第1話:人肉シチューを妹と食べるなんてことない非日常

 最上は東京駅を歩いていた。どこにでもある買い物袋を引っ提げて目的の場所へと向かう。ここに来るまで一度郊外にある隠れ家で着替えと手に入れた肉の処理を済ませていた。人類二番目の肉だ。『化物化プロジェクト』のせいで化物じみた戦闘能力を持っているが、元をただせばやはり人間で、最上が必要としていた食料として使える。

 深めにパーカーのフードを被り、長い髪は服の背中に通している。買い物袋を片手に下げ、東海道新幹線沿いを下り方面へと歩いていく。新幹線のレールは地上から一段上がった場所に敷かれており、その下の空白部分には普通に店が並んでいたり道路が通っていたりする。そのレールの下にある営業中止になったゲームセンターの裏口に入り込む。

 アーケードゲームが並ぶ中、隅っこの方にある格闘ゲーム台の裏に回る。そこの床は一か所だけ抜けるようになっている。下には隠し階段が用意されていた。かび臭い階段を下りていく。

 階段が終わると、マンションの玄関ような扉があり、最上はノックもせずに中へ入った。靴を脱いで上がるとすぐに料理用のスペースがある。洗い場とコンロ台、それと冷蔵庫が備え作られている。冷蔵庫にビニール袋を放り込んでから、リビングへと向かう。

 地下にあるだけで、内装はいたって普通。物が少ない分寂しく感じられる。リビングにあるのは、テーブルと食器棚、ソファ、それにテレビくらいであとは小物が転がっているだけだ。

 水平線から太陽が昇るかのようにソファの背もたれから顔が出てきた。

「おかえり、おにぃ」

 つけっぱなしのテレビの前にあるソファに寝転んでいた少女。

 ソフィア・クラウディだ。

 軽くウェーブのかかった白髪が肩ほどまで伸びている。瞳は最上と同じく赤いが、どちらかと言えば細めの最上の瞳と比べて大きくまんまるい。にっと笑う口元には、普通の人より長い犬歯が覗いていた。ゴシックロリータを身に着けていて、元々の見た目も相まって、非現実じみた、絵本の一ページを切り取って持ってきたかのようだ。

 彼女は、最上を『おにぃ』なんてよんでいるが、もちろん血のつながった兄妹ではなく、二人を繋ぐ役割のような物だ。

「おかえりのハグしよ」

 ソファの上で両腕を広げるソフィア。自分から動こうとはしない。動けないのだ。

「嫌だよ」

「恥ずかしがらなくてもいいのに。もっとアメリカンにスキンシップ取ろうよ」

 はいはい、と最上は適当に流す。

「それより、今日の夜ご飯は何を食べたい? 今日は久しぶりに『肉』があるんだ」

「ほんと? やったー!」

 何にしようかなー、と嬉しそうに考えるソフィア。それを見ていて、最上は申し訳なくなってしまった。

「ごめんな、あんまり『肉』を食わせてやれなくて」

「いやいや、ボクは食べさせてもらってるだけで幸せなんだ。ボク一人だったら今頃餓死するか、研究所に連れ戻されるかしてたよ」

 最上とソフィアは食人体質だ。

 普通の食事に加えて、人の血肉を摂取しなければどんどん弱っていく。今、ソフィアが立てないのも人間の血肉が足りないからだ。

 最上が無茶をすれば、いくらでも人の肉なんて狩ってこられるだろう。けれど、戦闘においていくら強くても目立つのはまずい。ソフィアがいるこの住処がばれてしまえば、最上と比べて圧倒的に人間的な、下手したら普通の人間よりももろい彼女の身が危ぶまれる。四六時中最上がソフィアに付きっきりでいられるわけでもない。

「おにぃはなにを食べたい?」

「結局僕に聞くのか」

 ソフィアのお腹からくぅ、と気の抜ける音がした。彼女に任せていたら日が暮れそうなので最上は適当に考える。

「なら、シチューで」

「あ、いいねシチュー! ボクもさんせー」

 あっさりと最上が決めた料理になってしまったことに苦笑いを浮かべながら、台所へと向かった。

 玉ねぎ、じゃがいも、ニンジン、それと市販のシチューの元を台所に並べる。一つ一つ包丁で処理し、最後に冷蔵庫から取ってきたばかりの肉を取り出す。それも切り分けてから、フライパンに油をひいて、二つあるコンロの片方を使い火にかける。野菜と肉に下火を入れてから、改めて今度は鍋に入れ直した。水を張って後はぐつぐつ煮込むだけ。

 一度リビングに戻ろうとした最上だったが、玄関の方を振り向いた。

 カツカツカツカツ――。

 隠し階段を降りてくる人の足音がした。

(誰だ? ここを知る人間なんて一人、僕達に隠れ家を提供してくれている日ノ出キキしかいない。けど、その人はここには来ないし――)

 気配を消して最上は玄関のドアの前に移動する。

 足音はドアの向こう側で止まった。

 コンコン――。

(律儀にノックなんて、おかしいな)

 最上が敵とする組織の人間なら、ドアを破壊して突入してくるだろう。降りてくる時もまるで足音を隠そうとはしていなかった。おそらく相手は足音を隠すのにもっとも不向きな下駄を履いている。

 全神経を使い、ドアの向こう側の人間の意図を読み取ろうとする。

「留守かしら?」

 女の声がする。そこに敵意はなく、呑気にすら感じられるような言い方だった。

「……どちら様?」

 訝しみながらも最上は質問を投げかける。

「怪しい者じゃないわ。『ファミリー』の西天心にしあまねこころ、と言えばわかるかしら?」

 ファミリー。世間でそこそこ名の通った組織の一つだ。

 また組織か。と最上はうんざりする。

「なんの用?」

「私たちの組織に入らない? って勧誘かしらねえ」

「お断りだ。大人の陰謀の一端を担ぐなんてやだね」

 最上の人類最強の力を使おうと考える組織は多い。

 最上は極秘の化物プロジェクトの元で産まれた、虚構科学研究所の秘蔵品だが、脱走と同時に、情報がいろんなところから洩れたみたいだ。最上の脱走を知った様々な組織が接触してきたことは、これまでにも何度かあった。どれもこれも最上を利用しようと考えているのが見え見えだった。

 こういった勧誘を受けるのは、今まで全て外でのことだった。

(居場所が特定されたのは、厄介だな)

 一応、ファミリーという組織は、良識のある組織だと世間一般では通っている。が、表面なんてあてにならないのを最上は知っている。

「そろそろ困る頃合いだと思ってるのだけど、違うかしら?」

「僕がなにに困るって言うんだい。ここに来てるってことは知ってるんでしょう? 僕の強さ」

「最上くんがいくら強くても、妹さんを隠すのは大変じゃない?」

 図星だ。

「中に入れてくれないかしら? 話だけでも聞いてほしいの」

「帰れ。僕は君と話すことなんてない」

 ふふっ、と扉の向こうで笑う声がした。

「強情なのね。なら、こうしましょ。話を聞いてくれないと、この建物ごと爆破するわ。最上くんは大丈夫だろうけど、ソフィアちゃんは危ないんじゃない?」

「ついに正体を現したね、女狐」

 ぎり、と最上は歯を食いしばる。ソフィアを人質に取ってくる可能性は考慮していたが、この場合は対策が立てようもない。最上の事情に通じている人間なら、最上ではなく弱いソフィアを狙う。

「ちなみに私を殺しても、今から逃げようとしても無駄よ。私が死んだら外の人間がこの施設を爆破する手はずになってるし、五つある脱出通路は全部押さえたわ」

「僕が仮に逃げようとして、爆破したら君も死ぬでしょう?」

「それも覚悟の内よ」

 そうなのだろう。地下に来たということは、そういうことだ。

「だから、中に入れて私の話を聞いてほしいの」

 時間稼ぎに話を聞き、隙を見つけて逃げるなり殺すなりしよう。最上はとりあえず中に入れることにする。

 ドアの鍵を開け、外にいた人物を目で捉える。

 一人だと思っていたが、二人いた。

 一人は着物を羽織った少女。下駄を履いているのはこの少女だ。こちらは間違いなく最上と話していた西天心だ。下駄がなければ女の平均的な身長であるソフィアよりも低い。全体として和を強調した着飾りだが、着物は普通の物とは変わっていて、ミニスカートのように膝の上で切れている。他に、桜の花飾りが流れるような黒髪に付いているのが特徴的だ。目は大きく、目じりの方が垂れ気味で優しげな印象を与える顔立ちだが、おどしの言葉を吐いているのはこの女に間違いない。

 そしてもう一人。完全に気配を殺していた男。

 歳は二十代前半だろうか。影のような男だ、というのが最上の第一印象だった。連日三十五度を超える猛暑にも関わらず全身黒装束で、マフラーに加えて手袋まで装備している。癖のある黒髪に、脱力感を感じさせる力の抜けた目つき。口元までマフラーで覆ってるせいで表情が伺い辛い。

「あ、この人は私の夫で、朧火おぼろびくんね」

「よろしく、心の夫だ」

 ころり、と男の表情が変わった。マフラーの端からにっと上がった口角が見える。『陰気そうだ』という第一印象が崩れ『胡散臭い奴だ』に変わった。

「色々突っ込みたいところはあるけど、入りなよ。ただし、ソフィアには手を出すな。出したら殺すから」

「わかってるわ。朧火くん、ロリっ子だけど、手を出したらダメだから」

「はは、わかってるって」

 朧火と西天は夫婦みたいだが、西天はせいぜい高校生ほどの見た目だ。二人を常に視界に入れ、動作を観察し、情報を集めながらも最上はリビングに案内する。そして四人用のテーブルの一辺に二人を座らせた。

「妹さんはどこかしら?」

 ソファの背もたれからソフィアが顔を出す。

「わっ、おにぃ、その人たち誰?」

「うおやっぱ生で見るとさらにかわいげふっ!?」

 声を上げかけた朧火の鳩尾に西天が肘を入れていた。

「お客さんだよ」

 ソフィアは恥ずかしそうにソファの背もたれに顔を半分ほど隠す。ソフィアが初対面の人に弱いのは昔からだ。

「私、ソフィアちゃんとお話ししたいのだけど、いいかしら?」

 西天の笑みが、最上には裏のあるものに見えてしまう。

「う、うん。いいよ」

 けれども、ソフィアがそう言うなら断る理由もなかった。ソフィアの近くにいられるならば、二人の攻撃からソフィアを完全に守りきる自信があった。

 ソフィアを抱き上げて運び、西天たちの対面の椅子に座らせ、最上はソフィアの隣に座った。

「あ、お話しの前に。最上くん、もしかして料理中じゃないかしら?」

「そうだけど、君たちが来たせいでそれどころじゃなくなったんだよ」

「そ。なら、私が作ってくるわ」

「……」

「毒なんて盛らないわよ」

「信用できない」

「んーそれもそうね。なら、こうしましょ」

 突然立ち上がった西天は、着物を脱ぎ始めた。帯がするすると外れ、着物が徐々に剥がれていく。着物で覆われている部分と、露出していた部分の日焼け具合の違いが露わになる。

「なにしてるんだよ!」

「おにぃ、めっ! 見たらだめ!」

ソフィアに最上は目を覆われた。

「ソフィアちゃん、私、何も持ってないわよね?」

「持ってない! 持ってないから早く服を着てよ!」

「これで文句ないわね。作ってくるわ」

 着物を再び着るような音がしなかったので、裸のまま西天はリビングを出ていったのだろう。ようやくソフィアが最上の目を塞いでいた手を放す。朧火だけがリビングに残っていた。

 片方を消すチャンスか? 最上はそう考えたが、手を出せないでいた。

 目の前の朧火は、ひょうひょうとしているようで隙がない。暗い井戸を除くかのような底知れなさがあった。負けるとは欠片も思っていないが、瞬殺できるかを考えたら測りきれなかった。瞬殺できずに外の人間に朧火の死が伝わり、爆弾を使われたら、元も子もない。もう少し様子を見ることにする。

「妻が他の男を前にして裸体を晒してたね。とんだ痴女だよ。気分はどう?」

 悪口を言ったつもりだった。

「子供に心の裸を見られたってなんとも思わんな」

「女って、西天は大人扱いかよ。僕の方が西天より年上でしょう?」

「最上は十七歳だっけな。ああ、心は十六歳だよ。だから?」

「それでも僕が子供だと?」

「確信したぞ。歳で大人云々を語るようじゃ、まだまだガキだ。心は立派な大人だがね」

 二人そろってどこかずれている。ある意味お似合い夫婦なのかもしれない。

「でも、俺は子供のままでいいと思うぞ」

 ちらっと朧火はソフィアの方に目を向ける。マフラーの上からでもわかるくらいに、口元がにやけているのが最上にとって不快だった。

「ああ、僕はお前の目をとっても潰したい」

 にやけていた朧火が不意に真面目腐った顔を作り、姿勢を正した。あわわ、と言ってソフィアが最上の目を塞ぐ。

 西天が鍋を持ってリビングに戻ってきたのだ。

「は、はやく服を着てくれないかな? こんなのおにぃに見せられないよ!」

「別にソフィアちゃんの最上くんを誘惑したりはしないわよ」

「いいからはやくぅ!」

「かわいいわね、ソフィアちゃんは」

 ソフィアの手が最上の目から離れた時には、鍋はテーブルにあった鍋敷きに置かれていて、西天は着物を着直していた。それから西天は、母親が食事の準備をするかのように食器を持ってきて、お玉で皿にシチューを入れていった。しっかり四つ用意しているので、部外者二人も食べる気まんまんのようだ。

「おにぃ以外の人と食べるの久しぶりだよ。いただきまーす」

 警戒することもなくソフィアはスプーンでシチューをすくいはじめる。

「おいしー!」

「そう、よかったわ」

「作ったのはほとんど僕だけどな」

「気にしない気にしない」

 最上の言葉なんておかまいなしに西天はにこにこ笑って、自身もシチューを食べる。僕達の貴重な肉を食うなよ、と最上は言いたかったが、あえて黙っておく。世間一般では同種喰いなんて禁忌だ。人を食べることに慣れた最上だって食べたくて食べているわけではない。必要だから食らうのだ。今でこそ慣れたが、同じ人を食う辛さを知っている。

(後で種明かししてやる)

 人間を食ったことを、死ぬほど後悔して吐けばいい。

「食べながらになるけど、本題に入りましょうか」

 少しして西天がこう切り出し、最上は身を固くする。

「二人には私たちの組織、ファミリーに入って欲しいの。お願いよ」

「脅迫の間違えじゃない?」

「この際、どちらでもいいわ」

「僕達を引き入れようとする理由なんて、利用するためでしょう? どうせ」

「違うわ。その辺りに誤解がありそうね。私たちは単にあなた達に普通の生活を送ってもらいたいだけなの」

「普通の、ねぇ。確かに虚構科学研究所に追われる生活はめんどくさい。けど、どうして赤の他人の僕達を助けようとするの? 理由がない」

「理由ならあるわよ。私たちの子供だから」

「はぁ?」

「あなた達は血がつながってなくても、私たちの子供よ。誰が何と言おうともね。親が子の幸せを願うのは当然でしょう? 今のあなた達の状況ははっきり言って見過ごせないわ。幸せになる権利があるはずなのに、危険な目にばっかりにあってるなんて、理不尽よ。私たちの組織に入ったら、幸せな生活を約束するわ」

「無茶苦茶だ。僕達は君の子供じゃない。意味がわからないよ」

 微笑んだ西天は最後の一口を食べてスプーンを置いた。

「ま、信頼云々を築くなんて今は無理だろうから、利害だけの話をするわね」

 彼女は人差し指を立てた。

「まず一つ。入ってくれたら私と朧火くんがあなた達を全力で守るわ」

「二人とも僕より弱いでしょ?」

「そうかもしれないわね。で、二つ。もちろん衣食住は保証するわ」

 三本目の指が立つ。

「食の対策もするわ」

 二度も言われる食事の話。

「あなた達は、食人体質なのよね?」

「……そうだよ」

「今、ソフィアちゃん立てないくらいに弱ってるみたいだけど、私たちのところに来ればソフィアちゃんが普通に生活を送れるだけの食料を常に用意するし、もちろん最上くんの分も用意するわよ」

「……」

 食料が足りないのは、確かに深刻な問題だ。人の死体を持ち帰るのが、虚構科学研究所の襲撃のせいで困難になってきている。歩けないだけでも芳しくないし、これからもっと悪化するかもしれない。

「この中に入ってたのも人の肉ね」

「……知ってて、食べたんだ」

「子供と同じご飯を食べるって決めてるの」

 なんでもないことのように、西天は言った。朧火の方も、当たり前のようにシチューを完食している。

 最上を信頼させるためのパフォーマンスかもしれない。疑ってみたけれど、二人のこの行動に、思索や意図をどうやっても最上は見出せなかった。

 隠れ家に爆弾を仕掛け、さらに逃げ道を潰すほどに徹底的に仕掛けてきたのに、本当にただ最上とソフィアにファミリーに入ってほしいだけのように感じられる。 

 いったい何を考えているのか、最上にはわからなかった。西天の裏側が読み取れない。

 けれど、少しだけ、話しに乗ってみてもいいと思えた。

 どちらにせよ、この場を脱するにはファミリーに入るしか手は残されていないのだが、それだけでなく、ファミリーに興味が湧いた。

「今まで言ったことに、嘘はないね?」

「ないわ。あ、いえ、嘘があったわね。爆弾しかけたって言ったのは嘘よ。ついでに脱出口を塞いだってのも嘘」

 クエナイ女だ。

 二人を殺して脱出することも容易くなった最上だが、あえてそれはしなかった。

「ソフィアはどうしたい?」

「ボクはおにぃについて行くよ。どこに行くとしてもね」

「そっか」

 大人の塊である組織はもっての外だ。

 けれど、ファミリーに入ってみて様子を見てから決めてもいいのではないのか。はじめて組織に入ってみてもいいと思えた。

「わかった。ファミリーに入るよ」

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