第109話 救出


「――リフィテル――!」


 空から、男の声が聞こえた。


「な……!」


 ソーゼがぎょっとして、もう一度空を見る。

 さっきまでは気づかなかったが、竜の背に男が乗っている。


 その男の頬では、フードが忙しくはためいていた。


「リフィテル! 俺を見ろぉぉぉ――!」


「……キミは!?」


 見上げたままだったリフィテルの視界は、とたんに涙で滲んだ。


「拾うぞぉぉ――!」


「……う……うん!」


 意図を理解したリフィテルが、涙を拭って、両腕を空に伸ばす。


「……か、掻っ攫われるぞ! 誰か止めろぉぉ!」


 四つん這いのまま絶叫したソーゼの言葉だったが、立ち尽くした兵たちには届かない。


「掴まれぇぇ――!」


 竜に乗った男が、橋の横を通り過ぎざまに体を傾けながら、手を伸ばす。

 リフィテルは全てを信じて、橋の柵を越え、その男に飛びつくように身体を宙に踊らせた。


「うん!」


 リフィテルの両腕が、男の首元に巻きつく。

 同時に男の腕が、リフィテルの細い腰を抱えた。


 皇女の白い両脚が、大きく跳ね上がる。

 結い上げていた髪が解け、鳶色がばさり、と揺れた。


「――よし、ハッキ行けぇぇ!」


 男は叫びながら、皇女の両脚を拾って引き上げ、横抱きにする。


 竜が大きく空中へ向かって舞い上がった。


「グォォォ――!」


「や、やられた……」


 ソーゼが茫然自失となる一方、兵士たちは竜の巻き起こした風に煽られながら、目を輝かせた。


「ほ、吼えた……本物だ……俺初めて見た!」


「すげぇ……龍に跨る者ドラゴンライダーだ!」


「さすが百武将様……!」


 感嘆している兵士を見て、ソーゼの脂ぎったこめかみに筋がいくつも浮かんだ。


「ば、馬鹿野郎! 敵に攫われてんじゃねぇか! そうだ、矢だ! 矢を放て!」


「……敵? 百武将様じゃないんスか!」


 ソーゼを振り返る兵たち。


 彼らは命令違反で百武将様が来たと理解していたのだ。

 命令違反とは、言うまでもなくリフィテルを害しようとしたことである。


「馬鹿野郎! あいつぁ百武将じゃねぇ! 早くやれ」


「……はっ!」


 そこで初めて、矢を放ち始める兵士たち。


 だがそんな攻撃も空しく、皇女を攫った竜は空高くへ逃げ去った。




    ◇◆◇◆◇◆◇




 俺はハッキを空中庭園に着地させた。

 無理をさせて二人を乗せてしまったが、ハッキは不満の一つも言わなかった。


「大丈夫だったか」


「うん、ありがとう……」


 抱きかかえていたリフィテルを、ハッキから下ろす。


 しかし彼女は地に降り立っても、まだ俺にしがみついたままだった。


 相当な恐怖にさらされてしまったのだろう。

 彼女の腕は震え、顔はいまだに蒼い。


「あんたが、やっぱりリフィテルだったんだな」


 そう言うと、リフィテルは俺の首に腕を回したまま、仮面の上から顔をまじまじと見つめた。


「……夢には見ていたけれど」


「夢?」


「そうさ。まさかあの時のキミが、本当に来てくれるなんて」


 リフィテルが俺をじっと見ている。


「覚えていてくれたのか」


「命の恩人を忘れるわけがないよ」


 リフィテルが涙をふいて、もう一度俺に抱きついてきた。


「ありがとう。あんたはここにいてくれ。下に行ってくる」


 話もそこそこに、俺は階段を降りようとする。


 ゆっくりしているわけにもいかない。

 城門が開いたままだったので、侵入してくる敵兵を追い返さねばならない。


 だがリフィテルはこのまま避難しているより、俺とともに行くという。


「キミのそばが一番安心だろ?」


「わかった。行こう」


 二人で急ぎ一階へと降りるが、俺の心配は杞憂だった。


「みんな!」


「姫様!! よくぞご無事で!」


 一階に降りるやいなや、兵士たちがリフィテルを囲み、歓喜し始めた。


 幸いなことに、残っていた兵士たちが城門を閉じて、さらに跳ね橋も上げてくれたのだった。


(よかった)


 まあ、再籠城の始まりでもあるのだが。


「アルマデル殿」


 そんなことを考えていた俺に、声をかけてきたのは、セインだった。

 以前会った時に比べ、頬がこけているのは仕方のないことだろう。


「このたびの参上、心より感謝いたす」


 セインが片膝をついて俺に『騎士の最敬礼』をすると、兵士たちが居住まいを正し、一斉に片膝をついて、同じように俺に畏まった。


「セイン。立ってくれ」


「姫が屈辱を受けるのを、黙って見ていなければならぬところであった」


「セイン」


 再三立ってもらうよう伝えるが、兵士たちはもちろん、セインも頭すら上げようとしなかった。

 彼らは城の中で縄で縛られていたが、俺が起こした騒ぎに乗じて縄を切り、自由になれたそうだ。


「姫様を助けて下さってありがとう。あんた、ギリギリのところで姫様を攫うなんて、本当にカッコいいねぇ!」


 さらに反対そばにいた、小太りの年配の女性が俺に礼をしてきた。

 城の中で働いていた女中のようで、40~50代くらいに見える、穏やかそうな顔をした人だが、その手には果物ナイフがあった。


 縛られていた兵士の縄を切って回ったのは、彼女の機転のおかげだったらしい。


「間に合ってよかった」


 俺はほっと安堵していた。

 予想もしない厄介事に巻き込まれていたせいで、間に合わないかと肝を冷やしたからだ。


「さ、歓迎させてもらうよ。本当に何もないアタシらだけれど」


 そう言ってリフィテルは兵士を再配置すると、俺の腕に腕を絡ませて、再び身体を寄せてくる。


「奴らの置いていってくれた食糧で晩餐さ」


 リフィテルが積まれた食糧を指差し、俺を見上げるようにして笑った。


「ありがとう。なら、その前にちょっと外に出てくるかな」


 そんなリフィテルの腕を丁重に解きながら、俺は彼女から離れた。


「……アルマデル?」


「庭園から上がって、もう一度様子を見てくる。心配ないさ。その晩餐には遅れない」


 そう言って、俺は一旦失礼した。


 もちろん、外の様子を見てくるだけではない。

 城に攻め込もうとするであろう敵部隊に警告を発してくるのだ。


 だがその統率者が聞く耳を持っていない奴なら、やるしかないだろう。




    ◇◆◇◆◇◆◇




 魔法の明かりが照らす赤い絨毯の敷かれた大部屋の隅に、金の牢屋が見える。

 ここは城の二階の大広間。

 カジカの状態で長居した場所だ。


 すぐそばで女中たちが湯気の上がるスープを器に盛って、俺に差し出している。

 俺は感謝の言葉を述べて、それを受け取った。


 陽が沈み、一つの暖炉を囲んでの夕食時である。


 それでも肉や穀類だけではなく、塩や胡椒、油などの品まで大量に得られたのは大きかった。

 食糧以外にもピーチメルバ王国兵が大量の泥炭と薪を運び込んでいたので、正直これが一番ありがたいと思う。


 生活に不便なことと言えば、城内の明かりのための蝋燭がほとんどなかったことくらいだ。

 だがそれは、代わりにリフィテルが魔法の明かりを灯してくれていた。


「おいしい?」


「ああ。俺も温かい飯は久しぶりだから」


 すぐ右隣に座っているリフィテルは背筋を伸ばして、頭を左に傾げながらスプーンを口に運んでいる。


 今は胸元がV字に開いている真紅のつやつやした、膝丈くらいのワンピースに着替えている。

 見たことがないが、名のあるローブの一種かもしれない。


 ワンピースに映える白い太ももが、半分まで覗かせている。


「キミは寒がりなのか? フードも被ったままなんて相当なもんだよ」


 リフィテルが俺を見ながら、ふふ、と目を細めた。


「いろいろ事情があってね」


 それとなく右側の顔で話をする。


「禍々しい仮面にフードなんて、まるで死神じゃないか。あ、でも、アタシにとっては救世主なんだけどさ」


 笑顔が戻っているリフィテルに、素直に安堵する。

 本当に間に合ってよかった。



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