第170話 【剪断の手】

作者より

投稿したパソコンの不具合で、20時に投稿されておりませんでした。

大変申し訳ございません。アップいたします。


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「呼ぶまでここに隠れていろ」


 カミュはそんなノヴァスに背を向けると、あたりの気配を探りながら、油断なく建物の外に出た。


 外は雨が止み、土と緑の香りで満たされていた。

 雨は嘘だったかのように、空には雲のほとんどない晴れ渡った青が広がっている。


「探したぞ」


 次の瞬間、カミュの目が研ぎ澄まされる。


 窓から見えた位置。

 そこには、姿を擬態なく堂々と晒している魔物がいた。


 背丈は3メートルほど。


 上半身がしわがれた老婆の姿で、白髪を無造作に伸ばし、不敵に笑うその顔には無数のイボがある。

 薄汚れた着物から繋がる下半身は一変し、大木のような蔦がいくつも繋がっていた。


 まごうことなき、【多足の怨念植物マンドラゴラ・スキュラ】であった。


「キヒヒヒ……」


 下半身の蔦は自在に伸縮しており、素人目で見ても軽く20メートル超を射程とする長さがある。


「……こ、こいつが……」


 そこで、ノヴァスが遅れて現れた。

 息を呑む様子は、背を向けているカミュにもわかるほどであった。


「隠れていろと言った」


「私とて無力な女ではない。なにかできるはずだ」


 ノヴァスがカミュの後ろで剣を抜き、構える。

 アビリティ覚醒に伴い、ノヴァスの剣は青白い光をまとうようになっていた。


「不意打ちからの【也唯一】クエストはキャンセルできない。つまり、ノヴァスを外に出すすべがないということだ」


 カミュは魔物と向き合ったまま、軽く両手首を振る。

 キュィィ、と音を立てて、指からは細くきらめく糸がしなった。


「こいつからは逃れられないということか」


「そうだ。戦って勝つしかない」


 本来、【也唯一】の魔物は特定の森の中やダンジョン内の特定フロアなど、行動範囲が固定されている。

 体躯も大きく目立つものがほとんどで、遠くからでも認識されやすい。


 それだけに不意打ち判定は厳しい制限が課せられる。


 キャンセル猶予が与えられず、開始0秒から0.8倍に縮小されたバトルエリア制限を受け、『帰還水晶』や『ダンジョンリコール』なども一切起動できなくなってしまうのである。


 言うまでもなく、運営が定めたこの設定はデス・ゲーム化を前提としたものではない。


「私は【也唯一】のボスとは戦ったことがないのだ」


 不安げに告げたノヴァスに、カミュは背を向けたまま、心配ない、とだけ答える。


「できるだけカバーするが、蔦はあの倍以上に伸びてくる。死なないことを優先して立ち回れ」


「わ、わかった」


 ノヴァスが剣を握り直す。


 そんなノヴァスをチラと見て、カミュは湧き上がった不思議な気持ちに人知れず苦笑していた。

 いつも守られてきたノヴァスを自分の手で守ることに、どことなく違和感を感じたのである。


「これを持っていてくれ」


 カミュは後ろに向けて、あるものを差し出す。


「……これは?」


 ノヴァスは受け取ったそれを観察する。

 何の変哲もない、ただの手鏡に見える。


「奴が分身したタイミングで使う」


「……まさか、これで見分けられるのか?」


 ノヴァスが手鏡を覗き込む。


「ああ。ノヴァスの協力が――」


「――キーッヒッヒッヒ!」


 二人の会話に、奇声が割り込む。


「――下がれ! 来るぞ」


 先手は【多足の怨念植物マンドラゴラ・スキュラ】であった。

 老婆の口が甲高い声を上げながら、人間に向けて蔦を仕向ける。


 足元にある12本の蔦のうち、3本がぐん、と伸びた。

 蔦は鞭のようにしなって、様々な角度から襲いかからんとする。


 しかし、カミュは一歩も動かない。

 ここで動いてはならないことを知っているのである。


 カミュは以前にこの魔物と戦ったことがあり、その手の内はほぼ全て知っている。

 今、この蔦は攻撃するためではなく、脅かすために動いているのである。


 躱そうと宙に飛べば、そこが【多足の怨念植物マンドラゴラ・スキュラ】の狙い目。

 残りの蔦が、浮いたところをいっせいに掴みに来るのである。


 カミュは微動だにせぬまま、右手を突き出し、指に装備された糸を走らせる。

 そのまま、何かを振り払うように、軽く手をひねった。


 直後、突き出された3本の蔦が半ばから切断されて地に落ちる。

 ドサッと音を立てて落ちた蔦の先端が、苦悶するようにのたうつ。


「ィィィ!?」


 上半身の老婆が、ぎょっとする。


多足の怨念植物マンドラゴラ・スキュラ】は、目の前に立つ人間が何をしたのか、わからなかった。


 今も人間の手に、武器らしいものは握られていない。

 なのに、仕掛けた蔦は全て両断されてしまった。


 確かに陽動として動かしていた脚だったので、隙は多かった。

 しかし普通なら、ああやってあらゆる角度から蔦で脅かせば、相手はまず逃げる。


 生き物である以上、すべからく死を優先して恐れるからである。


 そうやって、今まで人間どもを含む弱小な生物をさまざまに襲い、同じ手口で喰らってきた。


 だが、目の前の人間はどうにも異質のようである。

 微動だにしなかっただけではなく、攻めに転じ、いとも簡単に両断してきたのである。


 だが、やりこめられその現実が、逆に老婆のプライドを刺激した。


 ――己はこの世界でまたとない【也唯一】の存在。矮小な人間ごときに、負けはしない――!


「キィィ――!」


多足の怨念植物マンドラゴラ・スキュラ】が吼えながら、再び攻撃に転じた。


 仕掛ける数が足りなかっただけのこと。

 今度は陽動など考えず、一直線に走らせる。


 そうやって老婆は、残る9本の蔦全てを一斉に仕向けた。


 ぎゅん、という風切りの音を立て、脚がカミュに突き刺さる勢いで伸びていく。


「危な――!」


 気づいたノヴァスが慌てて叫ぶが、そのまま、驚きに目を瞠ることになった。


 カミュの肩から、なにかが勢いよく生えたのである。


「……う、うそ」


 ノヴァスはもう一度、それを見る。


 なんとそれは、新たな腕であった。

 その数、4本。


 しかし腕と言っても、いずれも人とは思えぬ、異形のそれ。

 4本の腕が、カミュ自身のそれに倣うように糸を放ち、9本の蔦を迎え撃つ。


「………」


 ノヴァスが、戦いを忘れて立ち尽くす。


 直後、空中を不自然に舞うもの。

 ドサドサドサ、と地面に重たい音を立てて、落ちる。


 蔦は一本たりともカミュに届くことはなかった。

 全てが地に落ち、悔しさを示すようにのたうっている。


「……す、すごい……」


 ノヴァスは息をするのを忘れていた。

 ただ、勇ましく戦ってみせる男の背中を見つめ続ける。


「これが……」


 これがプレイヤー最強の名をほしいままにした、あの【剪断の手】か。


「キィアァ……!?」


 驚いたのは、ノヴァスだけではなかった。


多足の怨念植物マンドラゴラ・スキュラ】は斬り裂かれた痛みも忘れ、食い入るように、男の肩から現れた朱色の腕を凝視していた。


 それは酷似していたのだ。

 この世界を司る、とあるアルカナボスの腕に。




 ◇◆◇◆◇◆◇




多足の怨念植物マンドラゴラ・スキュラ】が呆然としている間にも、すさまじい勢いで切断された蔦が伸び、再生していく。


多足の怨念植物マンドラゴラ・スキュラ】は、今まで配下のマンドラゴラが死んで貯めた怨念の力で、自身を再生することができるのである。


 しかし、完全な状態に戻ろうとも、【多足の怨念植物マンドラゴラ・スキュラ】はさっきまでのように息巻く様子がなかった。


「キ、キィィィ……」


 心が恐怖で凍てついていた。


 目の前の人間の肩から伸びる、朱色の腕。

 それが、畏怖していた存在のそれにそっくりだった。


 そう、アルカナボスの一角、【愚者ザ・フール】の腕に見えるのである。


「………」


 老婆は瞬きも忘れ、食い入るようにその腕を見つめ続ける。


 ゼロのアルカナ、【愚者ザ・フール】。

世界ザ・ワールド】に次ぐ強大なアルカナとして、この世界では知らぬ者などいない存在。


多足の怨念植物マンドラゴラ・スキュラ】はかつて、【愚者ザ・フール】が支配していたエリアに居たレイドボスであった。


 服従していた手前、その姿形はその目で幾度も見て知っている。

 当然、その力の強大さも肌で覚えているくらいである。


「………」


 似ている。

 いや、あまりにも似過ぎている。


 朱の肌を持つ者自体、そうそういない。


多足の怨念植物マンドラゴラ・スキュラ】が知る限り、喰人鬼オーガの一種か、天狗の一種にしか存在しないのだ。


 その天狗とて、野に生息する【野天狗】が昇格して【飛天狗】となり、大地から力を引き出すことができるようになった【大天狗】を経て、さらに神樹から強大な魔力を秘める羽団扇を作り出して【也唯一】の【鼻高天狗】となった天狗が、初めて朱色の肌を持つのである。


 天狗で言う朱色の肌は、その破格の力の証。

 世に一人しか存在しない。


「………」


 老婆の背筋に、冷たいものが走った。


 いや、あれがゼロのアルカナ【愚者ザ・フール】の腕とは限らない。


 そうだ。

 人間ごときが【愚者ザ・フール】を屈服させ、腕を奪えるはずがない。


 あれはきっと、喰人鬼オーガの腕なのだ。


「キッヒッヒヒ……」


多足の怨念植物マンドラゴラ・スキュラ】が、最後の気力で笑ってみせる。


「ヒ………」


 だがその笑いは早々に潰えた。


 老婆の無意識が繰り返し告げるのだ。

 あれは、【愚者ザ・フール】の腕にしか見えない、と。


 確かに、【愚者ザ・フール】は殺されている。

 ある日、前触れもなく、青天の霹靂のように。


「………」


多足の怨念植物マンドラゴラ・スキュラ】が、小さく後ずさった。

 あれがもし、本当に22のアルカナ【愚者ザ・フール】の腕だとすれば、自分などでは到底勝ち目がない。


「キィィ……」


 下がりながら、あたりを見回す。

 もう、逃げたほうがよい。

 

 しかし、周囲は透き通った壁で覆われてしまっていた。

 

 自業自得。

 戦いはもはや、どちらかが死ななければ終わらない。


「………」


 たかが人間と侮り、奇襲を仕掛けた自分が愚かだった。

 まさか、こんな大物を引き当ててしまうとは。


 ――どうすれば、生き延びられる?


「………」


 そうやって、【多足の怨念植物マンドラゴラ・スキュラ】は、男の後ろにいる女に目を向けることになる。


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