第114話 ひとりの男
「ふむ……失礼を承知で聞くが、一般兵は何をしとったのですか」
司馬に訊ねたのは、ほうれい線の目立つローブ姿の女性である。
「……矢を射たり、投石したりといろいろしたそうですがね。敵は巨人を盾にしていて、びくともしなかったとのことですよ」
「きょ、巨人……!?」
ざわめきが増して、司馬の声すら聞こえないレベルになっている。
「まさか……調教師が混ざっているのか」
すぐそばの誰かの発言に、キーピーズの赤茶けた腕がぴくんと揺れた。
「皆さん、まだ途中ですので」
司馬が両手で静粛に、とジェスチャーをした。
「その後、業を煮やして一般部隊第1が突撃を敢行しましたが、何もできずに兵を6割失い、全部隊撤退を余儀なくされました」
全く手が出ません、まさに一騎当千ですよ、と司馬が他人事のように言った。
「ど、どうして……」
ポッケの声がかすれた。
どうしてそんなことが可能なのだろう。
大金を積んでプレイヤーギルドを味方にでもつけたのだろうか。
だとしたら、司馬は一騎当千と言った意味がわからない。
それはつまり、ひとりの強者に苦戦しているということだから。
それにしても、皮肉な言い方である。
一騎当千とは百武将たちを褒め称える言葉なのだから。
「敵にリフィテルがいるのも厄介です」
司馬は顔には出さなかったが、声に若干の苛立ちを含ませた。
確かにリフィテルは普通の皇女ではない。
敵味方問わず、亡骸さえあれば、そこから強力な部隊を作り出すことができるのだ。
だがリフィテルがその力を発揮するためには、言うまでもなく、まず先に数に勝る相手をなぎ倒す必要がある。
そう、この敗北には、リフィテルではない別の大きな力が働いているのは明らかだ。
「話を百武将に戻します。敗戦の将はこちらに搬送されている最中ですが、どんな状態異常なのか、士官プレイヤーの知識ではわからないそうです。詳細を聞きましたが、
「………」
騒がしかった玉座の間が、一瞬で静まり返った。
「れ、レプターの【上位状態異常回復】でも駄目なんですか?
司馬と同じ
状態異常ならば、たいていは
それが、どんなものかわからずとも。
ミセーユはダークエルフでありながら、オルプリと称される、最終職業
しかし司馬はかぶりを振った。
「士官プレイヤーの【下位状態異常回復】が効かないことくらいしかわかりません」
周囲のざわめきが増した。
「……相手が一枚上手だな。その前に
ポッケの隣でゴッドフィードが愉しげな顔で顎をさすっていた。
「いったい敵は何人いるんじゃ? まさか大型ギルドでも後ろについたんじゃなかろうに?」
端の方に立っていたドワーフの
ポッケもそれが気になっていた。
これほどまでに司馬に抵抗できるとしたら、相手もプレイヤー勢力を手に入れたと考えるのが、一番しっくりくる。
しかしそれはとりもなおさず、プレイヤーVSプレイヤーの戦争を意味する。
ポッケが最も恐れる世界である。
「――ひとりだそうです」
司馬があまりに淡々というので、つい聞き逃しそうになった。
「……は?」
誰かが呆けた声を上げた。
「司馬様、今、なんと?」
最前列に並んでいる百武将の男が、たまらずに聞き返した。
「リフィテルを守っているのは、『たったひとりの男』です」
強調する司馬に、皆がはっと息を呑んだ。
一瞬ののち、今までにない喧騒が場を支配する。
「ひ、ひとりだと!?」
「たった一人で、一般兵4000と、10人の百武将を……?」
「おいおい、いくらなんでも冗談だろ……」
「………」
ポッケも瞬きすら忘れ、立ち尽くしていた。
たったひとりでピーチメルバ王国軍に抵抗し、城を守り続ける男。
一体、何者なのだろうか。
そして、なんのために?
司馬が眉間にしわを寄せて、再び静粛に、と手で示す。
「……ほいで、名前はわかりましたかのう?」
やっと声が通るようになったところで、魔術師の老紳士を気取ったプレイヤーが訊ねる。
「名を見たかもしれないプレイヤーは全員、廃人になっています。治療できれば、知ることができるかもしれませんが……」
司馬が扇ぎながら、足を組んだ。
その顎の白い髭が、頼りなく揺れている。
「あれだけの人員を割いて、名前すら、わからないのか……」
NPCは敵にいくら近づいても、相手の名前を瞬きしてプレイヤー情報を見ることができないが、プレイヤーは30メートル以内まで近づくと、相手のプレイヤー情報を参照することができる。
「とりあえず『KAZU』とかじゃなさそうでしね」
「ああ。一つ安心した。……しかし、ひとりで戦っといて百武将10人全員を不殺か……。本当に相当な手練さんのようだな」
ゴッドフィードが歯を見せて笑う。
ポッケの蒼色のおさげを勝手に触っている。
こんなことをするのは、相当調子に乗っている時である。
「……そうでしね」
むっと顔をしかめつつも、頷くポッケ。
概して、殺さずに無力化するのは殺すよりも難しい。
相手を大きく上回る技量を持っていないと、できない芸当といってよい。
だがそれよりもポッケは心を打たれていた。
孤高に戦いながらもプレイヤーを殺すまいとする敵の男の心意気に。
何かが、自分の中で重なっていた。
大量に押し寄せる一般兵相手の時は、さすがにそうもいかなかったようだが……。
「……黒髪の仮面の男だそうです。サカキハヤテ皇国が探していた救世主と、皮肉にも同じ姿形ですね」
ポッケの右斜め前で退屈そうに爪の垢を落としていた女性が、ピクンと肩を揺らして反応するのが見えた。
銀髪に銀色のぱっちりとした目。
前髪はサイドに分け、額を半分以上見せている。
黒で縁取られたフード付きの灰色のローブには、所々赤で下位古代語が刻まれており、【詠唱加速】が付随する。
S級装備、『サリバンの願いのローブ』である。
彼女は百武将試験の最中に、私用で平気で休んだりすることがあったが、百武将ランキング7位にあたる実力者だ。
ちゃんとやりさえすれば、達夫よりも高得点をマークするに違いない人。
そして、婚約していると知っていても、男の人が胸がときめかせてしまうタイプの女性。
ポッケの知っている男で彼女に反応しないのは、ピエールくらいだった。
「シルエラさんは特にくびれた腰から尻のラインが形が良くて目を引く」らしい。
ゴッドちんのばかが言うには。
そこで、はっと気づく。
まさかゴッドちん、しょげていたのではなく、さっきからシルエラさんのお尻を見て……?
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