第110話 腑に落ちないこと


「キミは寒がりなのか? フードも被ったままなんて相当なもんだよ」


 リフィテルが俺を見ながら、ふふ、と目を細めた。


「いろいろ事情があってね」


 それとなく右側の顔で話をする。


「禍々しい仮面にフードなんて、まるで死神じゃないか。あ、でも、アタシにとっては救世主なんだけどさ」


 笑顔が戻っているリフィテルに、素直に安堵する。

 本当に間に合ってよかった。 


 そんなふうに夕食を共にしていると、やがてリフィテルがわずかに表情を変えて、口を開いた。


「……キミがアタシを助けに来てくれたってことはわかった。心から感謝しているよ。でも一つ腑に落ちないことがある」


 コト、と傍に器を置いたリフィテルの顔が真剣だった。


「ん?」


「理由を教えてくれるかい。もうサカキハヤテ皇国はないも同然なのに、アタシたちだけを助けて籠城って……」


「簡単な話だ。このままならあんた、殺されるんだろ?」


 俺は即答した。


「………え?」


 リフィテルは耳を疑ったようだった。


「俺はそれが嫌だった」


「……き、キミが?」


 リフィテルが頬を染めたように見えた。


「だからここにいる」


「……心から……嬉しいよ」


 そんなふうに思ってくれてたなんて知らなかった、とリフィテルは俯き、独り言のように言った。


「俺の乗っていた竜はまだ幼竜だから、あんたまで乗せて長距離を飛ぶことができない。だから育つまでの2週間程度、再籠城しなきゃならないんだが」


 リフィテルはすぐに表情を固くした。


「それだけ長くなると、追加派兵されてくる敵と戦いになってしまうよ」


 その言俺に、俺は頷いた。


「むしろそこで、もうひとつ終わらせたい用事がある」


 戦場という、殺しが問題にならない場所へリンデルを引きずり出すことの方が俺の心をはるかに大きく占めていた。


 ――次は絶対に、逃さない。


「想定内なんだ……すごいね」


 リフィテルが視線を落とし、逡巡した様子を見せた後、おもむろに口を開いた。


「……でもさ、知ってるかい。アタシたちは民に圧政を敷き、無実の者に拷問を強要してきた。この国の民ですらアタシが救われることを望んでやしない。確かにキミのこと、探していたのは事実だけど……もう事情が変わった。やめときなよ。アタシみたいな女を救ったところで、キミが後悔するだけさ」


 シャンデリア自体に灯された、うっすらと届く魔法の明かりと、暖炉の揺らめく明かりにリフィテルが彩られている。


「あんたは拷問なんかしてないさ。パンは配っても」


「………え?」


 リフィテルの目が丸くなる。


「ど、どうしてキミが、それを……」


「知っている民もいるのさ」


「…………」


 リフィテルの瞳が一瞬揺れる。

 彼女は視線を暖炉の火に移した。


「いつアタシのことを知ったのか、知らないけれど……」


 リフィテルが溜息をつくと、年上の女性のように話し始めた。


「アタシは、普通の女じゃない。……これで終わりじゃないんだよ。このあともアタシを捕まえるために司馬は何でもしてくるよ。いずれ百武将も送り込んでくるだろうさ。いくらキミでも、百武将が集まれば無理だよ」


「そうかな」


「そうだよ」


 リフィテルは諭すように続けた。


「確かにキミはとてつもなく強いけど、戦場で見た百武将たちも相当なものだった。ひとりひとりが一騎当千。5人も集まれば、数の力でキミでも負けると思うよ。悪いことは言わない。今の、聞かなかったことにしてあげるからさ。アタシを置いて逃げなよ。じゃなきゃキミも命を落とすことになってしまう」


 鳶色の目が俺を捉えている。

 リフィテルは俺の負けを確信しているようだ。


「そうか」


 そこでふと、シャンデリアに灯されていた魔法の明かりが効果時間を終えて消えた。

 室内が薄暗くなり、暖炉の明かりだけが静かにゆらゆらとあたりを照らし始める。


 動かない俺を見て、リフィテルが声をかけてくる。


「これだけ言っても、気は変わらない?」


「変わらないな」


 即答した俺に、リフィテルが一瞬、感極まったような表情を浮かべ、俯いた。


「……だめだよ」


 俺に横顔を見せたまま、リフィテルが独り言のように言う。


「ん?」


「アタシなんかに、そんなこと言っちゃだめなんだ」


 リフィテルが声を詰まらせる。


「アタシ、すごく重たい女なんだよ? なのに……。本当に守って欲しくなっちまうよ」


 こちらを見ずに、リフィテルは話し続ける。


「今、頭の中を覗かれたら、まずいようなことまで考えちゃってるよ。そういう女なんだよ? いいの?」


「頭の中くらい、好きにしたらいい」


「………」


 一瞬目が合うが、リフィテルはすぐに顔を背けた。

 しばらくして、あぁもう、とリフィテルが呟く声が聞こえた気がした。



   ◇◆◇◆◇◆◇


 

 渓流の岸辺にあった雪も消えた、ほんのり温かい春の日。

 大好きな小川のせせらぎが聞こえてくるだけで、何か安心する。


 城下町グラフェリアを離れて1日後の昼過ぎ。


 禁軍百武将、『先陣ドリームチーム』のピエール、キーピーズ、達夫、ポッケの4人は鉄の騎馬アイアンホースに乗り、ピーチメルバ王国へ戻る途中だった。


 つい先程、達夫の乗っていた馬が突然襲ってきたアーマードジャッカルに噛まれて足を負傷したため、予定外に休息を入れていたところである。


 そんな折、何の相談もなくピエールが野営結界を立てて、ごろりと昼寝を始めてしまった。

 二日酔いと迎え酒ばかりの日々だっただけに、最近お決まりの生活パターンだったのだろう。


 ポッケが何も言えずにいると、キーピーズに達夫までがごろりと横になる。

 自分も結界の中に入り、そうやって皆の昼寝にぼんやりと付き合って、今に至る。


 正座から少し足を崩して座っていると、達夫が寝ぼけたふりをして膝の上に頭を乗せてきた。

 こんなことをするのは、ゴッドフィードと達夫くらいである。


 ポッケも慣れたもので、スカートを緩めて、せぇので股を開いてスコンと頭を落とす。


 ゴンと鈍い音がして、達夫は無言で定位置に戻った。


 ポッケもこの際、寝ようかと一瞬思ったが、キーピーズの鼾が災害レベルだった。

 よくピエールと達夫は、これで眠れると思う。


 男子は本当に謎だ。


(まぁ戦も終わったことだし、いいでしかね……)


 ポッケはフリルの付いたスカートの裾を丁寧に押さえて体育座りしたまま、丸い溜息をついた。


 ポッケ自身もそんなに急いで帰還する意味を感じていなかった。

 ピーチメルバ王国までは馬で3日ほどかかるので、ここからだとあと2日の行程。

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