第112話 謎の急使



「紋は見たでか?」


「魚を掴む鳥の紋でし」


 それはピーチメルバ王国軍の緊急連絡用のものに違いなかった。


「……なら間違いない。うちの急使だったっけさ」


 達夫が不思議そうな顔をして点になりつつある姿に目を凝らしている。


 続けてキーピーズがのそのそと出てきた。


「……なにか、あったか」


「8番隊のか? 何かあったのか」


 最後のピエールは、動かずに結界の中から声をかけてきた。

 うっすらと見えるその姿はまだ寝転がったまま、両手を頭の後ろで組んでいる。


 今追いかければ間に合うかもしれないが、全くその気がないリーダーである。


「ボクが聞きたいでしよ」


「リフィテルは拘束したんだし、もう何も起こりえないだろう?」


「わい、思う……皇女、自害した……か」


 キーピーズがぼそりと呟いた言葉に、達夫が頷いた。


「ははぁ、あり得るで。あれだけ注意して確保しろって言われてたのに、さすがNPCと言ったところだで」


 達夫が乾いた笑いを残す。

 残してきたのはソーゼというNPC隊長の隊であった。


 しかしポッケは腑に落ちなかった。

 本当に、その程度の話だろうか。


「………」


 ポッケはおさげを振って、馬が消えていった方向を振り返る。


 もやもやとした不安が胸に広がっていた。

 駆けて行ったあの騎兵の横顔が、あまりに切迫していたように見えていた。


 あれはまるで……。


(外にいればよかったでし)


 つくづくあの早馬を引き止めなかったことが悔やまれる。


「騒ぐことじゃない」


 やっと結界から出て大きく伸びをしたピエールが、鉄の騎馬アイアンホースを呼び出しながら、面倒くさそうに言った。


「ねぇ、ボクはもっとひどいことが起きたんじゃないかって思うんでしが……」


「ん? ポッケちゃんの名推理劇場だで? 何だで?」


 達夫がいつものようにからかってくる。


「むむー」


 顔が熱くなってきた。

 それを見て達夫が合掌しながら謝ってくる。


「目も覚めちまった。出発しないか」


 ピエールはいつのまにか、ひとりで騎馬に跨っていた。

 ソバージュがかった髪が肩で揺れ、尖った耳が突き出ている。


 あまりの自己中ぶりに、一瞬、場がシーンと静まり返った。


「……おいおい、昼寝を始めたのも自分だで?」


 達夫が欠伸をしながら肩をすくめてみせる。


「ほんと……勝手な奴……」


 犬歯をむき出しにしたキーピーズは、本の中の赤鬼そっくりだった。




   ◇◆◇◆◇◆◇




 さわさわと春めいた風が頬をさすっていく。

 小鳥の鳴き声が耳に心地よい。


 城下町グラフェリアを発って3日目の朝。


 ポッケたち先陣ドリームチームの帰国の途は進み、まもなくピーチメルバ王国領土に入ろうとしていた。


 目を凝らすと、国境に建てられた砦がはっきりと見え始めている。


「はぁーやっと本国だで……しっかしこっちは寒いでなぁ」


 この大陸は東に行けば行くほど冷帯になり、最東端のピーチメルバは日本で言えば北海道のような気候となたっている。


 城下町グラフェリアの温暖な気候に慣れてしまっていたポッケたちは、本国に近づくにつれ、それが唯一の憂い事になっていた。


「それでも吐く息は白くないでしよ」


 達夫の後ろからはぁぁと息を吐いて見せると、達夫がおお、と声を上げる。


「……いつの間にかこっちも、暖かくなったっけさ」


「うん」


「少しゆっくりできるといいがな」


 ピエールが欠伸をしながら独り言のように言う。


 それを聞いたキーピーズがふん、と鼻で笑う。


 それがただの夢だということくらい、ポッケも分かっていた。

 百武将にそんな暇は与えられない。


 街に戻って湯浴みを済ませたら、すぐに北にある城に向かって司馬に到着報告をしなくてはならない。


 その後は連日連夜催される祝勝会のはずだ。明日以降は民の前を歩くパレードもあるかもしれない。


(はぁ……)


 そんなふうに気だるく感じていた折、ふいに視界の中で変化が起きた。


 何とはなしに見ていた国境の門が、いきなり開け放たれたのだ。


 見る間にそこからぞろぞろと兵が現れ始める。

 自軍の兵である。


「……なんだ? 派兵か」


 先頭のピエールが馬をいななかせた。


 どうやらこっちに向かってくるようだ。

 四人は兵の流れに飲み込まれないよう、すぐさま脇に避けて道を譲る。


 しかし避けたは良いものの、皆が顔を見合わせていた。

 肝心の、派兵の意味がわからないのだ。


 しかも無言で歩いていく兵が、なかなか途絶えない。

 1000人や2000人ではきかない数である。


 15分以上かかっただろうか。

 やっと兵たちが通り過ぎた後、4人は警備兵の元に駆けていく。


「派兵か?」


 馬を御しながら、ピエールが警備兵に問いかける。


「はい。サカキハヤテ皇国、グラフェリア城に出陣です」


 天気の話のように言う警備兵。


 ポッケは心臓が止まった気がした。


「なんだと? もう城も落として、皇女も捕らえたのに、なぜそこに派兵する」


 ピエールの言葉が刺々しい。

 正確に言えば、その国はもはや存在しないはずだ。


「我々もよく知らされていないのですが……司馬様が」


「司馬がだと? おい、もっと詳しく教えろ」


 ピエールが馬を下りると、胸ぐらを掴んで警備兵に詰め寄る。


「は、申し訳ありません! 我々も……!」


「やめとけピエール。司馬に到着報告がてら、聞いてみるっけさ。警備兵が知ってるわけないで」


 恐縮しきっている兵を達夫が救出する。


「……そうだ。どうせ行く。直接聞く、一番」


 キーピーズも珍しく促す。


 一方ポッケの脳裏には、忘れかけていたあの急使の顔が蘇っていた。


 嫌な予感が的中したのでは、と抑え込んでいた不安が蘇っていた。


 しかし、という疑問も止まらない。


 あの時、ソーゼたち第8部隊は問題なくサカキハヤテ皇国軍を追い詰めていたはずだ。

 その兵数は2000。


 対する敵兵は100人も居なかったと聞く。 

 さらに唯一の脅威であったリフィテルも、捕縛したのである。


(だったら、なぜ……)


 どうやったら起きるのだろう。

 その状況から2000人の兵で対応できない事態など。




    ◇◆◇◆◇◆◇




 遠くで篝火に挟まれるように玉座に座っている男がいる。

 見たこともない虹色になった鳥の羽根で作られた扇をかざす白髪の男。


 烏帽子から流れ落ちる白髪は、しっとりとしている。

 30歳前後と思われるその顔は彫りが深く、つまみ上げたような鼻筋が目を引く。


 やけどだろうか、左目の下に卵大くらいの醜くただれた痕があった。

 比較的美しい顔立ちにはもったいない汚点である。


 そして顎には胸に届くほどの白い、長い髭。


 この男が、司馬である。


 ポッケたちは玉座の間から列を作るようにして、順番を待たされている。

 最初は苛々したものだが、今はずいぶんこれにも慣れた。


 待ちぼうけの間、ポッケはいつものように、人の顔を見て好奇心を満たすことにする。

 司馬の顔はあまり面白くないが、なかなか見れないので今日は少し眺めてみる。


 司馬の職業は支援魔法師バッファーの上級職、古代付与魔法師エンチャンターである。

 この職業はバフと呼ばれるあらゆる支援魔法を使いこなす職業だ。


「ザ・ディスティニー」ではその有無だけで勝敗が決してしまうほど、高レベル支援魔法バフは強力だ。


 種類を覚えるだけでも大変だが、攻撃力強化、防御力強化、クリティカルヒット確率上昇、クリティカルダメージ上昇、HP増加、MP増加、状態異常防御上昇、移動速度上昇、攻撃速度上昇、魔法防御上昇。


 他にもまだまだ存在する。


 それゆえ、レイドボス討伐には高レベルの支援魔法師バッファーの存在は欠かせない。


(司馬なら、さぞかし……でしね)


 一国の王となった司馬であれば、相当高いアビリティレベルであろうことは想像に難くない。


 噂では金にものを言わせた精錬石集めで、第十位階ワールドクラスまで覚醒しているというが、詳細は誰も知らない。


(でもプレイヤーが国王になるなんて、すごいことでしよ……)


 ポッケはひとり、感心していた。


 この世界に囚われる前の司馬は、博士号を持った微生物学の研究員だったという。


 デスゲーム化してすぐ、持ち前の博識でサカキハヤテ皇国の軍師になると、「荒れ狂う海の皇帝ユーグラス」が討伐されたことを知らないNPCたちを説得し、小型帆船を自ら作り上げたと言われる。


 誰もが皇帝ユーグラスの怒りを恐れ、海に出たがらない状況で、奴隷を率いて自ら船に乗り、さまざまな海産物を得て戻ってみせたのが、この男の偉業の始まりである。


 なかでも現在も続いている塩の価格操作は有名で、当時唯一海に面していたサカキハヤテ皇国に莫大な富をもたらし、今もピーチメルバ王国の重要な資金源となっている。


 そうして今、プレイヤーたちから圧倒的な信頼を勝ち取り、司馬はピーチメルバ王国の王として君臨している。


「『先陣ドリームチーム』の方々、こちらに参られよ」


 そこで、将官のひとりが自分達を呼んだ。


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