第105話 愚者


「……首輪?」


 俺は予想外の条件提示に、一瞬困惑した。


「その良い香りを放っておる首輪」


 愚者ザ・フールは白い羽団扇で俺の首元を示す。


 このネックレスには、亞夢が入っている。


「これは無理だ。帰属アイテムと言って、人に渡すことはできない」


 言いながら、相手の意図を探る。


「ワシは拾わぬ。この切り株の上に置け。必ず貴様は取りに戻るであろう?」


 愚者ザ・フール が俺達の間にある切り株を羽団扇で示す。


「ダメだ。大切な存在を預かっている。この人の呪いを解く約束もしている」


「贅沢を言うな」


 ニタニタしながら言う愚者ザ・フールが、何度も唾を飲み込んでいるのが気になった。


「絶対に駄目だ。俺から引き離すことはできない」


「女は2人もいらぬ。助けるならどちらか」


 愚者ザ・フール の笑みが生ぬるいものに変化した。


 頭に血が上っていくのを感じる。

 今のは亞夢の存在がわかっている発言だ。


 リフィテルのためとはいえ、亞夢を置いていくなど決してできない。

 彼女は俺の命の恩人である。


 もちろん、今はもうそれだけではない。


 愚者ザ・フール は俺がいなくなった後、亞夢のネックレスを拾わずとも破壊したり、埋めて隠したりもできる。もしかしたらネックレスから亞夢を取り出し、何か良からぬことをしようと考えているのかもしれない。


「――駄目だ。このぬえの指輪とかどうだ?」


 俺は女教皇のドロップで拾った指輪を差し出す。


「血塗られた令嬢をよこせ。たまらん……たまらんぞ!」


 愚者ザ・フールの鼻息が、繁殖期に入った獣のように荒くなっている。


「渡さないと言っている」


「首輪の令嬢と、助けに行く女はどちらが大事か」


「そんなのは決まっている」


 糸を構えた。

 それが答えだ。


 亞夢は置いていかない。

 さっさと討伐して、リフィテルも助ける。


 俺は静かに【アラートシステム】で自分の分身を生み出す。

 女教皇から手に入れた新しい唯一ユニークアビリティである。


「……ぬ?」


 天狗が表情を変えた。


「俺に憑いているのは、死神だけじゃない」


 やるとしたら、こいつとは召喚獣なしで戦わなければならない。

 彼らは一日1回しか使役することができないのである。


 これからピーチメルバ王国軍と単身向き合うのだ。

 そちらの方も、どんな戦いになるかはわからない。


 愚者ザ・フールも気付いて表情を厳しくすると、白い羽団扇を俺に向けた。


 最初から全力で、片を付ける。

 部下召喚はさせない。


「ならば倒して、その首輪を奪い取るだけ! カッカッカー!」


 その言葉を合図にして、降り積もっていた粉雪が激しく舞い上がり始めた。




    ◇◆◇◆◇◆◇




 清々しいまでの陽の光は、漂う塵を映すほどに強い。


 サカキハヤテ皇国、降伏予定当日の朝。

 グラフェリア城の大広間は昨日までと全く異なっていた。


 盛大にくべられた薪が、中央の絨毯を挟んだ両側であかあかと燃えさかる。

 シャンデリアや随所にある燭台には蝋燭が火を持って、薄暗さを打ち払う。


 真っ赤な絨毯の端ではマントまで付けて正装した騎士たちが二列に並び、女中たちまでもが、その下座に並んで姿勢を正している。


 彼らは皆、感極まった表情をしており、中にはすでに嗚咽を漏らしている者までいる。


 ゾッカーは歯の間に挟まった干し肉を気にしながら、その様子を冷ややかに見ていた。


 ふいに、大扉が開く重厚な音。


 目を向けると、女性騎士と白髪の騎士が開けられた扉から現れて、そのすぐ脇に避けた。

 2人は向き合うように頭を垂れ、続けて現れるだろう人に向かって跪く。


 数瞬の後。

 開け放たれた扉から現れた人。 


 誰かが、はっと息を呑んだ。


 繊細なレースが随所にあしらわれた純白のプリンセスドレス。

 腕には上腕までの、レースドレスグローブ。

 燃えるような鳶色の髪は華やかに結い上げられ、頭には由緒ある冠。


 そう、第二皇女リフィテルである。


「おぉ……」


 騎士たちから、思わず声が漏れる。


 リフィテルは長い裾を完璧にさばきながら、優雅に騎士たちの目の前を通り過ぎて行く。

 まさに皇女にふさわしい、洗練に洗練を重ねた姿。


 さすがのゾッカーも、この美の極みに嘆息を漏らした。


 リフィテルは上座に立つと、見とれるような仕草で裾を翻して振り返り、皇女らしい静かな微笑みを浮かべた。


「みんな、最後まで私のそばにいてくれてありがとう」


 その一言で嗚咽の声すら消え、ここにいる全員が次の言葉を待つ。

 幾重にも張り巡らされた静寂の糸が見えるようだった。


 リフィテルの顔が、凛と引き締まる。


「――これより我らは降伏する。繰り返しになるが、ピーチメルバ王国は皆の命を保障してくれている。門が開いたら武器を置いて、堂々と出て行ってくれ。ナルキー。女中たちを頼む」


 透き通った声が、大広間に響き渡った。


 ナルキ―という名らしい一人の女性騎士がひとり、恭しく礼をする。


「……姫!」


「姫様!」


「姫様! 我らが不甲斐ないばかりに! 申し訳ありません」


 兵たちが我慢できずに隊列を崩し、皇女の元へ駆け寄っていく。


「そんなことはないさ。敵がいささか強すぎただけだよ。さて、アタシはここで皆の無事を確認してから出て行くことにするよ」


 膝をつき、石の床に拳を叩きつける兵士たち。


「姫。ご安心くだされ。セインは最後までお傍におります」


 皇女のすぐ傍に来た白髪の騎士が、鎧を鳴らしながら膝をついた。

 リフィテルが目元に笑みを浮かべ、その騎士を見下ろす。


「セイン、下手なことはしないで投降しなよ。お前には死んでほしくない。故郷で娘さん達が4人も待ってるんだろ? それに……最後はアタシを1人にしてくれ。その意味するところがわからないお前ではないだろ」


「姫様……このセイン、姫様とともに生きてこられて本望でございました。願わくば、またお会いできますことを」


 その一言で、堰を切ったかのように兵たちから咽び泣く声が聞こえ始めた。


「セイン、私はまだ死ぬと決まったわけではないぞ」


 アハハ、と陽気に笑うリフィテルの声が、それに重なった。

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