第169話 無人の村での再会
そうやって歩き始めてすぐのことだった。
「……アルマデルか?」
女の声がした。
見ると、少し離れたところで、ブロンドの髪をした女が建物の軒下に座っていた。
そう、ノヴァスだった。
ノヴァスも靄が晴れるのを待っていたらしい。
すらりとした脚を揃えて縁側に座りながら、こちらを見ている。
彼女は、いつもと違う格好をしていた。
深蒼の膝上までのマーメイドワンピースを着て、イヤリングまでしている。
こんな格好を俺はかつて一度だけ見たことがあった。
そう、詩織の店で夕食をともにし、別れるきっかけとなったあの日だ。
「お前がここに来るとはな。【ゾーン9】ステージの方が気に入っているのではなかったか」
そう。俺は今、アルマデルの姿でいる。
アルマデルがカジカであることを知らないから、ノヴァスは今までと変わりなく、会話を始めている。
「よく覚えているな」
言い返しながら、心が動揺するのを感じた。
こうしてノヴァスとまた話せるとは思わなかったからだ。
「あの時もカジカを探していたからな。お前のことも、ついでにしっかり記憶に残っている」
ノヴァスが脚を縁側に上げ、女の子座りをする。
その様子に目を奪われている自分に気づく。
見かけによらず女の子座りするんだな、ノヴァスって。
彩葉のように、常に女性らしさをあふれさせているのではない。
ノヴァスはこうやって、時折ちらつかせる女らしさがある。
「ノヴァスは、どうしてここに」
「人に話すほどの理由でもないのだ」
いつものように明確な返答を避けたようだが、俺が嫌いだから、というより単にあまり言いたくない理由のように感じた。
「共同探索にして、ここを開いたのもノヴァスか」
「そうだ。私はただ、フラフラしたかっただけだからな」
言葉の通り、ノヴァスは座って物思いに耽っていたようだった。
そこで、ふと気づく。
今ノヴァスがいる家は、カジカだった俺とノヴァスが以前、雨宿りしていた家かもしれない、と。
よく見ると、見覚えがある。
あそこの奥にある部屋は、ノヴァスは剣を振るってまで、カジカを逃れさせようとしてくれた場所だ。
「お前はなぜここに来た」
ノヴァスが碧眼を向けて、訊ねてくる。
「ちょっと探しものでな」
「……探しもの?」
ノヴァスが顎に指を当て、考える仕草をする。
「ああ、確かに落とし物なら残っているかもしれないな。テンポラリコロシアムは同じ部屋が開かれ続けているようだから」
ノヴァスの言う通りだ。
新しく部屋を作っても、【無人の村】は常にひとつしか立ち上げることができない。
新しくロードされず、同じ【無人の村】が開くのである。
それだけに、【
「大事なものなのか? ……あぁ、次は雨か」
言いながら、ノヴァスは空を見上げていた。
話し始めて間もないうちに、今度は雨が降ってきていた。
ぽつぽつ、とおとなしめに降り始めた雨だったが、例のごとくバケツをひっくり返したような激しさになり、慌てて手近な家の中に避難する。
嫌われている身として、ノヴァスの居た縁側へは行かずに別の家に駆け込んでおいた。
が、予想もしなかったことに彼女はわざわざ雨をくぐって、俺と同じ屋根の下にやってきた。
「これだから、【無人の村】は好きになれない」
ノヴァスはぼやきながら、以前のようにハンカチを取り出し、濡れた身体を拭く。
「好きだから来ているのかと思ったが」
「私にも複雑な過去があるのだ」
ノヴァスは俺に背を向けると、白い腕を上げて、濡れた身体を拭い続ける。
「………」
思わぬ形で、スタイルの良い彼女の容姿を見せつけられた格好になり、俺は視線を家の中へと逃す。
そのまま、ヒノキのような香りが満ちる木造りの居間の方へと歩いた。
(まあ、詮索するつもりはない)
なんでもカジカに関係させて考えるのは俺の悪い癖だ。
「待て、アルマデル。ちょうど探そうと思っていたのだ」
居間の窓辺に向かおうとした俺を、ノヴァスが後ろから引き止める。
声で引き止めた後、ノヴァスはタイトスカートを気遣った小さな歩幅で俺に駆け寄ってきた。
「お前に礼を言う機会がなかった。カジカを連れてきてくれて、心から感謝している」
ああ、それが言いたかったのか、と知る。
ノヴァスは俺が本人だと知らないので、連れてきたという解釈になっている。
(今さらだな)
彼女の方へと振り返ると、俺は顔に乗っている仮面を手のひらで直す。
言い直す必要はないだろう。
ノヴァスには別れを告げられたのだ。
カジカが誰だとか、もはやタイミングではない。
「役に立てたようだな」
ノヴァスが俺の目を見ながら頷いた。
「おかげで約束を果たせたし、さよならも言えた」
「そうか」
所詮は嫌われたアルマデルだ。
このまま適当に話に付き合っておけば、すぐ終わろう。
「詮索はしない。だが、ノヴァスならすぐに代わりが見つかるだろう」
俺の言葉に、ノヴァスが小さく笑った。
「そもそも付き合っていたわけではないのだがな。私はさよならの後も、このままカジカを想い続けるつもりだ」
「………」
その言葉が胸に刺さるのを感じた。
不自然な間ができてしまい、なにか言い返さねば、と口を開く。
「時間が経てば、その気持ちも変わるさ」
「変わらない」
「時間が必要なだけだ」
ノヴァスが、俺に向き直る。
「いくら時間が経とうと、私はカジカが好きなのだ」
「………」
俺は言葉に詰まった。
俺を見るノヴァスの目は、黙らせるに足るほど力強いものだった。
そのまま、無言の時間が過ぎる。
静かになった室内は、雨に次ぐ風のせいで、カタカタと鳴る窓の音だけが響いていた。
「ところでアルマデル。ひとつ謝らねばならない。お前の気遣いをふいにした格好になったのだが、結局、彼の本当の姿は見なかったのだ」
ノヴァスが窓の方を向くように身体の向きを変え、俺に横顔を見せる。
外はねしたブロンドの髪が、肩の上で揺れた。
「それでよかったのか」
「見なくて良かったのは間違いない」
凛としていたノヴァスが、またふっと笑った。
「なぜだ」
「もし見ていたら、私は彼を探しに世界を巡るだろうから」
「ノヴァス……」
言葉を返せない。
胸が締めつけられる。
同時に当然の疑問も浮かぶ。
どうしてノヴァスは、それほどまでの想いを封じることにしたのだろう、と。
「………」
俺の頭は、自然とあの時の彼女との会話を思い返していた。
そして、はたと気づいた。
――私は君を嘲笑った女だ。君のファーストかもしれないキスをもらうには、ふさわしくない――。
俺よりも、ノヴァスの方なのかもしれない。
カジカを笑った過去に囚われて苦しんでいるのは。
以前、カジカの姿の俺は、この【無人の村】で彼女の謝罪を受け入れ、許している。
だが、ノヴァス自身が自分を許せていないのかもしれない。
もしそうなら、カジカが彼女のそばに居続けなかったことも原因のひとつか。
力を取り戻した今、もはや気にとめてもらうようなことではなくなったことをカジカの口から繰り返し伝えていれば、きっと……。
「私のことだ。【乙女の祈り】もやめて、追いかけるだろうな」
ノヴァスが再び視線を窓の外に移しながら、その顔に笑みを浮かべる。
「……そんなに好きか」
「ああ。好きだ」
今のノヴァスはためらいなく、まっすぐに想いを口にしている。
俺は窓とノヴァスの間に立ち直すと、口を開いた。
「一応、世界を巡る必要はない」
「……えっ?」
ノヴァスが目を瞬かせる。
「気にするな。ノヴァスに笑われたことなど、微塵も――」
その時だった。
俺は、はっとして窓の外に目を向ける。
〈【
アナウンスが流れていた。
◇◆◇◆◇◆◇
〈【
響き渡るアナウンス。
驚くノヴァスと対照的に、カミュの顔が険しくなる。
「……【也唯一】クエスト……どういうことなのだ?」
ノヴァスが目を白黒させる。
ノヴァスにとっては、まさに晴天の霹靂であった。
「おそらく、マンドラゴラの召喚者がこの家の外にいる」
ノヴァスの疑問に、カミュは視線で指し示すようにしながら言った。
「……ぼ、ボスが?」
ノヴァスが青ざめて、近くの窓に目を向ける。
彼女たちの立つ位置から見える窓は3つある。
そのひとつ、玄関側の窓の方で、ウネウネと蠢く植物触手が垣間見えていた。
「まさか、こんなところに」
「ああ、見つからなかったわけだ」
カミュは話している最中にも、自分の初手装備を完了させ、家の玄関側へと向かう。
その最中、ふと思い出したように足を止め、顔だけをノヴァスに向けた。
「ノヴァス、装備はあるか」
「一応……ただ戦うつもりはなかったから簡素なものしか」
ノヴァスは動揺したまま、顎を胸につけるようにして、自分の身なりを見た。
彼女が身にまとっているのは、走ることすら向かないマーメイドワンピースである。
「なんでもいい、あるならつけろ。相手がヤバすぎる」
「わ、わかった」
ノヴァスは仕方なく、ドレスの上から、取り出した装備を身につけていく。
以前、カジカだった頃のカミュに見せていたような
胸あてと肩あてだけの、ハーフプレートと呼ばれる防具である。
「剣はあるな」
「ある」
「これでアビリティを覚醒しろ」
そう言って、カミュは美しい輝きを放つアイテムを3つ取り出して、ノヴァスに渡した。
「なっ」
受け取るや、ノヴァスはとたんに慌てた。
「――ちょ、こんなもの、もらえるわけないだろう!」
ノヴァスが声を張り上げた。
彼女の手に渡されたのは、なんと【上級精錬石】であった。
第七位階~第九位階のアビリティを覚醒するアイテムであり、魔物からのドロップでしか入手経路はないのは下位の精錬石と同様だが、その希少度が段違いに違う。
同レベル帯の厳しい敵と1000回戦って、やっとひとつ落ちるか落ちないかなのである。
「いいから使え」
が、カミュはそれをノヴァスに押し付けた。
「どうせ捨てるだけのアイテムだ」
「………えっ」
ノヴァスが、目を見開いた。
「……ど、どうしてその言葉を……」
ノヴァスは立ち尽くしていた。
石よりも、衝撃だった。
忘れるはずのない男とのやり取りを、目の前の男がどうしてか、なぞってみせたのである。
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