第五章「英語教師源雅(後編)」


「それで、今日もお疲れ気味なんですか?」


「……まぁそうですね」


 白衣を羽織った黒髪の女性は、おっとりとした笑みを浮かべながら私の前にお茶を置いた。


 私は疲れきった表情を隠す事無くお茶をすする。


 いつも通り授業をこなしていった私は、放課後保健室にいた。


 体調不良というわけでなく、赴任以来、授業を終えるとここの主に会うのが習慣となっているのだ。今日もその記録は更新されたわけで。


 ここの主である白衣を羽織った女性の名前は一橋 渚といって、年齢は私と同じ二十六歳。この学校の保健医をしている。同僚の中では一番仲の良い間柄と言ってもいいだろう。


 保健医と言ったけど、正確には彼女の役職は養護教諭という。しかし周囲や私自身は保健医という単語の方が彼女に似合うような気がしているのでそう呼んでおり、彼女の方でもそう呼ばれる事に特に異議を唱えてはいなかった。


 朝は会いたくないだのなんだ言ったものだけど、結局は放課後にはここに来ていたのは、なんだかんだ言いつつも、ここがというより彼女こそが地球おける唯一の私の居場所のようなものだからであろう。


 おっとりとした雰囲気を持つ女性で、容貌も雰囲気を裏切る事無く、春の木漏れ日のようなとか初夏の穏やかな日差しとか、そういう表現が似合いそうな柔和で繊細な面差しをした、甘井先生とはまた違ったタイプの美人であった。


 白衣や眼鏡といったオプションも、彼女の魅力に彩を添えていたりする。ウチんとこの馬鹿ならその辺熱く語れそうだが私はよくわからん。


 性格の方も朗らかさと天真爛漫さを調和させたような女性で、近くにいて妙に落ち着く。そりゃもうマイナスイオンでも放出してるんじゃないかというぐらい。


 癒し系などと言うと陳腐な表現となってしまうが、彼女はまさしくそんな人物であった。


 保健室には連日彼女目当ての生徒が絶えず出入りしており、一部では「あの保健室に居る生徒の八割は仮病だ」などと言われたりしているものだが、渚先生個人への陰口が出てこないのは人徳というものだろう。


 しかし、この仲の良い同僚すらも私には頭痛の種であった。


「まったく、毎日馬鹿騒ぎに振り回されて疲労困憊ですよ。高校生なんだからもう少し落ち着いてもらいたいもんですよ」


「雅先生も昼夜問わず教え子の、特に五人に振り回されて大変ですね。お疲れ様です」


「……」


 そうなのだ。今の発言から分かるとおり、彼女は私の素性を知っている唯一の地球人なのだ。


 遡ること侵攻開始初期の頃、迂闊にも私は転送装置で地上に降り立つ所を目撃されたのだ。しかも着替えを片手に持った軍服姿を。


 この場合は秘密を護るために殺すなり記憶操作をするなりの処置を施すのが常識だけど、どうにも彼女は人を自分のペースに乗せるのが上手いらしく、実行する出鼻を毎度ながら挫かれてしまうのだ。そんな事を繰り返しながら今に至るんだけどね。


 これだけなら機密保持的にはマズイとはいえ個人レベルの話なので大した問題ではないんだけど、その後の戦いや情報収集で判明したことに、彼女はあの五人の戦士と深い関係にある人物なのだ。


 私達を撃退する為に結成された地球防衛組織EDC(earth defense corps の略)その副司令官が彼女なのだ。


 どうしてそんな重要人物が暢気に保健医なんてしてるんだよとかいうのは置いといて、そういうわけなので五人の苦しい授業離脱理由は彼女の裏工作によって正当化されているのだ。正当化されてるのか甚だ疑問ではあるけど。


 未確認情報なのだが、どうも保健室のどこかから奴らの基地ないし移動手段の格納庫に繋がっているらしい。どうりであいつ等途中退席から現場急行までが早い筈よ。


 というよりも学校にそんなもの勝手に設置していいのかよ。あいつ等卒業した後とかどうするんだよ。と、今はそのことを置いとくとして。


 まぁ、つまりは私と彼女は敵同士になるのよね普通は。


 でもこうして茶を飲んでいる現実があるわけで。


 其の事に関しては、私自身も「なにやってんだ私」な気持ちがないわけではないのよ。でも、何故か止める気は起きない。不思議な気分だ。


 それでもこんな会話はしてしまう。


「渚先生。貴女からも一言あいつ等に言ってやってくれませんかね? 痛い目に会いたくなければ少しは大人しくしてろと。贅沢は言いませんよ。せめて数日は何もしてくれるなと言いたいですな」


「多分無理ですよ。彼らの正義を愛する心は雅先生も御承知でしょうに。それこそ、先生方もたまにはお休みになられたら如何です? いつもみたいに痛い目におあいしたくないならば」


「……言いますね」


「そりゃもう。一応正義の味方ですから」


 邪気のない微笑みを浮かべながら、渚先生は自分のカップにお茶を淹れた。何もかもを受け流してしまう雰囲気を持つこの保険医にこれ以上の舌戦を挑んでも無意味と悟った私は再びお茶に口付けた。


 紅茶のいい香りと消毒液やベッド、薬品などの匂いが混じりあった保健室特有の匂いが鼻腔を擽る。適度に効いたエアコンの風が心地良くて、私は気の抜けたような溜息を吐き出した。


 渚先生はニコちゃんマークの如く柔らかな笑顔を浮かべてそんな私を見つめている。見られてるけど不快感は生じなかった。


「なーんか調子狂うわ……」


 この空間に居心地の良さを感じつつも、私はこの星に来て以来数百回は呟いたであろう言葉を呟いたのだった。


 私はカップに口をつけながら横目で窓の外を見た。


 窓の外から見えてくるのは、ありふれた街の風景。学校のグラウンド近辺に建っている住宅やビル。道路を走る竿竹売りの小型トラック、歩道を犬連れて歩く老婦人の姿なぞも見えて、実にどこにでもある光景だ。


 そんな場所から少し離れた所には緑に包まれた小高い丘がある。


 その小高い丘の背後には、巨大な軍事要塞が威圧的な存在感を示しながら聳え立っていた。嘘でもジョークでもなく、静かな住宅街とさして距離が離れていない場所に建設されていた。


 地球の伝説にあるバベルの塔とやらを彷彿とさせる天高く基地中央に聳えるタワー、戦闘機一ダースを横一列に並べて同時発進出来そうな幅広さのある滑走路、コンクリートと機械で固められた建物の数々、それらの周囲を警護する幾種類もの対空火砲。どこの国でさえこれ程の規模の軍事基地は存在しないであろう。


 ……OK。ここはアメリカ軍が駐屯している厚木でも横田でも佐世保でも、ましてや沖縄でもないわ。東京某所にある平凡極まりないどこにでもある街よ。日本はまだ一応は軍国主義の道を驀進していないわ。


 では窓の外から見えるアレは何かと言うと、我らが宿敵アースファイブ達の基地である。


 基地の名前は「アースベース」という。解りやすいと好意的解釈をすべきか安直だと非好意的解釈をすべきか個人差のある名前だ。ちなみに私は迷いもなく後者である。


 調査して判明したのだが、この基地は私達クァークゴ帝国がやってくる以前から「来るべき宇宙からの侵略へ対応する為の備え」として建設されたという。建築費や維持費などは日本とアメリカを中心として、世界各国からの援助だ。


 しかもここが本部ときたもので、選定理由は「日本が一番侵略者達の出現或いは降り立った土地であるから、次の奴らも日本に来るであろうから」というものだ。


 こうして私らが来たからいいものの、いつ来るか解らない侵略者の為によくもまぁ金出して建設する気になったもんよね。


 来なかったら最大級の無駄遣いだし。大体各国のお偉いさんも宇宙からの侵略とか真剣に耳を傾けてんなよ。幾ら過去に何度も地球侵略の危機に見舞われてるからって、普通信じねーだろうが、んな与太話。


 さらに私にとって舌打ちしたくなるのが基地の所在地である。


 別に前人未到の山奥に建てろとは言わないわよ。ただね、なんでああも堂々と目立つように建っているわけよ。


 狙ってくださいって言ってるようなものじゃないのよ。まぁ、そういう意味では、攻撃の心配がないからって私らの基地も地球の衛星軌道上に姿隠さずに浮いているわけだけど。


 そもそも基地周辺の住民は抗議も何もしなかったわけ? こんな馬鹿みたいな軍事基地建設されたのに何も言わないなんて、寛容通り越して馬鹿よ馬鹿。こういう時こそ、現実見ないで抗議すれば正義とか思ってるような平和団体とか反戦団体とかが集会開かないの?


 開くだろうが普通ならよ。


 どいつもこいつも軍事基地を生活の一部のように受け入れてんじゃねぇよ。


 毎度のように妙ちきりんなメカ発進させてるのに何で誰も何も言わない。金か? それとも弱みでも握られてるのか? もしかして洗脳でもされてんのか? そうじゃないと説明つかねぇよ。絶対おかしいって!


「雅先生?」


 声をかけられ我に返ると、渚先生が不思議そうに私を見つめている事に気づいた。どうやらいつの間にか黙り込んでいたらしい。


 いつも思う事とはいえ考えれば考えるほどにツッコミのドツボにはまっていきそうになった私は視界から基地の見える日常的非日常な光景を外した。


 転じた先に瞳に映ったのは、渚先生の仕事机の上に置かれている写真立てと中身。


 写真には、セーラー服を着た可憐な少女と、黒を基調とした気障ったらしいスーツを着こなしている伊達男風な青年のツーショット。腕なんか組んでとても仲が良さそうだ。


 少女の方は、高校生時代の渚先生。青年の方は近所に住んでいた彼女の従兄弟だったという。彼女は青年を「ユウキ兄さん」と呼んでいたそうな。


 ルックスもよく、何事も器用にこなし、おまけに喧嘩も強くて親切でと、彼女からすれば万能なお兄ちゃんだったようだ。


 幼少の頃からよく遊んでもらっていたそうだが、今はもうかれこれ七、八年は会っていないどころか音信不通なのだそうだ。


「時々心配しちゃうんですよね。ユウキ兄さん、元気にしているのでしょうかって」


 懐かしい思い出話を語った後、彼女はいつもそう言って話を締めくくる。


 曖昧に相槌を打ちながら、私は渚先生の従兄弟殿の話を聴く度に微かに眉間を皺寄せるものだった。


 何故? それは私が彼の消息を知っているからだ。


 知っているどころか、何度も顔を合わせたりしている。


 何故? それは彼もまた、クァークゴ帝国から地球を護っている戦士の一人だからだ。






 謎の戦士ブラックソルジャー。


 アースファイブとの戦いが一年目に差し掛かろうとした時期、奴は私達の前に現れた。


 あれは、地球侵略作戦第百四十三号(皇子命名「東京電磁波作戦」)を行ったときであった。


 電磁波怪人プーラズマの放つ電磁波により東京中の機械を狂わせ東京を混乱させるというシンプルな作戦。それを阻もうとしたアースファイブ達も高出力の電磁波を受けて能力が半減し窮地に陥ったのであった。


 いつもの力を思うように発揮出来ないアースファイブ達はたちどころに追い込まれて絶体絶命となっており、その光景を要塞ワルスギーのモニターから見ていた私は、邪魔な五人がついに倒される事に笑みを浮かべるのを抑えるのに苦労したわ。


「プラプラプラ! さぁ今日が貴様らの命日プラ。アースファイブ!」


 奇妙な笑い声を上げながらプーラズマはスタンガンのような形をした腕、電磁波発生装置をアースファイブに向けた。追い詰められたアースファイブは怪我を庇いつつ電磁波怪人を睨みつけている。最早忌々しい五色の戦士たちの命は風前の灯だと思ったわ。


 ところがそのときであった。プーラズマの後頭部に子供の拳程の大きさの石がぶつけられたのだ。


「だ、誰だプラ!?」


 後頭部を抑えながら誰何の声をあげるプーラズマの上から高らかに、しかし場違い極まりない軽快な音色が木霊した。


 高いビルの屋上からサックスを吹き鳴らしながら、太陽の光を背にして現れた男。


「俺はブラックソルジャー。群れて馴れ合う気はねぇが、侵略者共を倒す為に助太刀するぜアースファイブ」


 言ったと同時にサックスを放り投げビルから飛び降り、黒の全身タイツとプロテクターを装着した姿に変身し、アンドロイド兵を叩きのめした。その立ち居振る舞いは歴戦の戦士の風格を漂わせていた。


 一人となったプーラズマがブラックソルジャー目掛けて突進するも、彼は落ち着き払って左腰のホルスターから折りたたみ式の剣を取り出し迎え撃つ。


「ソルジャーブレード!」


 素早くも重い斬撃をプーラズマに叩きつける謎の戦士。相手の素早い攻撃は、電磁波怪人に得意技を発動すらさせずに翻弄していた。


「クロススラッシュ!」


 高エネルギーを宿した剣がプーラズマを十字に切り裂いた。ブラックソルジャーの技は見事に決まり、アースファイブを追い詰めていた電磁波怪人は突如現れた黒い戦士によってあっという間に倒されたのであった……。






 アースファイブや渚先生、果ては私んところの馬鹿上司達は「ブラックソルジャー……何者なんだ一体」と本気で悩んでいるそうだが、私だけは奴の正体を知っている。


 だって写真そっくりだから。少し老けたのを除けば、容姿どころか、服も髪型も写真に写っていた当時と寸分違わずだったし。


 おまけに言うなら、戦場の真っ只中のビルの屋上でサックス吹き鳴らす神経してるって部分が渚先生の血族っぽいなと思ったから。


 つーか、それを抜きにしても、なんでお前ら正体不明って本気で思うんだよ。どう見てもあのスーツデザインってアースファイブの関係者じゃねーか。謎の戦士とかじゃなくて、アースファイブの六人目だろアレは。


 なんで誰も気づかないんだよ。渚先生も兄のように慕ってた従兄弟の顔忘れてるんじゃねーっての。少しは疑問とか持たなきゃ駄目だよ!


 大体どうして一年目の終わりごろに出てきてるんだよ。居るんだったらさっさと手助けしてやれよ。しかもなんだよ、群れる気はないとか言っておきながら、気がついたらアースファイブと常に一緒に戦ってるじゃねぇか。言動不一致じゃないか。


 つーか誰かそんな六人目にツッコミいれろよ! 疑問もてよ! 「何か知らんが仲間だ」な空気醸し出してるんじゃねーっての!!


 まったく、揃いも揃って気は確かなのかよ!?このボンクラ共めが!


「雅先生?」


 また自分の考えに意識を飛ばしていたらしく、声をかけられた私は顔を上げようとして驚きのあまり固まってしまった。


 渚先生の顔がかなり至近にまで接近していたからだ。吐息を肌で感じる程に。


 眼鏡越しに見つめてくる黒い瞳。真っ直ぐで、温かで、見つめられると心の鎧を優しく剥ぎ取られていくような、そんな感覚を覚えてしまう。こんな風に誰かと間近で見つめ合うなんて今までなかったから。


 って、私は何を言ってるんだ。何を。


「な、何故こんなに顔近づけてるんですか」


「雅先生ったら何度声をかけてもお返事してくれないので、もしかしたらお眠りになってるのではないかと思いまして」


「それで、顔を覗き込もうとしたわけですか」


「はい」


 私としたことがここまで接近を許しただけでなく、ここまで近づかれても気づかずに思案に耽っていたとは。たるんでいる証拠なのかもしれない。猛省しなくては。


 私は軽く咳払いをして彼女をさり気なく押しのけた。


「私はこの通り起きてますから、もう離れてもいいですよ」


「いえいえお構いなく」


 渚先生は押しのけようとする私の手を握って押し戻した。


 何がお構いなくなんですか。


 そう言い掛けたが、私は言わなかった。言っても無駄というのもあるけど、眼前で渚先生の笑顔を見るのは不快ではないから。何故かは解らないけどね。


 私が沈黙すると、渚先生は私の顔を飽く事無く見つめ続けた。


「……」


「……」


 互いにしゃべらずに至近距離で見詰め合う私達。傍から見れば誤解を招きそうな光景である。


 不快ではないが、理由も無く至近で見つめられていると心理的にも物理的にも落ち着かない。


「あの……何か私の顔についてるんでしょうか?」


「いえいえお構いなく」


 女神のようなふんわり笑顔の持ち主は先程と同じ回答を返してきた。


「何がお構いなくなんですか!?」


 ポケポケ笑顔に心の片隅で和みを覚えたのだが、それはそれとして、僅か一分足らずで、私は前言撤回をすることとなったのだった。


 このような不条理に満ちた奇怪な居心地良さと悪さを感じる日々を、私は繰り返しているのである。






 地球侵略部隊はもうすぐ侵略を開始して二年目に入った。


 成果はまったくといっていい程出ていなかった。

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