第108話 降伏の日


 雲一つない青空。

 昨日の雨のせいで、空気が澄んでいる。


 今日はそんな好天ながら、いつも小鳥たちが戯れる場であるはずの橋の上にその姿が見られない。


 幅は10メートル、全長は45メートルのこの橋は、楽想橋がくそうばしといい、深い堀に囲まれたグラフェリア城と地を繋げている唯一の道になっている。


 祭事には音楽隊がこの橋の上に並んで音を奏でることからこの名があり、それを示すように、橋の両側には様々な楽器を手にした歴代の奏者の石像がいくつも並んでいる。


 この楽想橋には、普通の橋にはない二つの特徴がある。


 ひとつは城への最後の数メートルが跳ね橋になっており、跳ね橋が降りている時のみ通行できること。

 

 もう一つは、橋を渡った外堀のところに円形の踊り場が造られていることである。

 かつては倒錯した拷問が行われていた場所であった。


 そんな橋から離れた木陰に、とりわけ大きめの天幕が張られている。

 そこで日差しを避けながら、恰幅の良い色白の男がだらしなく座っていた。


 彼の名はソーゼ。

 今年で45歳になるその顔は精悍とは程遠い。


 でっぷりとした頬が垂れ下がり、頭頂部は皿を返して乗せたように髪が薄くなっている。

 下を見ると腹が足元を隠してしまう体型である。


「めんどくせぇ城に籠もりやがって……」


 2時間ぶりに天幕を出て見上げると、忌々しい城が青空に映えていた。


 この城は司馬が軍師として仕えていた頃に連中が作ったものである。


 司馬が関わっただけに堅牢な造りをしていて、兎にも角にも、この堀が厄介である。


 掘を上から見下ろすと、五芒星の形になっており、寒中に堀を渡って塀に近づいても、つねに向かい合った2つの高台から丸見えになる造りなのである。


「早く決めちまえゴミども」


 ソーゼは汚らしく唾を吐いた。

 ここで降伏に応じず、戦うことになるとしたら、面倒なのは明らかだった。


 先ほど部下が城に出向き、事前情報と同じ条件でサカキハヤテ皇国に最終勧告を行っている。


 ここで降伏すれば、王族以外の命を保証するという内容のものであった。


 そして今、ソーゼは降伏の返事を待っている。


 ソーゼは今ここにいる一般部隊の最高指揮官だっだが、武功を重ねて成り上がったわけではなかった。


 貴族出身で商人たちに顔が利くソーゼはそれを生かし、賄賂に賄賂を重ねて、やっと中佐となったのだ。

 この土地においては、自分に頭を下げに来ない商人はいないくらいである。


 そんな積年の苦労を経て、この戦争でとうとう2000人ほどの一般部隊を任された。


 ちなみに一般部隊とは、プレイヤー部隊と区別するためにつけられたNPC部隊のことである。


 その数は一番大規模な時で2万弱だったが、籠城戦になってからはソーゼの部隊だけが残されていた。


 自分の隊だけここに残れと言われた時、期待されているのだと思った。

 

「ここで降伏までおいやれば……」


 城を見ながら、そんな考えに耽っていた時。

 橋の上にいた兵たちが少し騒がしくなったようだった。


 続けて、伝令役を任せている兵が自分に駆け寄ってきて、失礼します、と爽やかな声を上げた。

 その顔には言いようのない笑みが浮かんでいる。


「中佐、奴らがとうとう降伏しました!」


「よし」


 笑いで口が裂けそうだった。

 これで下らん現場の仕事を終えて、酒を飲むことができる。

 上玉の女を抱くことも。


「中佐! やりましたね」


 部下たちが橋の上で歓声を上げている。


「総出で投降兵を確認しろ。抵抗する場合だけ、殺せ。それ以外は予定通り、城の中で縛っておけ」


 司馬には兵を決して殺さぬよう厳命されている。

 殺してしまうと、リフィテルの死霊魔術ネクロマンシーの対象となってしまい、さらに凶悪な兵士と化すからである。


 ただ、殺さなければなんら問題はない。

 相手が自分に抵抗したと言えばいいのだ。


「用意してあった食糧を城に運び込んでおけ。しばらくそこで暮らす」


「はっ」


 任務を受けた兵士たちが、背を向け去っていく。


(俺の役目はこれで終わりではあるまい)


 ソーゼは思案する。


 自分は恐らく、この街の統治がうまくいくまで居残り役だ。

 商人に顔が利く自分を残したのは賢い。


 当面は、この空いた城で王の気分を味わってやろう。


「くく……」


 ソーゼは持っていた酒をがぶりと呷った。


 変わって別の兵が天幕に駆け込んでくる。


「中佐! リフィテル第二皇女を捉えました」


「よしよし。よくやった。俺が直々に挨拶してやろう」


 ソーゼはにやり、といやらしく嗤った。




    ◇◆◇◆◇◆◇




 投降兵は二人ずつ縛られ、城の中に座らされている。

 その横には、食糧や酒が運び込まれて山のように積まれていた。


「 アタシに用かい」


 そんな中、白いドレスを身に纏った女が、ひとり後ろ手に縛られて連れ出され、ソーゼの前に立たされる。

 その鳶色の髪の上には、装飾された小さな王冠が飾られていた。


 サカキハヤテ皇国第二皇女、リフィテルである。


「おい、あの準備をしろ。牛だ」


 ソーゼは下卑た笑いを顔に浮かべると、近くに居た兵士に告げた。


「ちゅ、中佐……?」


「まさかあれを……? ここでですか……!?」


 命令された部下たちが信じられない様子でソーゼに確認をする。


「ぐふふ。そこの円形の踊り場はそのために用意してあったようなもんだろ」


 ソーゼの言う通り、ここは新王が公開拷問をして見世物にしていた場所である。


「お、お言葉ですが、こいつだけは必ず生かして連れるよう王が……」


「足の一つや二つ、なくたって死にやしない。拷問をやらんと始まらんのだ」


 俺がな、と鼻息荒くソーゼは言い放った。

 話していた兵士は、気が触れていると感じたに違いない。


「……はっ、しょ、承知いたしました……おい、裏天幕からあの牛を連れてこい」


 亡骸を堀に放り込んでいた兵たちがいったん作業をやめ、離れた場所にある天幕に向かった。


 そう、ソーゼは暴れ牛にリフィテルを繋いで、引きずり回すつもりなのである。




    ◇◆◇◆◇◆◇




「………」


 八人がかりで抑制されながらやってきた猛々しい牛を見ても、リフィテルは最後の皇女らしく、顔色ひとつ変えなかった。


 しかしそれと自分の右足首を鎖で繋がれると、その顔からは、どうしようもなく血の気が引いた。


「どうだ? 自分がしてきた拷問に遭う気分は」


「………」


 リフィテルはもう、なにも言わなかった。

 ただ、ソーゼをじっと睨んでいる。


「まあ心配するな。死なない程度に済ませてやる。――おい、やれ」


 ソーゼが配下に命令を下す。


「はっ。牛を放せ!」


 命じられた兵士たちが戸惑いを隠せない表情のまま、抑制の綱を次々と放す。


「ブルル!」


 暴れ牛はとたんに地を蹴り、円形の踊場に向かって跳ねるように駆け出す。

 地でとぐろを巻いていた鎖が、ジャラジャラと音を立てて、勢いよく伸びていく。


「…………!」


 リフィテルは固く目を閉じ、やってくるであろう衝撃に備えて、奥歯を噛み締める。


 それでもあまりの恐怖に、膝はがたがたと震えた。


 しかし。


「……へ?」


 ソーゼの口からは間抜けな声が漏れた。


 いつまでたっても、リフィテルが引っ張られないのである。


 暴れ牛は、踊り場を跳ね回っている。


「…………」


 リフィテルもわからず、ただ瞬きをする。


 見ればいつの間にか、踊り場に突き刺さった剣。

 それが鎖を分断していた。


「どういう……こと……?」


 次の瞬間、日が一瞬陰り、闇が橋の上を覆った。

 続けて起こる、突風。


 リフィテルが、はっとして頭上を見上げる。

 そして、まさか、と思う。


「……うそ……」


 ふいに胸が、どくんと跳ねた。


 同じように見上げた兵たちも、あまりのことに絶句している。


 そう、楽想橋にいた者たちは、目にしていた。

 空で一匹の魔物がUターンし、こちらに突っ込んで来るのを。


「おぉぉ!?」


「り、竜だ!」


 兵たちが武器を抜くのも忘れ、慌てふためく。


「に、逃げ……!」


 一方のソーゼも言葉にならぬまま、逃げ出そうとしたが、足がもつれて転倒していた。


 そんな時。


「――リフィテル――!」


 空から、男の声が聞こえた。


「な……!」


 ソーゼがぎょっとして、もう一度空を見る。

 さっきまでは気づかなかったが、竜の背に男が乗っている。


 その男の頬では、フードが忙しくはためいていた。


「リフィテル! 俺を見ろぉぉぉ――!」


「……キミは!?」


 見上げたままだったリフィテルの視界は、とたんに涙で滲んだ。

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