第168話 湧き上がるもの


 ああ、この顔だ。

 思い出した。


 この男、カジカだった俺とピエニカとの間に割り込んで来た、革鎧を着ていた男だ。



 ――痴漢して、言い訳してんじゃねぇ!



 カジカでいろんな奴に暴行を受ける羽目になったが、一番最初に殴られたのがこいつだった。


 さらに言うならば、こいつが思慮なく決めつけたおかげで、俺は痴漢になったのだ。


「……あー。自分で振っておいてなんだけど、あのキモ顔、思い出しちゃった……」


 ピエニカがブラスの方を向いて、顔を歪めた。


 はっとする。

 それは今の今まで忘れていた、あの時の顔だった。


「大丈夫、また出たら俺が殴り飛ばしてやるって」


 ハハハ、と笑いながら、ブラスは力こぶを作ってみせる。

 ピエニカがそんなブラスの腕を組んでデレながら、思い出したように俺を見た。


「カミュさんごめんなさい。そいつ、マジでキモい男で。思い出しちゃって」


 ピエニカはあの顔のまま、取ってつけたような笑いを浮かべた。


「………」


 俺は無言のまま、ピエニカに冷たい視線を送る。


「………」


 当然、ピエニカはその意味がわからず、笑いが強張ったものに変わっていく。


「つーか、あんなデブ、もうどっかで野垂れ死んでるだろ」


「だよねー」


 ブラスが話題を続けると、ピエニカの歪んだ笑顔が息を吹き返す。

 けなしていると生き生きするのは、二人の共通点らしい。


「あんな豚、まだ生きてたら七不思議に加わる」


「言えてるぅ」


 発せられたキャハハハ、という笑い声。

 その声が記憶と重なり、俺の頭が熱くなっていく。


「なぁピエニカ。万が一のためによ、うちのギルドで探して善処しとくか?」


「え、殺ってくれるの?」


 ピエニカが目をキラキラさせる。


「モチロン。今度は氷漬けにしてやんよ。ハハハ! ……思い出したけど、あんときさ、あいつ水かけられてただろ? 四回目のは俺がかけたんだぜ!」


「いや、水は三回で打ち止めだった。だからあんたのはたぶん三回目だろう」


「ああ、そうか。じゃあ三回目だ……」


 楽しそうに笑っていたブラスが、言いながら青ざめた。


「……って、え?」


「カミュさん、あの時いたんですか??」


 ピエニカも驚いた様子で、俺を見る。


「さあな。だが、あんたたちは幸いだった」


「幸い?」


 全く意味がわからないらしく、二人がきょとん、とする。


 そう、幸い。

 あの時、ミハルネが止めてくれたおかげだ。


 ミハルネが助けたのは俺ではない。

 こいつらなのだ。


 こいつらがあのまま俺をいたぶっていたら、どうなったか。

 怒りでおかしくなっていたあのころの俺なら、何を考えても不思議ではなかった。


「気分が悪いので失礼する」


 俺は踵を返すと、反対方向に歩き出す。

 これ以上は関わらないのが、互いのためだ。


「あっ……」


「カミュさん……」


 すっかり落ち着いたと思っていたが、少々考えが甘かったようだ。

 あの頃を軽く蒸し返されただけで、狂気じみた怒りが力を取り戻してしまう。


(忘れよう)


 どのみち、俺はもうカジカにはならない。

 こいつらが何を企てようと、もはや俺には関係ないのだ。




 ◇◆◇◆◇◆◇




 街の隅にある塔状の建物に入って、らせん階段を登り始めた。


 さて、俺が言っていた『ゲートで繋がる先』というのは他でもない、テンポラリコロシアムのことだ。

『岩山』ステージ、『無人の村』ステージ、『ゾーン9』ステージと三種類があり、この順にマップが広大になっていく。


 なお、テンポラリコロシアムに入るための塔は、どの街でも一緒の形をしている。

 つまり、ぐるぐると螺旋階段を登ることになる。


 知っての通り、結構な高さだ。

 ゲームではなくなった今、「普通に地上にゲート置けよ」と運営に悪態をつきたくなるくらいには、登る。


「ふぅ」


 建物の屋上に登り、しばしあたりの風景を満喫した後、そこに置かれている青色に輝くゲートに向き合って項目を指で操作する。


 まずは一番エリアが小さい『岩山』ステージから調べてみることにする。


「これでOK、だな」


 設定後、ゲートに足を踏み入れると、温かい水の中をくぐり抜けるような感覚が体を包んだ。


 眩しい光を過ぎた後、俺は活火山の麓のようなゴツゴツとした荒々しい岩場に降り立っていた。


「ふぅ」


 さっきまでと違い、むぅっとする熱気が風となって、頬を撫でる。


 陽がさす時間帯のようだ。

 空は暗雲が立ち込めているが、雨が降る気配はない。


 周囲には1,2メートル程度の赤茶けた岩がごろごろあり、小さめの高低差を作り出している。


 時折、煙や蒸気が地中から吹き出して、岩の隙間から出てくるその様は、この地が生きていると言わんばかりだ。


 草木は一切生えておらず、この風景は見渡す限り続く。


 それだけに木の姿をするヤツが紛れる場所に選ぶとは思えないが、一応調べておかねばならない。


 歩き出すと、ジリジリとした暑さにさっそく汗が頬を伝った。

 目元に落ちてきそうになった汗を拭う。


 バトルフィールドとしては平面で比較的見通しがよく、癖の少ないマップだ。


 遠距離攻撃や魔法が強いが、たまにあるちょっとした高低差をうまく活かすことでそれをさばくこともできる。


「なつかしいな」


 よく来ていたころを思い出す。


 ゲームだった頃は、PVPといえばこのテンポラリコロシアムだった。

 ランダム対戦を繰り返ししていたので、三種類のマップは隅々まで熟知している。


「そういやササミー、元気かな」


 ピエニカたちの一件もあって、ふと思い出した。


 ササミーは筋トレ好きで、ささみばかり食べているから自分の操作キャラにそう名付けたそうだ。


 この世界に囚われず、現実世界でボディビルダーとかになっていてほしかったが、囚われの瞬間まで一緒に居たからな。


 あいつだけは間違いなくこの世界のどこかにいる。


 なにかとしたたかな奴だったから、きっと生きていてくれるはずだ。


「さて、やるか」


 俺は30メートル内で接触できるよう、塗りつぶすように、外側から内へと歩き回る。

多足の怨念植物マンドラゴラ・スキュラ】は岩には化けられないので、ここでは鏡を使う必要はないのだが、一応手に持って歩いた。


 そうやってマップをゆっくりと歩き回ること、3時間。

 予想通り居なかった。


 まだ明るい時間だ。

 残る2つのうち、もう一つも今日中に歩いておくか。




 ◇◆◇◆◇◆◇




 次は『無人の村』ステージだ。

 ここは以前にエブスとの決闘で用いた場所で、比較的記憶に新しい場所になっている。


「おっ」


 こちらのマップは珍しく先客がいるらしかった。

『共同散策中』になっていて、設定を見るとPVP行為が禁止にされている。


 なお、テンポラリコロシアムは、ゲートさえあればどの街からでも同じ部屋にアクセスできる。


 以前は無人の村1,2,3……などと、部屋を重ねて立ち上げられた。

 が、デスゲーム化してからはテンポラリコロシアムは各ステージごとにひとつしか開けないようになっていたらしい。


 決闘に使っておきながら、全然知らなかった。


 それはともかく、そういった理由で今は『無人の村』ステージは新しくつくれない。


 終わるのを待ってから自分で作りたいところだったが、今開かれている無人の村は制限時間が8時間になっており、もし目一杯使われるなら、次は夜になってしまう。


「……いくか」


 あまり時間に余裕もない。


 雨着用の外套を羽織ると、俺はゲートをくぐり、他人の部屋にお邪魔させてもらうことにした。


 万が一だが、【多足の怨念植物マンドラゴラ・スキュラ】がここにいたら、先客が喰われてしまう可能性もあるしな。




 ◇◆◇◆◇◆◇




 ゲートを抜けた先では、しっとりとした空気が頬を撫でた。

 そこは朝もやがかかった風景だった。


 言い忘れていたが、テンポラリコロシアム内は時間の長さ自体が変えられており、一日が24時間ではない。


 そのため、夜中に入っても中では強い陽射しということも往々にしてよくある。


 今日も空には陽があるが、あたりに残る深い靄が地面から2メートルほどの高さまで視界を大きく遮っている。


 視認できる距離としては、2,3メートルがいいところか。


 これでは、【多足の怨念植物マンドラゴラ・スキュラ】がいたとしても、たやすく不意打ちを受けてしまうので、俺はひとまず安全が確保できた無人の家に駆け込んだ。


 ここで靄が晴れるまで潜むのが吉だろう。


 このマップは天候の影響が強いマップだ。

 大雨の際は足音を消されるので、接近に気づかず不意をつかれることすらある。


 しかし、こういった悪天候ひとつひとつは長くは続かない。

 今回は特にPVPに来ているのではないので、待てばいいだけだ。


 手持ち無沙汰になった俺は窓際に座り、なんとなくあたりを見回す。


 懐かしい景色が目に映っている。

 不思議と、俺の記憶はエブスを倒したあの時より、ノヴァスと訪れた時の光景を強く思い出していた。


 ノヴァスが思いもかけず、大切にしていた斧を拾ってきてくれて、本当に驚いたものだ。


 それからか、特に使うわけでもないのだが、なんとなく懐に入れて持ち歩いている。


「さて、さっさと済ますか」


 雨が弱くなってきたところで、俺は捜索を始める。


 捜索といっても、クエスト開始にならないか、昨日同様、端からしらみつぶしに歩くだけなのだが。


 そうやって歩き始めてすぐのことだった。


「……アルマデルか?」


 女の声がした。

 見ると、少し離れたところで、ブロンドの髪をした女が建物の軒下に座っていた。






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 作者より

 来週水曜の更新はお休みです。

 次回アップは1週間後の土曜を予定しております。


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