第139話 消えたカジカ



 眩しく差し込んでいた陽の光は、すぐに流れてきた雲に隠された。


(終わった……)


 カミュがゆっくりと溜まっていた息を吐くと、胸の中で積もり積もったものが一緒に出て行った気がした。


 昂ぶっていた気持ちを落ち着かせ、周りに目を向ける。

 この場にいる敵は、もはや廃人となったリンデルのみである。

 

(こいつには、わざわざ死をくれてやるまでもない)


 そう理解できるくらいには、今のカミュは冷静に物事を見ることができていた。


「アルくん」


 そんなカミュの背後から、声がする。

 振り返ると、リフィテルがいた。


「……終わったんだろ?」


「ああ」


 力強く頷いたカミュを見て、リフィテルがふっとこわばっていた顔を緩めた。


「アタシ、ホントに助かったんだね……」


「約束しただろ」


「……うん」


 リフィテルはそっとカミュの胸に寄り添うと、濡れた声で、本当にありがとう、と囁いた。


「ポッケさんたちの様子を見てくる」


 カミュはリフィテルに告げるとともに、そばで腕を組んで立っている亞夢にも視線を向ける。


「………」


 亞夢はぷい、と視線を逸らす。


 軽く苦笑して、カミュは楽想橋の上を走る。


 目を凝らすと、後方での戦闘もすでに終了していた。

 じゃばとあちょー、ゴッドフィードが無力化した者たちを縛り上げているところであった。


 遠くから取り囲んでいる一般兵たちは、橋の上で何が起きているのか見えていないようで、これだけのことが起きていても、微動だにしていない。


「――おう、色男! 久しぶりだなぁ!」


 駆け寄ってくるカミュに気づき、男が出っ歯をむき出しにしてニカッと笑った。

 何か所も焼け焦げた皮鎧レザーアーマーが戦いの凄まじさを物語っている。


 ゴッドフィードである。


「本当に助かった。感謝している」


「いやはや……司馬がこちらに来たらどうしようかと、ヒヤヒヤものでしたがねぇ」


 ダークエルフのあちょーが、全くそう感じさせない様子で肩をすくめた。


「頼もしかった。司馬の策を随分と潰してくれたようだ」


 カミュが握手を求めると、あちょーは穏やかに微笑みながらその手を握る。


「……お前さんの言葉でぱちっと目が覚めたぜ。先日は失礼したな。俺たちは生き方を間違っていたようだ」


 ゴッドフィードが、空いているカミュの反対の手と握手しながら、そう言った。


「まあうちのポッケが洗脳されたせいってのもあるんだがな。ガハハハ」


 言いながら、ゴッドフィードが少し離れたところにいる蒼髪の少女を見やる。


 「君、ひとりでよく戦ったよ。すごかったな」


 また別の男が、カミュに声をかけてくる。


 卓越した盾騎士タンクナイトマスターのじゃばである。

 リンデルと同じ職業でありながら、この人の笑顔はなんとも温かいものをカミュは感じた。


「……ところでシルエラさんは無事かい? 人質にされていたみたいだったけど」


 じゃばの言葉に、カミュは険しい表情になって頷いた。


「ああ、ひどい怪我を負っている。それでポッケさんの力を借りに――」


 そう話していた時だった。


「――あっ、ダーリン……!」


 蒼色のおさげを揺らして駆け寄ってくる、満面の笑顔の少女。

 ポッケその人である。


「……は?」


 ポッケの仲間たちおよびダーリンと呼ばれた人物が、石化する。


「……ダーリン?」


 皆の視線が、カミュに集まる。


「………」


 カミュは、瞬きが止まらない。


「ダーリン。どうしたのでしか」


「……ぽ、ポッケさん、あなたを探していた」


 カミュはなんとかそれだけを言った。


「――や、やだぁ! みんなの前でそんな堂々と……」


 困るでし……と両腕で、あるかないかの胸を隠し、顔を赤くするポッケ。


「………」


 ゴッドフィードの下がった顎が、生理的可動域を超えていく。


「もう会いたくなったんでしか……? まぁ実を言うとボクも……」


「そ、そういう意味じゃなくて。シルエラが重傷なんだ。診てもらえないか」


 ポッケははっとすると、すぐに厳しい表情になり、カミュとともに駆け出した。




  ◇◆◇◆◇◆◇




「……これでHPは全快でし。呪いはないし、感覚器損傷や部位切断もなかったから意識は戻ると思うでし。痛みは少し残るかもでしが」


 額の汗をか細い腕で拭きながら、ポッケが言う。

 

 開始するや、その治癒が成功していることは、誰の目にも明らかであった。

 今では、シルエラの青白かった顔は朱がさすほどに戻っている。


「ありがとう。ポッケさん」


「……これは別料金でし。15分追加でしよ?」


 ポッケはカミュの耳元で囁き、カミュの頬で、ちゅっと音を立てた。

 ちなみにポッケの言う追加とは、「お姫様抱っこする時間」である。


「それから約束の件でしが、もう終わったからいいんでしよね? ついでに今やっていいでしか?」


 ポッケが上目遣いで、カミュに問う。


「………」


 自分から願い出ていながら、カミュはすぐに頷くことができなかった。

 カジカの姿を失えば、とある人の笑顔をもう見られなくなる気がしたからである。


(いや、もう終わった話だ)


 彼女は二度と、カジカを探すことはないだろう。

 

 ――元気なのが分かれば、もう用はない。


 彼女はそう断言していたのだから。


「あぁ、頼む」


 カミュは頷いた。


「わかったでし。では、いくでしよ」


 少女らしい澄んだ声で、ポッケの詠唱が始まる。

 再び現れた巨大な赤の円陣に、橋の上の仲間たちが驚きの声を上げた。


「……〈解呪リムーヴ・カース〉」


 カミュの体が、筒状の光に包まれる。

 光はその一瞬で消え去った。

 

「……終わったでしよ」


 ボク的には最高だったんでしが……とポッケが残念そうにつぶやく。


(消えたか)


 カミュは大きく息を吐き、アイテムボックスを見る。

 長い長い付き合いだった、『福笑いの袴』が装備から外れていた。


「ありがとうポッケさん。心から感謝しているよ」


「……こちらこそでしよ」


 と、そこでシルエラが大きく深呼吸をすると、ん……と声を上げた。


 カミュは瞬きして駆け寄り、彼女の左腰のそばに膝をつく。

 隣で、リフィテルとポッケも心配そうな顔をして屈む。


 やがて、シルエラが目をうっすらと開けた。


「う……ん……あれ……?」


「シルエラ。俺だ。わかるか?」


 シルエラの焦点が合い、その銀色の瞳にカミュの顔が映った。


「……あ……アルマー……?」


 シルエラが瞬きする。

 

「ああ、俺だ」


「……アルマぁ!」


 目を見開いたシルエラがカミュの首元にしがみつくと、ぐいと自分のほうへ引き寄せてきた。

 当然、カミュはシルエラの上に倒れ込む。


「……やっぱりそうなるかい」


 リフィテルが、眉をひそめる。


「会いたかった……会いたかったぁ!」


 シルエラは涙声になりながら、何度も同じ言葉を繰り返す。


 カミュはそっとシルエラの肩に手をかけて体を離すと、上半身を起こすのを手伝い、とある方向を指さした。


「シルエラ。あの人、亞夢って言うんだけどさ。あの人が助けてくれてな」


 そう言いながら、カミュはシルエラを支えて立たせた。


「あ、亞夢さん……?」


「ああ、ちょっと怖そうに見えるけど、優しい人さ」


 一本歯下駄の音が少々苛立った感じがして、カミュはこれ以上の説明は避けた。


「……ねね、ゴッドちん。ダーリンとシルエラさんって、知り合いなのでしか?」


 ポッケの頭の上に、疑問符が浮かんでいる。


「……知らんけど、ポッケよりは仲良さそうだなあ。肌を重ねあった仲ってか? ガッハッハ……! おわっ!? 目狙ってきた」


 ゴッドフィードの声が悲鳴に変わった。


「アルマー。頬の傷、消えたのね。痛々しかったもんね。よかった……」


 シルエラがカミュに向き合うと、頬をなぞり、ニコリと笑った。


「ああ、そうなんだ」


 カミュが笑顔で頷く。

 だが、その言葉を聞いて、耳を疑う人がいた。


「……アルくん、頬に傷なんて、あったの?」


 リフィテルである。


 彼女は、アルマデルにその傷があったことを知らなかった。

 アルマデルは常にフードを被って、それを隠し通していたからである。


「頬に傷があるのは、アルくんじゃない。カジカだよ」


 リフィテルがそう付け加える。


「………え?」


 シルエラが瞬きをした。


「……カジカ? あなたカジカさんを知っているの?」


 シルエラは、当然のように食いついた。


「色白の、でっかい奴だろ? 降伏前に城に来て、食糧を置いていってくれたんだ。頬から首まで大きな傷があってさ」


「頬から首までの傷……?」


 シルエラが目つきを変え、カミュを振り返った。


「カジカさんにアルマーと同じ傷……?」


「………」


 カミュはばつが悪そうに、シルエラに背を向けた。


「リフィテルさん。その傷、きちんと教えて。カジカさんの傷は、頬から首まで1本で繋がってた?」


 リフィテルが頷く。


「繋がってたさ。アタシが包帯を撒いてやったからな。その時に見たくなくても目に入るってもんさ」


「アルマーの頬にあった傷は覚えてる。あたし、舐めるように近くで見てたから」


「………」


 リフィテルが、恩を仇で返されたとばかりに、ぎりっと歯を鳴らした。


「……ねぇアルマー。あたし今ね、信じられないこと想像しちゃってる」


 シルエラがカミュの正面に回り込んで、笑顔で言った。


「……まさか、違うよね?」


「………」


 カミュは何も言わない。


「……ねぇ」


「………」


「……待ってよ……」


 シルエラの声が震えた。


「そうだとしたら、あたし、あたし……」


 シルエラが口元を手で押さえた。


「……あたし、すごい馬鹿だ。信じられないくらい、大馬鹿だ……」


 シルエラは急に顔を歪め、涙をぽろぽろとこぼし始めた。


「最初から傍にいてくれてたの……!」


「………」


 カミュは何も言わない。

 それはつまり、肯定を意味していることをシルエラは悟る。


「うそうそうそ……!」


 シルエラはその場に座り込み、うわぁぁん、と大声で泣き始めた。


 想像すらしなかった。


 ――探していた人が、まさか自分から離れた人だったなんて。








 ――――――――――――――――――――――――



 このたびは最後までお読みくださり、ありがとうございました。

 執筆意欲がわきますので、感想、レビューなどぜひともお待ちしております。

 この後はショートストーリーや行われた人気投票の様子などを収めてあります。

 よければお楽しみくださいませ。 


 また、もしよろしければポルカの他作品もよろしくお願いいたします。



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 ~異世界転生系ファンタジー。倒されたい魔王が織りなす物語です。

ここだけの話ですが、実はカミュともうひとり、あのヒロインが……。


 https://kakuyomu.jp/works/16817330655500659130/episodes/16817330655522083998

 

追記)明かせぬ正体は第四部を準備中です。2023年9月の公開を予定しています。ノヴァス編になる予定です。


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