第99話 出てきた包帯



「だが部下の中にはもうアタシの言うことを聞かない奴も混ざっててね。だから結局、この牢の中が一番妥当。キミを守るという意味でもね。済まないけれど、もう少し我慢しておくれよ」


 なるほどな、と思った。

 俺を牢から出せば、水や食糧を独占しようとする輩に狙われる、ということか。


「気を遣わせてしまったようだ」


「おや、気づいてなかったのかい」


 2人でふふっ、と笑い合った。


「さて」


 そう言って立ち上がると、リフィテルは毛皮を脱ぎ置き、牢の鍵をがちゃがちゃとやりだした。


 何をするのか見ていると、なんと開けてずんずんと中に入ってきた。

 ふわりといい香りが遅れてやってきた。


「何してるんだ」


 理解できない俺をよそに、すぐそばに座ったリフィテルは、どこからか包帯を取り出した。


「ほら、じっとしてなよ」


 俺の右手をとり、傷をそれでゆっくりと覆い始めた。


「アイテムボックス?」


 NPCなのに、持っているのか。


「ああ、司馬に言われて私も知ったよ。司馬がずいぶん不思議そうにしていた」


 それは不思議に思うだろう。

 NPCはアイテムボックスを持たない。


(……この人は【真なる目】といい、規格外なことばかりだ)


 リフィテルが手に持っているのは『魔法の包帯』で、巻くと一定時間、持続回復効果が高まるものだった。


 安価なので、低レベル帯のうちはこれに頼って狩りをするが、レベルが上がると、回復量の多いHP回復薬ポーションを使用することが多い。


 いわゆる、最下位の回復方法と言ってよいのだが、ただHP回復薬ポーションをぶっかけられるより、よほど温かい。


「うちの兵士たちがひどいことをしたね」


 巻いてくれるリフィテルの息が、俺の腕にかかってくすぐったい。


 ちなみに俺のHPは傷を受けた後4割程度まで減っていたが、今は8割以上にまで自然回復している。


「脱ぎなよ、背中も酷いことになってるよ」


「ありがとう」


 俺は言われた通り、上半身を脱いで傷だらけの背中を出した。


「それにしても、でっかい背中だねぇキミのは。あぁもう。広くて面倒だよ」


 リフィテルの胸元では、上三分の一だけが見える豊かなものが、包帯を巻くたびに悩ましげに揺れる。


 だがそればかりに気をとられているわけにはいかない。


 そろそろ、俺には確かめなければならないことがあった。


「ほら、もう終わるからじっとしてるんだよ」


「ああ」


 リフィテルが背中に回った瞬間、俺はアルマデルの仮面だけを取り出し、それを両手で隠しながら顔に当てた。

 そして、見回した俺の目が、一点で止まる。


 直後、すぐにそれをしまい込む。


「ん? どうかした?」


「いや、顔が痒かっただけだ」


 言いながら、俺は無表情になる。


 あらかた包帯を巻き終えた後、リフィテルが再び俺の顔を覗き込んで指さした。


「ところで、その痛々しい傷跡はどうしたんだい?」


 リフィテルの視線が俺の左側の顔に注がれている。


「その傷跡?」


「ああ。その左頬から首にバッサリとついた傷のことだよ」


 俺は頬をなぞる。

 大変なことになっていた。


 カジカの状態でもノヴァスにつけられたあの傷が出現している。


(参ったな)


 アルマデルとまったく同じ形で傷が出ているのは、少々まずい。

 ちょうど仮面のあった場所のすぐ下から傷が入っていて、ある意味わかりやすい。


「なんだい、知らなかったのかい?」


「……いや、重大な指摘をありがとう。底知れぬ価値がある」


 意味が分からないよ、とリフィテルが不思議そうな顔をする。


「あーやっと終わったよ」


「――ありがとう。痛みが遠のいてきたよ」


 リフィテルはふふ、と目を細めて笑いながら、ふと、何かを思い出したように懐に手を入れた。


「そういえば、二つあったよ。君が望んだもの」


 リフィテルが懐から取り出したのは、【悪業】レベルの魂の宝珠が2つだった。


【悪業】は【罪咎】のひとつ下に当たるので俺の呪いは解けないが、もしかしたら亞夢の呪いはレベルが低く、解けるかもしれない。


「アタシらには不要のものさ。持っていきなよ」


 そう言ってリフィテルがふたつともくれた。


「いいのか。すごくありがたいんだが」


「ありがたいのはこっちさ。こういう状況だから井戸水は無駄にはできなくてね。キミの不思議な水のおかげで、アタシも気にせず湯浴みができたよ」


 リフィテルが柔らかく微笑んだ。



    ◇◆◇◆◇◆◇




 牢に閉じ込められた翌日の朝。

 降伏予定の日まで、あと2日。


 俺が幽閉されている大広間で、兵士たちが朝食を口にしている。

 長期籠城中の重たい空気の中、一時だけの和やかな雰囲気。

 久しぶりに並んだ、たくさんの料理に、皆の顔がほころんでいるのだった。


 肉もそうだが、俺が持ってきたキウイと、そら豆を使ったスープが好評だった。


 そんな折、セインが部下とともにその料理を運んできてくれた。


 牢を開けて料理を差し出す傍ら、お前には感謝しているとセインが言う。


「食糧はあまり残ってなかったのか?」


 ありがたく受け取りながら訊ねた。


「まあこれだけ食糧をくれたお前には、話しても問題あるまいな……。実は昨日の1食が最後だった。今日明日と、本当は丸二日、食事のない日が予定されていた。それが一日3食に変わったのだからな。跳び跳ねるのも当たり前だ」


 セインが静かに牢の扉を閉めて鍵をかける。


 昨日トレーに乗せて運ばれていた、欠片だけの二品が目に浮かんだ。


(あれで、最後の食事だったのか)


 条件のよい降伏勧告までしのげるか、非常に厳しい状況だったに違いなかった。


「まさか、皇女も……?」


「同じだ。しかし召し上がってくださいと申しても、最近は兵に与えよと一口も口にされていなかった」


 あの人らしい気がした。

 もうすぐ死ぬことが前提の生き方だ。


「降伏すれば、あんたたちはみんな助かるのか」


「そんなことすら知らんとは、本当にピーチメルバ王国軍ではなさそうだな」


 セインは上機嫌だったせいか、気兼ねせず教えてくれた。


「次回の降伏交渉で応じれば、司馬は我々兵士や女中たちの無事を約束してくれている。まあ、すでにここにいる兵士も50人足らずだがな」


 その言い方が気になった。


「皇女は無事じゃないってことか」


「……」


 セインは急に厳しい表情になると、肯定も否定もしなかった。


 ちらりと見たリフィテルは、頭を左側に傾げながら上品に水を飲んでいる。

 今日は髪止めをしていない鳶色の髪が、内巻きとなって胸元に垂れている。


 白い素肌に鳶色が重なる美しさは、痩せていても全く衰えることがなかった。


「多くの民は我々を好いていない」


 セインがゆっくりと、重い口を開いた。


 セインによると、拷問はひそかに先王の時代から行われていたそうだ。

 先王は拷問に性的な昂りを感じる男だったという。


 先王がまだましだったのは、それ一辺倒にならないだけの理性は兼ね備えていたことだ。


 その性的倒錯を引き継いでしまった第一皇子は、そうは育たなかった。


「第一皇子は王となるや、国を私物化し始めた。圧政を敷いたり、自分の性的趣味に合わせるような意味不明の法律を作っては、民を拘束した。ひどい日は自分で興味を持った対象を捕まえに街までおりていった」


 セインのこめかみに血管が浮き出ていた。


「民は錯乱した王族たちが自ら考え出した拷問で死する日を夢見ているくらいであろう」


「……どうしてリフィテルが女王にならなかった?」


 誰もが持つ疑問だと思った。

 リフィテルは難度の高い死霊魔術ネクロマンシーを修めている。

 器も性格も問題ない気がした。


「民から見れば死霊魔術師ネクロマンサーより、まだ第一皇子の方がまともな人間に見えておるのだ」


「そうなのか」


 確かに、民の信頼はリフィテルもそれほど高くないようだった。

 この街に来てから、「死体を穢す姫リフィテル」と呼ばれているのを聞いたことがある。


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