第173話 手と手


「キィィィィ――!」


 花吹雪とともに女と森の聖なる狩り手オーバーン・ヴァルキリーが消えた後は、【多足の怨念植物マンドラゴラ・スキュラ】の呪うような声だけが、あたりに響いていた。


 二度の配下召喚によっても、あの人間を倒すことができなかった。

 しかも森の聖なる狩り手オーバーン・ヴァルキリーにおいては、奪われる始末である。


 だが、その戦いの間に【多足の怨念植物マンドラゴラ・スキュラ】は自己治癒をすすめ、またその蔦を完治させていた。


 ――殺す。


多足の怨念植物マンドラゴラ・スキュラ】は怒り心頭であった。


 今まで貯めに貯めた怨念の力を全て使って、こいつらを殺す。

 膨大な経験点ロスになるが、もはやそれすらどうでもよい。


「シャアアァ――!」


 そうして、その十二本の脚を獰猛な大蛇へと変化させた。


 下半身に【リーニア・ヒュドラ】と呼ばれる蛇神を宿らせたのである。


【リーニア・ヒュドラ】は地獄に棲むレベル80を超える魔物で、多頭による攻撃力だけを見れば、アルカナボスにもひけをとらず、噛みつきにより【猛毒】を付与することもできる。


 蛇神の力を借りるのだから、当然、経験点以外の代償も払わねばならない。

 が、【多足の怨念植物マンドラゴラ・スキュラ】はいっさい躊躇しなかった。


「ほ、本物の大蛇に……!?」


 ノヴァスがぎょっとして、その身体を震わせる。


「シャァァァ……!」


 牙を剥いた大蛇が自律的に蠢き始める。

 変化した脚の大蛇たちは【多足の怨念植物マンドラゴラ・スキュラ】の管理を離れ、思考し、自在に襲いかかるのである。


「ククク……」


 そして、さらにもう一段階【多足の怨念植物マンドラゴラ・スキュラ】は能力を発揮する。


「……なっ」


 ノヴァスが我が目を疑う。

 なんと目の前で【多足の怨念植物マンドラゴラ・スキュラ】が2体になったのである。


多足の怨念植物マンドラゴラ・スキュラ】は第二までの召喚で相手を倒せない場合、【分身】をし始めるのである。


「………」


 あまりのことに、ノヴァスは立ち尽くす。

 しかしそんなノヴァスに、カミュが声を張り上げた。


「――ノヴァス! あの手鏡を!」


「えっ」


「まやかしに臆するな! 鏡に映っている方が本物だ!」


 ノヴァスはそうだったと思い出し、預かっていたそれを取り出す。

 そして鏡をあてるようにしながら覗き込んだ。


「ほ、本当だ」


 たしかに片方の姿が全く映っていない。


「シネェェェ――!」


 二体の【多足の怨念植物マンドラゴラ・スキュラ】が大蛇を放ち、目の前の男に襲いかかろうとする。


 しかしカミュはまだ動かない。

 信じて、じっとノヴァスの言葉を待っている。


「――ひ、左側が本物だ!」


 ノヴァスが叫ぶ。


「感謝するぞ」


 カミュはその言葉を信じて、地を這うように横に飛んだ。

 一瞬前まで立っていた場所に大蛇たちが殺到し、ドォォン、と大地を揺らす。


「くっ」


 えぐれにあった大木が、メキメキメキ……と音を立てながらノヴァスの方へと倒れ始め、ノヴァスも慌てて飛んだ。


 枝先がノヴァスの顔面をかすめていったが、それでもノヴァスは瞬きもせず、魔物を睨み続けていた。


 そして、鏡が示していたことが正しいことをその目でも見抜く。


 右側の【多足の怨念植物マンドラゴラ・スキュラ】の攻撃は、大地や木に当たってもすり抜けているのである。


 カミュは右側を完全に無視し、【多足の怨念植物マンドラゴラ・スキュラ】と近距離で一対一の戦いを挑んでいる。


(すごい……)


 その臆さぬ勇気に、ノヴァスはもはや言葉が出ないほどだった。


 一体で良いといえども、あれほどの数の大蛇が牙を剥く相手である。


 普通の人間なら、到底臆してあんな動きなどできないだろう。

 彩葉様とて、あれのタンクは無理だと言う気がする。


 いったいどんな世界を歩んできたら、ああなれるのだろう。


(でも、これなら……)


 ノヴァスの顔には、少なくない安堵が浮かぶ。


 勝機が見えてきているからである。

 マンドラゴラの手立ては、分身で最後だと言っていた。


(これならきっと)


 このまま、自分が偽物の位置を正確に告げ続ければ――。


「お前から見て左側が――」


 そうやって鏡を覗き込んだノヴァスが、はっとする。


「ニ……セ………」


 ノヴァスの言葉が途切れる。


「………」


 心臓が、とくん、と跳ねた。

 もう一度、鏡を覗き込む。


 我が目を何度も疑うが、鏡の中は変わらない。


「……うそ……」


 ノヴァスの声が震える。


「カ……」


 そう。

 鏡の中では、朱と白の袴を着た大男がノヴァスに背を向けて立っていた。




 ◇◆◇◆◇◆◇




「――終わりだ」


 ノヴァスが伝えた本物の方へ、カミュが大技を仕掛ける。

 最終位階の【血桜の舞】である。


 とたんに血煙が巻き起こり、あたりが見えなくなった。


「お前もシネェェ――!」


 視界が霧のように遮られる中、【多足の怨念植物マンドラゴラ・スキュラ】の絶叫が響き渡る。


 刹那、カッと赤い光が放たれ、ドォォン、と爆発が生じた。


 マンドラゴラが最後に残っていた【怨嗟】を爆発させ、自爆したのである。


「きゃっ」


 鏡の中の人をゆっくり覗いている暇はなかった。

 それほど近くにいなかったノヴァスでさえ、熱い爆風にさらされ、地面を転がった。


 そんな中で、アナウンスが響き渡る。


《おめでとうございます。第1サーバーにおいて【也唯一】クエスト、「怨嗟の樹」が達成されました。達成者には【也唯一】アイテムが送られます》


「あっ」


 爆風で転がされながら、ノヴァスがはたと気づく。

 ノヴァスの手に、あの手鏡がなかった。


 ノヴァスが髪を振り乱し、辺りを目で追う。


 手鏡はコン、コン、と跳ね転がりながら、ベヒーモスが裂いた地割れへと落ちていくところであった。


「―――!」


 ノヴァスが無理な姿勢のまま急転し、地を這うように飛ぶ。

 その勢いのまま、落ち行く手鏡をなんとか掴んだ。


 今のノヴァスが、この手鏡を見捨てるはずがなかった。


 しかし止まれない。

 強引だった姿勢もたたって、勢い余ったノヴァスは頭から割れ目に呑み込まれる。


「……くっ……」


 切り立った崖の岩壁を1メートルほど落ちた先で、なんとか左手がひっかかり、宙ぶらりの状態になる。


 反対の手は鏡をしっかと握っていた。


「……やってしまった」


 落ちる先をちら、と見る。

 背筋がぞっとした。


 赤熱する溶岩がたぎる底。

 落ちたら、まず助からない。


「………」


 手鏡を懐にしまうと、できるだけ自分を落ち着かせて、状況を見た。


 この裂け目は切り立っており、まわりに足場もない。

 とても上がれる崖ではない。


 おまけに、手がひっかかった岩のとがりは5cmもなかった。

 幸運というほかないが、ぶら下がり、指先だけで全体重を支え続けるのには、すぐ限界が来そうだった。


「――ノヴァス!」


 気づいた男が駆け寄り、這いつくばると、落ちかねないほどに身を乗り出して手を伸ばしてきた。


「掴まれ!」


「………」


「ノヴァス! 掴まれ!」


「………」


 一瞬、それに向かって手を伸ばしかけた。

 

 しかし、その手がぴたり、と宙で止まる。

 男の姿勢があまりに無茶なことは、ここからでもよくわかったのである。


 あの手をつかめば、あれも一緒に落ちる。


「早くしろノヴァス! 死ぬぞ!」


「………」


「ノヴァス!」


「……もういい」


 伸ばしかけた手を下ろす。


 ノヴァスはすでに、全く別のことを考えていた。

 その顔には、穏やかな笑みが浮かぶ。


 死がこんなにもそばに来ていたから、走馬灯のようなものが見えたのか。

 だが鏡の中でも、最後に会いたかった人に会えた。


 とっても嬉しかった。

 だから、もういい。


「ノヴァス!」


「……もし会うことがあったら」


 ノヴァスは笑みの中で、目に涙をためた。


「カジカに『ごめんね』と伝えてくれ。私は幸せになれそうにない」


「………」


 男の目が、じわり、と潤む。


「……くっ」


 ノヴァスが息を荒くする。


 もう限界に来ていた。

 支えている指がしびれ上がり、掴んでいるのかどうかすら、自分でもわからない。


「――ノヴァス! 見ろ!」


「………」


 もう、だめ……。


「いいからこっちを見ろ!」


 この期に及んでうるさい男を、ちら、と見上げる。

 そうして、ノヴァスは、はっとした。


 その目が、見開かれる。


「……カ……!」


 そこには、ノヴァスが待ち望んでやまなかった男の姿があったのである。


「……ど、どうして……!?」


「――掴め! 必ず助ける!」


 その男はあの懐かしい膨れ上がった手を、限界まで自分に伸ばしていた。


「今度は俺が、お前を助ける!」


「……カジカ……!」


 ノヴァスの目から、涙がこぼれ落ちた。


「ノヴァス! 掴むんだ!」


 カジカが必死に手を伸ばした。

 ノヴァスがそのふくれた手に向かって、右手を伸ばす。


 そして。


 とうとう握られ合う、手と手。


「うおおぉぉぉ」


 カジカが顔を真赤にして、吼えた。


 ノヴァスの体重を支えていた左手が、急に楽になった。

 身体がふわりと持ち上がり、ゆっくりと崖を登っていく。


「カジカ――!」


 届くようになると、ノヴァスは足元を蹴って駆け上がり、カジカの懐に飛び込んだ。


「カジカ! カジカぁ――!」


 重なり合う身体。

 涙の雫が、カジカの頬に跳ねる。


 最後は抱き合うように絡み合ったまま、草の中に倒れ込む。


「はぁ、はぁ……」


 大の字になり、息をするのがやっとのカジカ。


「カジカ……!」


 その上に被さりながら、ノヴァスはカジカの首に両腕を絡ませ、しっかりと抱きついていた。

 

 呼吸のたびに揺れるカジカのおなかを、心地よく感じながら。






 ■□■□■□■□■□■□■□■□


 作者より

 もう一話お付き合いくださいませ。 

 次話アップは11月25日(土)の予定です。

 第四部最終話になります。


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