第136話 手出し封じ


 取り囲んでいた者たちが吹き飛び、 石畳を打つ重鎧の金属音が次々と響く。


「ば、化け物……!」


「こいつ、遠距離だけじゃないのか!?」


 仮面の男に追加された、朱色の腕は言うまでもない。

『単独撃破ボーナス』で奪いとった、ゼロのアルカナボス、愚者ザ・フールの腕である。


 6本腕で放たれるこの技は、今までにない威力を内包していた。


「――も、戻れ! 急げ!」


 深手を負いながら、百武将たちは慌てて絶対魔法防御アンチマジックシェルの結界内へと逃げ戻っていく。


 その場から撤退できずにいた者は、二人いた。


 ミノタウロス。

 そして、もうひとりは司馬。


 ミノタウロスは即死し、司馬は両脚に糸の直撃を受け、その場から動けなくなっていたのだ。


 仮面の男がさらに畳み掛けようと足を踏み出す。

 しかし、その手がピタリと止まった。


「――動くな! 動けば、こいつを殺す」


 エディーニがシルエラを抑え込み、首元に短剣を当てていた。

 この男は離れた位置から鞭による攻撃を仕掛けていたために、【血桜の舞】を受けずに済んだのである。


「……エディーニ。よくやってくれました」


 司馬の言葉に、エディーニは軽く頭を下げた。


「いいか、一歩も動くなよ。この短剣を突き刺してほしければ別だが」


 エディーニが仮面の男に念を押した。

 その間にも、百武将たちは回復職ヒーラーによる回復を受け、司馬は抱えられて結界内へと退避した。


 しかし負傷した全員を治癒するには、回復職ヒーラーのMPが足りなかった。

『チームロザリオ』の奇襲を受け、回復職ヒーラーが一人、戦闘不能になっていたからだ。


 それゆえ、百武将2名がこの場で帰還となった。


「もう時間がありません」


 脚の治癒を受けながら、司馬が頭上の結界を見上げた。

絶対魔法防御アンチマジックシェル】の結界は、その輝きを弱め始めている。


「単刀直入に言いましょう」


 司馬がエディーニに支えられて立ちながら、落ち着いた口調で話し始めた。


「シルエラを死なせたくないのなら、リフィテルを渡しなさい。ただ、あなたの欲しいものと、私の欲しいものを交換するだけです。有意義でしょう? あなたが強いのはよくわかりました。交換してくれるのなら、一緒にピーチメルバ王国の山を、いえ、土地を望むだけ差し上げましょう」


 しかし仮面の男は、まるで関心を示さない。


「……やはり数晩をともにした程度の女では、だめですか」


 司馬が苦笑しながら、次善の策を探さんと、知識を総動員させる。

 そこで、司馬の後ろから声がかかった。


「司馬様、私にお任せ下さい」


 エディーニだった。

 この男は、またシルエラの首に短剣を押しつけて様子を窺っていた。


「やってみなさい」


「はっ。……おい、アルマデル。お前あんまり興味がなさそうだが、そいつはフリかな? これは我慢していられるか?」


 エディーニが口元を歪めるように笑う。

 その直後、立たされたシルエラの頭部が黒い靄で覆われ、見えなくなる。


 数千匹の蜂が襲い始めたのである。

 

 そう、エディーニはバイトバグの群れを調教しており、それをシルエラにけしかけたのである。


「い、いや……!」


 シルエラは後ろ手に縛られたまま、怯え切った悲鳴を上げ、狂ったように頭を振り始める。


「………」


 仮面の男の足が半歩、前に出る。


「きゃああぁー! いやぁぁ――!」


 聞く者の身を縮ませるほどの金切り声。


「………」


 仮面の男が、奥歯をぎりっと鳴らした。


「バイトバグはおぞましいだけじゃない。羽根を擦って熱を生み出す。大量に取り囲まれると、その熱攻撃を受けるんだ。50度にはなるぞ」


 エディーニが、仮面の男の気持ちを煽るように解説する。


「助けなくていいのか? おい」


 そう言うのはリンデルである。

 まるで他人ごとのように笑っている。


 シルエラがたまらずしゃがみ込んだ。


「勝手に屈むな! 立つんだよシル」


 その背中をリンデルが剣で切りつけた。

 シルエラが反り返りながら、強引に立たされる。


「………」


 仮面の男の手が、怒りに震え始める。


「――行きなさい。あの子を守って」


 動けない仮面の男に代わり、動いたのはリフィテルだった。

 隆々とした肉体を復活させ、それがエディーニへと向かう。


 リフィテルは死霊魔術ネクロマンシーにより、先ほど倒れたミノタウロスを不死者アンデッド化し、使役してみせたのである。


 ミノタウロスの亡骸は、リフィテルの高い魔力により大きく強化された『規格外の強不死者ゾンビ・ザ・アリフネス』と呼ばれる高位の不死者アンデッドと変わっていた。


「ほう……しかし読んでいましたよ。五九雨、行きなさい」


「つまらねぇ相手だ」


 それを、絶対魔法防御アンチマジックシェル結界の手前で、五九雨が立ちはだかって防ぐ。

 規格外の強不死者ゾンビ・ザ・アリフネス の強烈な大剣の振り下ろしを小さく躱し、蹴りを入れ始める。


「へぇぇ、こいつ……元よりつええな。こりゃ面白い」


 五九雨が嬉しそうな声を上げた。




 ◇◆◇◆◇◆◇




 五九雨と規格外の強不死者ゾンビ・ザ・アリフネスとの戦いが続く。

 その後ろでは、黒く蠢めくものにまとわりつかれて、シルエラが苦悶していた。


「だめだ、アタシじゃこれ以上は……」


 リフィテルが唇を噛む。

 強力な不死者たる規格外の強不死者ゾンビ・ザ・アリフネスであるが、一歩手前で食い止められ、シルエラを助けるには至らない。


 相手をしている百武将は相当な手練であり、すぐに倒しきれる様子もなかった。


「………」


 仮面の男は動かず、サイレンスゆえに無言のままであったが、その拳は異常なまでに握りしめられ、血が滴っていた。


 そんな仮面の男の周りを、ふいに、ふわりと風がそよいだ。

 柔らかく、さらりとした、初夏らしい風。


「もうアタシなんか守らなくていいよ! アルくん、早く行ってあげて!」


「今です、ピエール! 奴は反抗できません!」


 リフィテルと司馬が叫んだのは、ほぼ同時だった。


「――待っていたぜ! この時を!」


 すでに治癒を終えていたピエールが双剣を抜き、仮面の男に向かって走り出す。


「俺が【剪断の手】を倒し、歴史に名を残す!」


 歓喜したピエールが迫る。

 予想された通り、それでも仮面の男は、微塵も動かなかった。


 だが、その時だった。

 仮面の男を取り巻いていた優しい風が、突然、渦を巻いたのは。


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