第8話:妹の決断は黄色信号
東京郊外と都市部の境目に穂野ノ坂学校はある。品川区から電車ではなく、最短距離を走った方が早いと判断した最上は、時に道路や線路を跳躍で飛び越え、車にも劣らない速さで東京内を駆け抜けた。
だが、穂野ノ坂学校に着く途中に警察の包囲網にぶち当たる。どうやら、半径一キロは警察と自衛隊による道路規制が敷かれているみたいだ。
力づくで突破してもいいが、警察と戦闘を起こしてそれがテロ組織への刺激になってしまう可能性がある。下手な騒ぎは避けたい。
いかに隠密に包囲網を突破するかを考える。
まずは人が少ない郊外側に移動した。
案の定、閉鎖に当てられている人数は少ない。急なことで政府も対応が遅れているのだろう。こちら側ならまだ抜けられるルートがあると最上は確信する。
侵入できるルートを探っていると、「最上!」 聞き覚えのある、特に今は聞きたくない声がした。
住宅地の路地の先に、朧火と西天が立っていた。二人が駆け寄ってくる。
頭の芯がカッと熱くなり、吐きそうなくらい胸がむかつく。
朧火は真顔だが、西天は心底申し訳なさそうな表情をしていた。
「ごめんなさい。今はこれしか言えないけど、私がなんとかするから、最上くん、先走るのはやめて」
西天の第一声に、最上は即座に噛みついた。
「なに言ってるんだよ! そんなの信用できるか! 西天さんは言ったよね!? 穂野ノ坂学校は安全だって。信じた結果がこれかよ!?」
「……それは、うん。私の責任よ。でも、だからこそ最上くんは危ないことをしないで」
「やだね。僕より弱い嘘つきの言うことなんて信用できるか」
「お願い、待って」
「もう話すことはないよ」
二人に背を向けて、最上は穂野ノ坂学校の方へと走り出す。
「チッ、ガキが」
朧火のつぶやきが聞こえたけれど付き合わず無視する。
民家の中を通って最上は包囲網を突破し、穂野ノ坂学校への侵入に成功した。
2018年に建築された穂野ノ坂学校の校舎はまだ新しく、壁は初々しい白だ。校舎の傍には運動場があり、そこにはサッカーグラウンドや野球用のグラウンドなどが収まっていた。
最上は学校の校舎の側面にある木々の中から様子をうかがう。小中高一貫の学校で、低い学年の子たちはすでに放課後を迎えている頃合いなのに、校庭には生徒は一人もいない。
(テロ組織……虚構科学研究所絡みかな)
条約があれど、ソフィアを狙ってくる可能性は十二分にありうる。最上とソフィアは虚構科学研究所にとって、化物プロジェクトで産まれた貴重な遺伝子サンプルだ。
焦る気持ちを抑えるために最上は深呼吸をする。下手に動いて、刺激したらまずい。状況をよく見極めろ、と自分に言い聞かす。
見張り役が屋上に二人いるのを確認したので、それに注意しながら移動する。学校の外周に沿うようにして木が植えられていたので難しくはなかった。状況を把握するために学校を一周回り終えたときだ。
ガサガサッ。
靴が落ち葉を踏む音。最上は瞬時に戦闘態勢に入り、音の方へ踏み込む。
気づかれる前に、一瞬で意識を刈り取る――。
「ま、待っておにぃ! ボクだよ!」
振りぬきかけた拳を最上はとっさに止めた。
「ソフィア!?」
ゴシックロリータではなく、穂野ノ坂学校の制服を着たソフィアがそこに立っていた。
「上手く、逃げられたんだね」
一応、ソフィアもけっこうな数の修羅場を潜ってきている。
「いいや、違うんだよ。解放されたんだ」
「解放って……詳しく聞かせてくれないかな」
「学校を占拠した人たちは、たぶん虚構科学研究所の人。少数精鋭で、あんまり多くの生徒を管理しきれないって判断したんだと思う。だから、一番人質に取りやすい小学生の一クラスを除いて解放したんだ」
危機に慣れてしまったソフィアの赤い瞳は、冷静に状況をとらえていた。
「ソフィア、解放されたってのになんでここにいるんだよ!?」
「ほっとけないよ……クラスには、都ちゃんがいるんだよ」
花野都がいるクラスが運悪く選ばれてしまったわけか。
「すぐには手は出さないだろうから、一回引くよ。ソフィア」
「そうも言ってられないんだって! 要求が出てるんだよ! 三十分以内にお母さんとお父さんの身柄を寄こせって。でないとクラスの子全員射殺するって!」
「なるほど、そういうことか」
今回の目的は最上でもソフィアでもなく、西天と朧火だったというわけだ。
相手が虚構科学研究所ならば何を意図して西天と朧火を狙ったのが見えてくる。
西天たちが結んだ条約は、三日以上最上達の傍にいられなかった場合は無効化する。西天たちを殺すことで、その条約の無効化を狙っているのだろう。
それに、元々ファミリーと虚構科学研究所は対立関係にある。うっとうしい存在で、過激とも言っていい虚構科学研究所は消してしまいたいとも思っているはずだ。西天と朧火を殺して、あわよくばファミリーを潰そうと考えているのだ。
「今、その要求が出てから何分たってる?」
「二十三分三十三秒!」
「……状況は理解した。けど、ソフィア、引くよ」
最上にとって、ソフィアが最優先であり、彼女の安全を確保することで、他の人間が危険に陥る可能性があったとしても、ソフィアを選ぶのには躊躇はない。
「なに言ってるのおにぃ!」
はじめてソフィアが最上に対して本気で怒った。いつもしっぽを振ってついてくる犬に突然噛みつかれたような気分だった。
「ここでボク達が引いたら間違いなくお母さんとお父さんか、生徒が殺される。わかってるでしょう!?」
わかっている。
けれど、ここで生徒の救出に向かえば、ソフィアの安全が保障できなくなる。最上の隣が一番安全な場所だと、おごりでも傲慢でも虚勢でもなく最上自身がよく知っていた。
「……僕は、ソフィアが安全ならそれでいい」
「ありがとう、おにぃ。ボクはとっても幸せ者だよ。けど――」
手のひらをめいっぱいに開き、ソフィアはそれを最上に向けて振りかぶった。
「それでもボクは、おにぃを怒るよ」
避けることもできた。けれど、最上はしなかった。ソフィアの手は最上の頬をうつ。たかだか妹の平手を受けたくらいで肌を赤く腫らすこともないし、怯むこともない。
けれど――。
(痛いな。拳銃でこめかみを撃ち抜かれるより、よっぽど痛い)
ソフィアの言っていることは間違ってない。最上も、自分の言っていることを間違いだと思っていない。
「ソフィア、二つ聞くよ。ソフィアは、生徒と二人、両方を助けたいんだね」
「そうだよ」
「僕が動けば、ソフィアの安全は保障できなくなる。わかってるね?」
「わかってるよ」
間髪入れずにソフィアは頷いた。
主体性に乏しい妹にしては、随分思い切った選択だった。それだけ、ファミリーのことを大切に思っていると言うことか。
西天がソフィアを危険に晒したせいもあり、最上の内心は少し複雑だった。人質としても死んでも自業自得だ、とすら思っていた。
それでも、ソフィアが決断したのだ。手伝ってやらないわけにはいかなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます