第106話 浮かび上がる現実


「姫様……このセイン、姫様とともに生きてこられて本望でございました。願わくば、またお会いできますことを」


 その一言で、堰を切ったかのように兵たちから咽び泣く声が聞こえ始めた。


「セイン、私はまだ死ぬと決まったわけではないぞ」


 アハハ、と陽気に笑うリフィテルの声が、それに重なった。




    ◇◆◇◆◇◆◇




(もう十分だべ)


 お涙を頂戴するような場面になると、ゾッカーは階段を上がっていった。


 上にあった庭園部分で帰還リコールを使うのだ。


 庭園に出ると、土の匂いがした。


 昨日の雨はもう上がり、春の日差しが優しく降り注いでいる。

 足元の石畳には、ところどころに水たまりができていた。


 ここはリフィテルの個人的な庭園になっている。

 もう萎びていて詳細はわからないが、薬草とも違う植物が育てられていたようだ。


 だがゾッカーはそんな下を向いた植物のことなど、どうでもよかった。


「メメ……」


 自分の心の支えだった獣人幼女。 

 目が大きくて愛らしいのでメメ。

 そう名付けようと決めていた。


 言葉にした瞬間からゾッカーの姿が現れるが、もう気にしていない。


「メメ、迎えに行くでよ……」


 ゾッカーが感慨深い表情のまま、帰還リコールを起動した。


 ――しかし。


 すぐさまゾッカーの眼前に「結界内のため、起動できません」の文字が表示されていた。


「ん……? なんだべ」


 疑問に思い、〈魔力感知センスマジック〉の杖を取り出し、振ってみる。

 魔法を心得ていない者でも、〈魔力感知センスマジック〉を規定回数のみ、行使できる杖である。


 〈魔力感知センスマジック〉は 第二位階にある下級魔法で、その名の通り、場に存在する魔力を感知することができる。

 ここへ単身飛び込む際に、支給品として王国から与えられたものだ。


「……なんだべ、これ……」


 すると庭園全体の石畳一面に、びっしりと刻まれた見慣れない文字が浮かび上がり、蒼く光ったのだった。

 見慣れぬ不思議な光景に、ゾッカーは息を呑んだ。


死霊魔術ネクロマンシーの魔法陣? 死者召喚に使うものだべか……」


 ゾッカーが溜息をつく。

 死霊魔術師ネクロマンサーであるリフィテルの庭園なら、そんなこともあるだろう。


「やれやれ、ここじゃできねえってことだべか」


 ゾッカーはさっさと大広間に繋がる階段を降り始める。

【索敵】で人の気配がないことを確認したが、問題はなさそうだ。


 階段の踊り場に降り立った時には、頭の中はまた幼女のことでいっぱいで、もう勝手に鼻歌が始まってしまうほどであった。


 ゾッカーはそこで、手に持ったままの帰還リコールを再度起動させる。

 光がゆっくりと放たれ始め、今度は問題なく起動し始めた。


「よしよし」


 ゾッカーは一安心する。

 しかし。


「……ん?」


 ……問題なく起動?


 何かがゾッカ―の心に引っかかった。

 なんだべと思い、雑念を追い払い、思案し始める。


 なにかが、おかしい?


 ……なにが?

 別にどうでもいいことのようにも思える一方、なぜか警笛を鳴らしている自分もいる。


「………」


 そこで、今起きた出来事と、ゾッカ―の知識が完全に繋がる。


「ま、ままま……」


 浮き彫りになった、信じがたい現実。

 ゾッカーの顔からみるみる血の気が引いていった。


「まさか……!」


 ゾッカーはせっかく起動した帰還リコール使用を自らキャンセルし、転びそうな勢いで再び空中庭園への階段を駆け上る。


 そして青ざめた顔のままもう一度、魔力感知センスマジックの杖を使って石畳を確認した。

 ゾッカーは瞬きすらせず、食い入るように足元を眺める。


 先ほどと同じように、石畳は足を踏むすべての領域に見惚れるほどの文字が刻まれ、魔法陣と化している。


 鳥肌が立った。


「た、大変だべ……!」


 危うく騙されるところだった。

 リフィテルたちは帰還リコールを使えないから、わからなかったのだろう。


「あの男……!」


 この魔法陣の中では、帰還リコールは使えない。

 つまり転移先にも、選ばれる訳がないのである。

 

 そう、あの男は、嘘をついている。


 これは司馬に報告しなければならない。

 あれが嘘だったとしたら。


 あいつはここに侵入する手段を持っている。


 ――とてつもない、危険人物。


「いったい、何者だべか!?」


 最後の以心伝心の石を取り出すと、震える手のひらに乗せて発動させる。

 幸い、いつものように音もなく石が紫色の光を放ち始めた。


 眼を閉じて司馬の名前を念じていたその時、手の上をふいに風のようなものがよぎった。


 次の瞬間、ふっと手が軽くなる。


「おあ?」


 素っ頓狂な叫びを上げてしまった。

 目を開けると、手の上にあったはずの以心伝心の石が放物線を描いて城の外へ飛んで行く。


「――ああぁ! 石! 最後の!」


「よかった。最後なのね」


 澄んだ声に驚いて前を見ると、黒のひらひらしたミニスカートの奥に、白いものがちらりと見えた。

 続けて黒いガーターストッキングに包まれた脚が、それを隠すようにゆっくりと下りてくる。


 目の前に女がいる。


「お、おめぇ……誰だ? ど、どうやってここに……」


 【索敵】が、この女を捉えていない。

 探知系妨害アイテムなど、この世界にあっただろうか。


 そもそも、こいつはどうやって侵入してきたのか。


 降伏勧告の今日はいつにも増して、味方の軍が城を取り囲みプレッシャーをかけている。

 やすやすと入れるはずがない。


 ゾッカーは一歩下がりながら、女を観察する。


 焦げ茶色の髪をポニーテールにして、頬から下を黒い布で覆っている少女だった。

 声も容姿も若々しいが、ゾッカーの好みの範囲からはもう逸脱している。


 放つ雰囲気と腰にある武器から、どうやら同じ短剣系職業のようだ。

 予備だろうか、すらりと締まった腰には刀身の隠された短剣が二本も刺してある。


 (流行らないことをしている)


 短剣職に二刀流はない。


「――このまま忘れてくれるなら、見逃してあげるわ」


 唯一覆われていない少女の目元に、優しげな微笑みが浮かんだ。

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