第98話 牢の中の賓客
4つあるうちの一つの囲炉裏に火が起こされ、ぱちぱちと音を立てている。
日中は一度『異空間の滝』を出せとリフィテルが来たのみで、俺はそのまま放置された。
今日は食事が朝、昼、夕の3回になっているようだった。
時間になると各々の兵士がトレーに料理を乗せ、広間の囲炉裏を囲むようにして食べている。
久しぶりのまともな食事に歓声を上げる兵たち。
見ていて悪くなかったし、ごく一部の兵だが、俺に通りすがりに感謝を述べてくれる者もいた。
(それにしても……)
兵が少ない。
籠城している国の最後とは、概してこういうものか。
兵の士気も地に落ち、相次ぐ逃亡。
こうも減ってしまっては最後の決死の突撃すら、ままならない。
これも全て、司馬の策のうちなのかもしれないが。
日が暮れると、俺の牢には見張りがひとりついた。
その兵士は周りから人影が無くなると、気さくに話しかけてきた。
「……こんなに満腹になるたぁ、あんたに感謝しているよ。最後の最後で立派な食事にありつけたぜ。なのにこんなところにいてもらって、ホント済まねぇ」
兵士が親しみの湧く笑みを浮かべていた。
目は細いのに、眉が親指ほどもあるのではないかという太さなのが印象的だ。
「俺も欲しいものは頂いた。命も保証してもらった。何も不満はないさ」
「ありがとよ。おかげで少なくとも衰弱死はなくなった。これでもしかしたら……嫁や息子に会えるかも……しれねぇ」
兵士が目元を拭いながら声を潤ませた。
聞けばこの男は城下町グランフェリアからほど近い村に家族を残してきているそうだった。
「俺の仲間はもうみんな堀に飛び込んで逃げちまった。だが俺はそんなことできねぇ。リフィテル様が一人死のうとしているのに。そんなことできねぇよ……」
兵士が俺に背を向けると、目元を拭った。
「どういうことだ」
兵士が言うには、籠城している間、敵軍は一貫して『リフィテルを渡せ、兵は皆助ける』と告げていたらしい。
さらに『司馬王は拷問など当たり前にない国を作る、貧しい民も皆の家族も、食べ物に困らなくなる国を作る』と矢文で伝えてきたという。
「……あれに反対する奴なんて、いるわけねぇ。今ここに残ってるのは、それ以上にリフィテル様を敬愛していた奴、ってだけだ」
「なるほど」
確かに現代人の知識を使えば、それもできるかもしれない。
もちろん、決して簡単なことではないが。
「あの人は……リフィテル様は間違いなく王族にふさわしい、高潔なお方だよ。
「……」
なんで殺されなきゃなんねぇんだ、と兵士は嗚咽を漏らし始めた。
「すまねぇ。あんまりにリフィテル様が不憫で……」
「いい。好きなだけ吐き出してくれ。俺も聞いておきたい」
俺はそのまま、兵士の話にしばし、付き合った。
「とにかくありがとよ。そろそろ餓死すると思ってたくらいだった……あんたぁホント神様だ。解放されたら俺の家に遊びに来てくれ。歓迎する」
嫁が作るシチューは最高なんだ、と言いながら、兵士は楽しそうに家の場所を詳細に教えてくれた。
そんな話をしていると、広間の扉が開けられ、人が1人、こちらにやってくるのが見えた。
話していた兵士が突然、直立不動の姿勢になる。
リフィテル第二皇女だった。
リフィテルは俺の牢に歩み寄ると、兵士にご苦労、と声をかけた。
ふわりとバニラアイスのような甘い香りが漂った。
(この香り……)
覚えがあった。
間違いなくあの上品な荷馬車とハンカチから漂ってきた香りだった。
リフィテルは今朝と違い、ピーロリッチドラゴンの毛皮の下にオフショルダーネックのベージュがかったアワーグラスドレスを着ていた。
ウエストのところがきゅっと絞られ、胸と腰が強調されている。
スタイルに自信がないと着れないワンピースだ。
手には座布団代わりにするのか、ワイルドベアの毛皮を持っている。
「盛り上がっているところ割り込んで済まないね。この男に話があるから、少し外してくれないか」
揺らめく蝋燭の明かりに照らされる白い肌が、清純な魅力を放っている。
「り、リフィテル様。お二人とはいくらなんでも……」
「どうってことないよ。こいつは弱い上に今は牢の中だ。何もできやしないさ」
まだ反論しようとした男だったが、リフィテルにもう一度言われると、頷いて部屋から立ち去った。
「さて、と。ここはアタシとキミの二人だけだね」
兵士が出て行ったのを確認した後、リフィテルはあからさまに表情を緩ませた。
「さあ、本当のことを聞かせておくれよ。わざわざこんな所まで何をしに来たんだい」
「……」
リフィテルが俺を見下ろす。
薄紅色の潤った唇の端が上がる。
ぱっと咲いたような華やかな笑み。
魅力に溢れるその笑顔は、この暗い中でも眩しいくらいだった。
「……司馬に我々の死に様を確認するよう言われたのかな? それとも私が自害しないよう監視しに来たのかな?」
リフィテルの長い睫毛が肌理の細かい頬に影を落としている。
朝に会った時とは全然違う雰囲気に、大人の女性らしい洗練された艶を感じた。
「あれだけ言ったのに、俺はピーチメルバ王国に与しているように見えるんだな」
「だってキミはプレイヤーだろ」
リフィテルは内巻きになった鳶色の髪を面倒くさそうに手で払って肩の後ろに送る。
「一区切りにしない方がいい。俺みたいに能がない奴もいる」
「キミが本当に弱いのはよくわかったよ」
リフィテルが目を細めるように笑いながら、顎で俺の腕の傷を指し示す。
「でもピーチメルバにも与しないプレイヤーが、この潰れかけの国にいったい何の用だい。本当に殺されるところだったじゃないか」
リフィテルは微笑を浮かべたまま、牢の前に腰を下ろした。
大きく揺れる胸と雪のように白い肌が目に映る。
「これを敷いて横になるといいよ。少しはましになるだろうさ」
黙っている俺を見かねて、リフィテルはワイルドベアの毛皮を牢の中へ差し出した。
「一人になると随分変わるんだな」
俺は感謝の言葉を述べ、言われた通り足元に敷いた。
受け取った時に、指先が軽く触れ合う。
「当たり前だよ。皆の前では最後の希望として毅然と立っていなければならない。こんな嫌われた国でも愛国者は居る」
だからこうして人払いして会いに来ているんだよと、ふわりと笑った。
結い上げた髪と毛皮の奥の白い首すじが艶っぽい。
「本当はアタシもわかってるんだよ。意図は読めないけれど、キミに害意はない。牢の外で客として扱いたいくらいさ」
リフィテルは悲しそうな顔つきになり、続けた。
「だが部下の中にはもうアタシの言うことを聞かない奴も混ざっててね。だから結局、この牢の中が一番妥当。キミを守るという意味でもね。済まないけれど、もう少し我慢しておくれよ」
なるほどな、と思った。
俺を牢から出せば、水や食糧を独占しようとする輩に狙われる、ということか。
「気を遣わせてしまったようだ」
「おや、気づいてなかったのかい」
2人でふふっ、と笑い合った。
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