第171話 部下召喚



 そうやって、【多足の怨念植物マンドラゴラ・スキュラ】は、男の後ろにいる女に目を向けることになる。


「………!」


 マンドラゴラと目が合ったノヴァスは、はっとして小さく後ずさった。


「キィー!」


 間髪入れずに、【多足の怨念植物マンドラゴラ・スキュラ】が、再生したばかりの蔦を仕向ける。


 3本が勢いよく伸びる。

 しかし先程までと違い、蔦は地面を割り、地中を走った。


「ノヴァス!」


 カミュはすぐにマンドラゴラの狙いを見抜き、叫んだ。

 その予想通り、蔦はカミュを完全に無視してその横の地面を素通りしていく。


 ゴゴゴ、と盛り上がる地面が、ノヴァスへと一直線に伸びていく。

 距離が軽く30メートルを超えても、蔦は勢いを失わない。


「むっ」


 這っていった蔦は、ノヴァスの足元から突き出るように飛び出した。

 ノヴァスは当然のように飛んで躱そうとする。


 カミュが舌打ちした。


「――キッヒッヒ!」


 マンドラゴラの狙い通りであった。

 待ち構えていたように、残りの蔦がぐん、と伸展し、空中のノヴァスへとその触手を伸ばす。


「きゃっ!?」


 マーメイドスカートから伸びた白い脚に一本の蔦が巻き付き、ノヴァスを失速させると、次々と蔦がノヴァスの身体に絡みついた。

 そのまま、ノヴァスを近くの大木に叩きつけんと、蔦がしなる。


「くっ」


 大木がノヴァスの眼前に急速に迫る。

 ノヴァスはやってくるであろう衝撃に息を止め、目を固く閉じた。


「………」


 しかし、顔や胸にやってきた衝撃は、やわらかく温かいものだった。

 痛みもなにもない。


「……えっ」


 ノヴァスが目を瞬かせる。

 そう、身体はカミュが受け止めていた。


 見ると、絡みついていた蔦は力を失い、だらりと垂れている。

 ノヴァスを掴んでいた蔦は、いつのまにか切断されていたのである。


「――キィィィ!」


 すぐさま、3本の別の蔦が動いた。


 メキメキメキ、という音。


 蔦は近くにあった大木を折り、二人をその下敷きにしようとしたのである。


「――掴まれ」


 カミュはノヴァスを正面から抱きかかえると、跳躍してそれを躱した。


 一瞬前まで二人が居た場所を大木が音を立てて通り過ぎる。


 カミュは大きめに距離を取り、【多足の怨念植物マンドラゴラ・スキュラ】から離れて着地する。

 地面に立つや、カミュの背中から、じゅっと煙が上がった。


 案外狭いな、とぼやきながら、カミュは虫にさされたかのように背中を掻く。

 限定されたエリアのせいで、カミュの背中に見えない壁が触れ、警告のアナウンスとダメージが発生していた。


「ノヴァス、大丈夫だったか」


 カミュが抱えたままのノヴァスに声をかける。


 直後、パァァン、と乾いた音が響いた。


「――私に触るなッ!」


 ノヴァスは、顔を真赤にして怒っていた。

 カミュを突き飛ばすように離れようとする。


 だが、カミュは抱きかかえた手を緩めない。


「今、天秤にかけているものが何か考えろ」


「――うるさいっ! お前に触れられるなら死んだほうがましだ!」


「カジカはお前の死を望んでいない」


 淡々と返される言葉に、ノヴァスがはっとする。

 カミュは構わず、ノヴァスを抱く腕に力を込めた。


「いくら嫌われようと、お前は死なせはしない」


 言いながらも、カミュはもうノヴァスを見ていなかった。




 ◇◆◇◆◇◆◇




「キヒヒヒ――!」


 老婆は喜悦に顔を歪めていた。


 エリア制限に追い込んだ好機を逃すまいと、蔦を再生させながら人間に迫る。


 予想していた通りであった。

 人間の女の方は、大したことがない。


 あれなら、たやすく捉えて手駒にできる。


 人間というものは、愚かなまでに情が深い。

 自分の身よりも、他を案じて大切にしようとする。


 女を人質にしてしまえば、男を殺すことも、そう難しくはないだろう。


多足の怨念植物マンドラゴラ・スキュラ】が再び、再生した全ての蔦を仕向けようとした、その時。


「――いつまでも好きにできると思うな」


 カミュはノヴァスを片腕に抱いたまま、壁際から飛びながら糸を放つ。

 5本の腕から放たれたあまたの糸が、【多足の怨念植物マンドラゴラ・スキュラ】に冷たく絡みついた。


「キィィ!?」


 放たれた糸は蔦を切り裂くのみならず、【多足の怨念植物マンドラゴラ・スキュラ】本体にも、斬り裂きが入っていた。

 緑色の体液があたりに散る。


 しかし、カミュはすぐさま絡みついた糸を戻す。


 気が変わったのではない。

 ダメージ量を加減するためである。


多足の怨念植物マンドラゴラ・スキュラ】は受けるダメージが一定値を超えると、強力な部下を召喚してくる。


 それがHPの66%、33%と二段階に渡って行われるため、一気に大きなダメージを入れて削りすぎると、部下が二体出現し、同時に相手にしなくてはならなくなるのである。


「キィィィ――!」


 大きく飛び退いた【多足の怨念植物マンドラゴラ・スキュラ】が金切り声を発する。


 それが引き金となった。


 突如、ゴゴゴゴ、という轟音を立てて、大地が割れた。

多足の怨念植物マンドラゴラ・スキュラ】の第一召喚が始まったのである。


 ちなみに、部下召喚中の【多足の怨念植物マンドラゴラ・スキュラ】は継続して【召喚維持】が必要となるため、自身は一切攻撃を行えず、せいぜい治癒程度になる。


「う……わ……」


 ノヴァスが息を呑む。


 割れた地面から熱気とともに現れたのは、逞しい体躯を持つ、四足歩行の魔物であった。


 体長4メートル超。

 頭部には左右にS字を描く角があり、目は燃えるような赤。

 その鼻と口からは、白い水蒸気をまとう熱い息が吹き出していた。


「ブオォォ……」


 体躯は厚い鎧のような深紫の皮膚で覆われており、四肢は盛り上がった厚い筋肉が敷き詰められ、さながら柱のように太い。


 ただの魔物とは思えぬ雰囲気をまとっているのは、周囲に石の礫をいくつもふわふわと漂わせているからであろう。


「べ、ベヒーモス……!?」


 ノヴァスが、呻くように呟く。


 その特徴的な角と目、なにより、礫を自在に操る姿。

 そう、これこそ土の【上位精霊】、ベヒーモスであった。


「そんな……こんなヤツまで……」


 ノヴァスが絶望で真っ青になる。

 震え出した身体が抱かれている男に伝わるとわかっていながら、止めることができない。


多足の怨念植物マンドラゴラ・スキュラ】だけでさえ十分に脅威なのに、こんな魔物まで相手取る余裕など、ノヴァスには全くなかった。


 そもそも、ノヴァスはベヒーモスなど見たことがなかった。


 一応、プレイヤーに【精霊使い】という職業枠はある。

 が、彼らが上位精霊を操っている姿は見たことがない。


 アルカナボス【女教皇】の討伐の時でも、炎精霊サラマンダー召喚がいいところだったと聞いていたくらいである。


「キッヒッヒー!」


 女の方の反応が想像通りだったこともあってか、【多足の怨念植物マンドラゴラ・スキュラ】はもはや勝ち誇ったように雄叫びのような咆哮を上げた。


「なんだ、ベヒーモスでいいのか」


 しかしカミュは逆に、安堵したように呟いた。

 抱えていたノヴァスを放し、背にかばう。


多足の怨念植物マンドラゴラ・スキュラ】は4体の魔物を配下にしており、一定ダメージを受けるごとに2体のうちから1体をランダムで召喚する。


 カミュはこの【第一部下召喚】で、もう一つの召喚獣である『蟻酸スライム』の方を警戒していたのだった。


 エリアがいつもより狭く限定されており、さらにノヴァスを守りながら戦う以上、蟻酸を霧のように振りまかれる方が厄介なのは間違いなかった。


「【死の十字架デッドリィ・クロス】」


 現れたばかりのベヒーモスに、カミュが5本の腕で容赦なく糸を放つ。


 ベヒーモスは重戦車タイプの魔物であり、高いHPと硬い皮膚で膨大なダメージに耐えることができる。

 だが逆に言えば、回避はいっさいできず、ダメージを無効化するシールドもなく、皮膚でのダメージ軽減しかない。


 カミュにとっては、スライムのように物理攻撃の殆どを無効化してくるような魔物より、よほど与し易い相手と言える。


 おまけにマスタリーを習得しているカミュは、35メートルまでをあっさりと射程範囲としてしまっていた。


「……ィ……?」


 距離を置いて呼び出したつもりだった【多足の怨念植物マンドラゴラ・スキュラ】は、攻撃が届いてしまっている様子に、開いた口が塞がらない。


「ブオォォ――!?」


 糸で斬り裂かれ、現れたばかりのベヒーモスが、脚を折って座り込んだ。


「……う、うそ……」


 ノヴァスが目を見開いた。


「オォォォ――!」


 早々だが終わりを悟り、最後の力で〈地獄への割れアース・ブレイク〉を放ったのは、さすが上位精霊といったところか。


 大地がゴゴゴ、と唸りながら、地面に亀裂が入る。

 亀裂は深く、湯気が立ち上ってくるその底には、ふつふつと滾る溶岩が真っ赤に光っていた。


 カミュはノヴァスを引っ張り、背中の見えない壁沿いに回り込むようにして、できた地割れから距離を取る。


「ノヴァス、割れ目に落ちないようにしろ」


 カミュは死に絶えたベヒーモスが作った大地の割れ目を顎で指す。


「……わ、わかった」


 先程の望みの通り、カミュから解放されたノヴァスだったが、顔色は蒼白のままだった。

 あまりにも、驚くことばかりが起きていた。


「さて、次だな」


 カミュが6本の腕で糸を放ち、加減したダメージを【多足の怨念植物マンドラゴラ・スキュラ】本体に入れる。


「キィィ――!」


多足の怨念植物マンドラゴラ・スキュラ】が、再び金切り声を上げて次の召喚を放つ。


 本来、この【部下召喚】というものは、勝ちを確信して攻撃してくる敵を驚愕させる『波乱の一手』のはずである。


 が、出るタイミングを知り尽くしているカミュが相手のため、今は完全に事務的に行われていた。


多足の怨念植物マンドラゴラ・スキュラ】の声に応じ、キィィン、という甲高い音を立てて、まばゆい光を放つ光の柱が、空へと伸びた。


 その光の中を、人のような姿をした何かが、静かに降りてくる。


「……さすがに二回目も、とはいかないか」


 カミュがそれを見上げながら、人知れず舌打ちをした。


 一番外れてほしかった召喚獣が、出てきてしまっていた。


「――私がお相手しましょう」


 現れたのは、森の聖なる狩り手オーバーン・ヴァルキリーと呼ばれる魔物であった。

 たっぷりとしたベージュの髪をゆるく束ねた、人の女の姿をした魔物であり、その矢はダメージとともに異性のみ【魅了】を付与する効果がある。


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