来たんだ。身代わりにためじゃなくて、敵を倒すために」

 最上は目を辺りにさまよわせる。すると、校庭の目に付きにくくなる部分から、朧火と西天を中心にした見慣れない部隊が校舎の方へ駆けて行った。最上にしか倒せない新神はすでに始末した。だから、二人の指揮する部隊だけでも子供たちの保護と解放はできるだろう。

「帰ろうよ」

「……」

「おにぃ?」

「帰りたくないんだ」

 ソフィアを預けるほどに信用した西天に裏切られたことが、最上にはどうしても許せなかった。

「もしかして、ボクがこの事件に巻き込まれたことで、二人と喧嘩した?」

 妙なところでソフィアは鋭く、最上の心の中を一発で看破した。

「ボクは大丈夫だったんだからさ、帰ろう。ね? で、仲直りしようよ」

「嫌だ」

 花野を守るために戦う必要もなくなったことも相まって、最上の意識はさらに緩み、とろけていく。

「ソフィア、ゲームセンターの隠れ家に、もど、ろぅ――」

「おにぃ? おにぃってば! 起きてよ!」

 そこで最上の意識は途切れた。

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