第172話 キミ、早く
「――私がお相手しましょう」
現れたのは、
たっぷりとしたベージュの髪をゆるく束ねた、人の女の姿をした魔物であり、その矢はダメージとともに異性のみ【魅了】を付与する効果がある。
「………」
カミュの顔は、一気に険しいものに変わっていた。
【第二召喚】のこの存在こそが、ゲームだった当時にカミュたちが攻略に難渋した原因であったのである。
が、守護する風の精霊の守りも異常なレベルで、詩織の斬撃はもちろん、糸の攻撃も簡単に軸をずらされて明後日の方向を攻撃してしまう。
そのうちにカミュに矢が当たって【魅了】されてしまい、気づいたら死に戻りさせられているのが常であった。
「キヒヒヒヒ……」
明らかにカミュに余裕が失くなったのを見てとり、【
「はじめまして。お二方」
その様子もさることながら、この魔物は上半身にワインレッドに輝くハーフプレートを身に着け、下半身は足首までの緩やかな白のカーゴスカートを穿いており、傍目からは人間の女にしか見えないほどであった。
「そこの木の陰にいろ。あれは最初に男を狙う」
カミュが厳しい表情のまま、それと対峙する。
「お、お前はどうするのだ」
「さばいて時間切れを狙う。早く」
カミュはノヴァスを隠れさせると、
「へぇ、私を知っているようですね」
左脚を前に出して構えると、前にスリットの入ったカーゴスカートから、上太ももまでが露出した。
(……躱し続けるしかない)
カミュはわずかに腰を低くし、避けに専念する体勢を取る。
以前、カミュはゴッドフィードという弓の使い手と戦ったことがある。
一度目は全サーバー統合PVP大会、二度目はリフィテルを守りながらひとりで戦っていた際のこと。
彼も最終職業【闇の
されど、この
とにかく風の精霊と異様に親和が強く、放たれる矢の速さが段違いだったのをカミュは覚えている。
(いや、今なら脅威ではないはずだ)
かつてと違い、今のカミュはステータスが大きく伸びている。
【女教皇】戦で手に入れた、二段で回避できる靴もある。
最悪倒せなくとも、躱し続けられれば勝算がある。
実際にカミュが見たわけではないが、ゲームだった頃、詩織が長く生き残れた時にそう言っていた。
それに万が一、矢を受けても今は【魅了】を防ぐ手立てがある。
そう、『アルマデルの仮面』である。
これにより、85%で魔法効果を無効化できるのである。
(……85%……)
十分に高い数値だと理解できる。
しかし、残る15%がどうにもできない。
それがカミュの背中をぞっとさせるのである。
(大丈夫だ……)
俺がやるのは、ただ矢を躱すだけのこと。
ことは、当たりさえしなければよいのだ。
「――では参ります」
弓が水滴を倒したような形を作り、キリキリと音を立てた。
魔物扱いでありながら、凛とした姿は無駄に美しい。
まとう雰囲気はどこかしら彩葉に似ている、とカミュは感じていた。
「――矢に風の愛を」
ヒュン、と音を立てて、矢が放たれる。
そのとたん、風がいっせいに矢に巻き付き、ぎゅん、と加速してカミュへと向かう。
「―――!」
ノヴァスは木の陰で覗き見ていたが、加速する以前から矢が全く見えなかった。
明らかに速度が異常であった。
「む、無理だ!」
目の色を変えるノヴァス。
「キーッヒッヒッヒ!」
勝ちを確信し、高らかに笑う【
その一方で、カミュは瞬きもせずに飛来してくる矢を睨み、全力で躱しに行く。
「―――!」
そこでカミュは、はっとした。
ひらひらするものが、カミュの目の前を横切ったのである。
直後、どういうわけか、矢は明後日の方向へと逸れ、離れた木に突き刺さった。
「………えっ?」
「……どうやったのですか」
外されたことを知った
「………」
カミュはそれには応じず、目の前をひらひらと落ちていくそれを、手の平で受ける。
それは、退紅色の花びらだった。
まもなくして、一枚だった花びらが、カミュの周りを一枚、また一枚と増えて舞い始める。
「……こ、これは……」
初めて目にするノヴァスは、その美しさに息を呑んでいた。
控えめながらも淑やかな香りが、ノヴァスのところまで優しく香っている。
「矢に風の愛を」
しかし、させまいとばかりに、舞い踊る花びらが向きを変え、やってくる矢に向かって渦巻いた。
そう、大きな盾となるように。
矢がその中心を突き抜ける。
花びらの渦が矢の力をすべて受け止めるように、ぱっと舞い膨らんだ。
「………!」
そこで、驚くべきことが起きた。
花びらの渦の中で、矢がぴたり、と静止しているのである。
「……ど、どういうこと……!?」
さすがの
こんな現象は初めて目にする。
明らかに、なにかがあの男を守っている。
【風】の力では打ち破れぬ、なにかが。
「………!」
立ち尽くしていた
花びらの中から何者かが現れ、白くほっそりとした腕を伸ばし、その矢を掴んだのである。
音もなく、地面に降り立つ。
それは女であった。
さらりとしたストレートの黒髪は背に流されている。
肌は白く、目鼻立ちは愛らしく整い、まつ毛は見惚れさせるほどに長い。
黒地に赤で縁取りされた、膝上までのワンピースを着ており、すらりとした脚は黒い蝶柄のストッキングで覆われている。
ほっそりとした体つきでありながら、大きく膨らむ胸と腰下がそのスタイルの良さをありありと感じさせていた。
そう、亞夢であった。
亞夢は呼び出しを待たず、カミュの危機を回避させるために自ら現れたのである。
「亞夢……ありがとう……」
カミュは感謝を口にしながらも、いつものようには言葉が続かなかった。
もちろん、出てきてくれたことに驚いたのもある。
しかしそれ以上に、亞夢が化粧をしておらず、衣服もかつてと違い、年頃の女性らしいものに変わっていたことにカミュは驚いていたのである。
亞夢はカミュに振り向かず、カミュの前に立つようにして
「何者」
ヴァルキリーが現れた女を睨み、弓を向ける。
「彼は渡さない」
亞夢は矢を捨てながらそう言い、問いかけには答えない。
「もしかしてあなた……レイドボスなの?」
「………」
その性格を表すように、亞夢はただ静かに距離を詰める。
歩いた先の石の上で、彼女の足元がカラン、と音を立てた。
「いいでしょう。何者であれ、この私の邪魔は許さない」
全く返事をしない相手に諦めたのか、
「これで終わりよ」
三本の矢は亞夢を無視し、カミュに【魅了】を付与せんと弧を描いて飛来する。
「――渡さないと言ったわ」
亞夢の姿が、ぶれる。
直後、水面が波紋を描くほどの時間で、矢は全てが叩き折られていた。
「……そんなに死にたいのね」
「わかりました。まず邪魔すぎるあなたから始末します」
【魅了】はないものの、【命中率加算】があり、当たると低確率だが【眠り】を付与することができる矢である。
放たれた矢は亞夢の微細な動きにも追尾し、迫ってくる。
「―――!」
それでも亞夢は柔らかく体を捻り、躱してみせる。
躱しざま、地面を蹴って跳躍をはさみ、攻めに転じた。
20メートル以上の距離をものともせず、一気にヴァルキリーの懐に飛び込む。
「なっ」
まさかこの距離から攻められるとは思わず、ヴァルキリーは反応が遅れる。
――速すぎる!
電光石火の肘打ちが、眼前に迫る。
それでも
もはや見栄えなど気にしている余裕もなく、両太ももを大きく晒しながら。
「あなた、まさかその下駄」
乱れた裾を直しながら、
「……ィィィ!?」
【
「ど、どうしてあなたがそれを」
すっかり顔色が悪くなった
「逃げられないわ」
亞夢は手に羽団扇を取り出すと、ヴァルキリーに向けて突きつける。
「そ、それは!?」
「――古き
直後、
「……り、【
さすがの
この技を使える者は、世界にひとりしかいないのである。
そのまま、
「な、なぜ羽団扇まで」
「考えたら、わからない?」
「………」
美しく整ったその顔からは、血の気が完全に引いていた。
認めざるを得なかった。
この女は恐ろしく格上の存在であることに。
「――見えたわ」
その腕に力を込めたままの亞夢が告げる。
「名は『ノエル』。『ノエル・フィル・ヨルムンガルド』」
「……なっ」
頭が真っ白になる
主の【
亞夢はゼロのアルカナ【
「キミ、早く」
「――感謝する」
気づいたカミュが、空いている指輪をかざす。
「『死すべき定めより解き放ち そして我が指に宿りし……」
指輪の怪しい輝きに、
刹那、自身を取り巻く気配がそれっぽくなり、そのまさかが現実になろうとしていた。
「――おのれぇぇぇ――!」
裏返るほどの怒声を発しながら、暴れ出そうとする
それが【第二召喚】の魔物としての最後の言葉になった。
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