第137話 褪紅色の花



「もうアタシなんか守らなくていいよ! アルくん、早く行ってあげて!」


「今です、ピエール! 奴は反抗できません!」


 リフィテルと司馬が叫んだのは、ほぼ同時だった。


「――待っていたぜ! この時を!」


 すでに治癒を終えていたピエールが双剣を抜き、仮面の男に向かって走り出す。


「俺が【剪断の手】を倒し、歴史に名を残す!」


 歓喜したピエールが迫る。

 予想された通り、それでも仮面の男は、微塵も動かなかった。


 だが、その時だった。

 仮面の男を取り巻いていた優しい風が、突然、渦を巻いたのは。



 

 ◇◆◇◆◇◆◇




「おぉぉ……お……?」


 前のめりになって飛び込んだはずのピエールが、突然止まった。


 仮面の男までは、まだ5メートル以上の距離があるというのに、である。


「なにをしているのですか!」


「なぜ止まる! これをふいにしたら――」


 司馬とともに、シルエラを攻撃していたエディーニが、とたんに非難した。


 しかしピエールが説明するまでもなく、現実が明らかになる。

 仮面の男を包む風は、目に見えるほどに力強い渦と変わっていたのである。


「な……なんだ」

 

「何が起きようとしている?」


 戸惑うピエールたちをよそに、渦は色を纏い始める。

 それは美しき褪紅色。


 そう、風の渦は花吹雪と姿を変えていた。


「こ、これは……!?」


 ピエールがさらに一歩下がり、身構えた。


 その数瞬後。


 ふわりといっそう花びらを舞い踊らせながら、ひとりの女が仮面の男の前に降り立った。


 黒と赤の帽子。

 白く塗られた顔、真っ赤な紅をさされた唇。

 牡丹の刺繍の入った黒のシャツワンピから伸びる、すらりとした両脚。


 纏う香りは、ひととき、ここが戦場であることすら忘れさせるほどの淑やかなもの。


「な、なんだこいつ……?」


「しょ、召喚しただと!? 声もでないのにどうやって……!」


 結界の中の百武将達が瞠目する。


「愚かだ」


 そんな中で、一人だけ歓喜する者がいた。


 ピエールである。


「お前は運が悪かった」


 ニヤリとしたピエールが、双剣を振りかぶり、現れた少女に向かって技に入る。

 少女はピエールの確殺範囲内に出現していたからである。


「登場するなり退場だ。秘技――【皆殺みなごろし十二連】――!」


 ピエールの両腕が、目にも止まらぬ速さで振るわれ始める。


「亞夢」


 サイレンスを受けている仮面の男が、唇だけを動かす。

 それを横目に見て気づきつつも、亞夢と呼ばれた少女はカラン、と履いていた下駄を小気味よく鳴らしただけだった。


「――キエエェェェ――!」


 気合の声とともに、様々な角度から次々と繰り出される、十二の必殺剣。

 流れるように振るわれるこの連続剣は、いかなるものであっても止めることはできない。


「終わりだ――!」


 二連。

 三連。


 しかし、当たらず空を切る。

 そして四連目で、ガキィ、という重たい大きな音が響いた。


 十字に重ねられたピエールの双剣。

 止められるはずのない連続剣が、亞夢の顔の前で受け止められていた。


「……と、止めただと!?」


 ピエール自身が驚きを隠せない。


 双剣を防いだ、亞夢の手にある武器。


 それは楓のような形をした、純白の異形。

 風を操る最上位の【あやかし】の証。


【也唯一】 比類なき風天狗の羽団扇・『名月楓めいげつかえで』。


「……うぷっ」


 直後、剣を止められただけのはずのピエールの顔が、どんどん青白くなっていく。


 亞夢が放つレベル5カラミティ・クラスの瘴気がピエールを毒していたのだった。


「うぅぅ……!」


 膝をつき、身体をくの字にして、ピエールが悶絶する。

 当然、戦うどころではなくなっていた。


「――し、瘴気だ!」


 気づいた百武将たちが次々と、『対瘴気マント』を羽織る。

 しかしピエールにそんな猶予は与えられない。


 亞夢が疾風のように踏み込む。


「ごばっ!?」


 次の瞬間、鼻血を流しながらピエールが空に打ち上がっていた。


 上位の打ち上げ打撃、【真・通天崩山つうてんほうざん】である。


「がっ……!」


 落下を始めたピエールに、亞夢が空中で追撃する。

 防御力無視の死の膝蹴り、【臓物砕き】である。


 直撃を受けたピエールは、そのまま人形のように吹き飛び、堀に落ちていった。


「す、凄い……」


 リフィテルは棒立ちしながら、呆然と召喚された少女を眺めている。


「………」


 カラン、という下駄を鳴らし、膝蹴りを終えた亞夢がふわりと橋に降り立つ。


 なお、この下駄も【回避率+40%】という破格の能力が付与される【伝説級】『比類なき風天狗の一本歯』である。


 亞夢、ありがとう。


 仮面の男の、声にならない謝意を再び背中で聞いた亞夢は、堀に落ちたピエールから橋の上へとゆっくり視線を移す。


 そして、純白の羽団扇で、ある人物を指し示した。


「……古きあやかしの力は無限の彼方より、望む者を引きずり寄せる」


 響いたのは、澄んだ笛のような、透き通った音色。

 亞夢の声だった。


 次の瞬間、30メートル以上離れた位置から、人が亞夢のそばへと引っ張られた。


 そう、その人とはシルエラである。


「なっ……お、おい!?」


 エディーニが、突然舌を引き抜かれたような顔になる。

 交渉に使っていた人質を、あっさりと奪われてしまっていたのである。


「そ、その技は!?」


 しかし配下のこれほどの失態を、司馬は見ていなかった。

 司馬の全身には、鳥肌が立っていた。


「【無限の釣寄リミットレスルアー】……!」


 司馬の声が震えた。


「なぜあの女が、『愚者ザ・フール』の技を……」


 司馬の言葉の意味に気づき、百武将たちがはっとする。


「まさか……嘘だろよ……!」


「お前らが倒したのか……!?」


 百武将たちが血相を変える。


 今、自分がどれほどに怖れられているかなどはどこ吹く風で、亞夢はスタスタと歩き、気を失ったシルエラを仮面の男にぐい、と押し付けた。


 仮面の男は謝意を示し、シルエラを受け取り、屈んで堂々と介抱し始めるが、亞夢がその前に立っているというだけで、百武将は踏み込めず、たたらを踏んでいた。


「あ、あいつ……とんでもねぇ奴ばかり飼ってやがる」


「ドラゴンと四凶で終わりじゃないのかよ……」


 一方、シルエラは意識を失っていたが、呼吸は残っていた。


 その頭部に張り付いていた蜂たちは、亞夢の瘴気を受けて、一匹残らず石畳に落ち、ただ痙攣している。


 仮面の男は価値のはかり知れぬ第十位階HP回復薬ポーションを立て続けに使い、シルエラの治癒を始めた。


「よぉ」 


 そんな異常な空気の中、ひとり、毛並みの違う百武将が亞夢の前にやってきた。


「随分と強そうな女だなぁ。この女の方が楽しそうだぜ」


 亞夢を見て顔を綻ばせたのは、先ほどの規格外の強不死者ゾンビ・ザ・アリフネスを1人で相手取っていた五九雨であった。


 五九雨はそれを今倒し終えて、こちらにやってきたのである。


「俺が相手だ」


 五九雨が『対瘴気マント』を羽織り、構える。

 それを見ても、亞夢は構えもしない。


「同じ格闘職とは、運命の出会いかな!」


 五九雨がステップを踏んで近づくと、上段蹴りを放った。

 亞夢はそれをスウェーして避ける。


「やるねぇ」


 五九雨のさらなる追撃。


 亞夢はそれを涼しげな顔のまま、紙一重で躱していく。


「おいおい、俺よりも上手ってことか!? マジかよ! ハハハ! 最高だぜ!」


【疾風】と呼ばれる五九雨のひじ打ち攻撃を躱すと、亞夢は【逆疾風】と呼ばれる回転肘打ちをその眉間に打ち込んだ。


「うぐっ!?」


 衝撃とともに、五九雨の笑顔がスコンと抜けおちた。


「お、お前強いな! それにこの香り……いいなぁ! 惚れちまいそうだ! その技って第何位階にあるんだ? 教えてくれよ!」


「…………」


「俺、こう見えても浮気とかしないぜ! この髪のようにまっすぐなんだ! どうだ? 俺と付き合ってみないか!」


 五九雨は亞夢に一目惚れをアピールする。

 だが亞夢は何も話さず、ただちらりと仮面の男に目をやっただけであった。


 肝心の戦いは一目瞭然だった。


 必死な五九雨。

 余裕の亞夢。


 小気味よく下駄の鳴らす音が、テンポよく辺りに響く。


 五九雨の打撃技はかすりもしない一方で、亞夢の掌打は的確に五九雨の急所を捉えていた。


 なお、亞夢の【三重苦の呪い】は現在、すべて解き放たれている。

 『チームロザリオ』の高位の回復職ヒーラー、ポッケの〈解呪リムーヴ・カース〉によって。


「うぐっ……」


 五九雨がだんだん、言葉少なになっていく。


「ならば!」


 打撃では敵わないと知り、亞夢を【接敵状態】に持ち込もうと、五九雨が手を前に伸ばして構える。


 それを目にした仮面の男は小さく笑う。


 亞夢は『接敵』こそが最も凶悪なのである。

 即死を免れる方が難しいのだ。


「…………」


 しかし仮面の男は首を傾げる。


 今日の亞夢はなぜか『接敵』を嫌い、距離をおいて戦っているからである。

 そんな疑問を知ってか知らずか、亞夢はちらり、ちらりと仮面の男を見ている。


「おぁ!? か、からだが……!?」


 仮面の男がそんな思案をしている間にも、五九雨が金縛りに遭う。

 亞夢の特殊スペシャルアビリティ【影踏み】である。


「消えて」


 亞夢がすらりとした脚を凶器に変えて【臓物砕き】を五九雨の腹に埋め込んだ。


「ぐぇっ」


 五九雨は白目を剝いたまま、堀へと転がり落ちた。

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