第100話 夢見る異国
「民から見れば
「そうなのか」
確かに、民の信頼はリフィテルもそれほど高くないようだった。
この街に来てから、「死体を穢す姫リフィテル」と呼ばれているのを聞いたことがある。
難度の高い召喚魔法の系統でありながら、暗黒魔法として認知され、この世界での評価は低い。
「姫様はとてもお優しい方だ」
セインが食事に手をつけないリフィテルにちらりと目をやった後、話を続けた。
「第一皇子が残虐な拷問をした翌日には、決まって姫様が顔を隠して街に降り、パンを配って歩かれた。大雨で外を誰も歩いていないような日でも、行くと決めたら聞いて下さらない。そして足が棒になるまで、歩き回られる」
彼女の
昨日の兵士が言っていたように、民ももっとこの人の中身を知ることができればよかったと思う。
◇◆◇◆◇◆◇
晩になるとリフィテルは同じようにやってきた。
食糧を差し出したお礼に、顔を出しに来てくれているようだった。
今日は黒のノースリーブロングドレスに太ももまでスリットの入ったものを着ていた。
黒地には灰色の糸で花の刺繍が入ったもので、燃えるような赤い髪をより引き立てていた。
「キミはミッドシューベル公国に行ったことはあるのかい?」
軽い挨拶の後は、そんなことを訊ねてきた。
「ああ、あるよ。いい思い出はないが。行ったことないのか?」
思い出すと血の臭いがした。
最近のあの国は、亞夢の求める男を探しに行った件の印象が強い。
「あるわけないさ。アタシはね、自慢じゃないが22年間生きてきて、この城下町を出たことが3回しかないんだよ。しかもそのうちの1回は山賊に襲われ、危ない目に遭っちまったしね」
リフィテルが内巻きになった髪に指を通しながら視線を合わせずに言った。
「王族だから狙われたんだな。攫われて身代金ってとこか」
ボールを打ち返すように言葉を返していたが、内心仰天していた。
リフィテルはここ以外の世界をほとんど知らないということだ。
「まぁ、そんなとこだよ。たかが山賊ごときと思ったんだけどね。相手に強力なプレイヤーが混ざっていて次々と部下たちがやられてさ。全滅かと思った時、とんでもない腕前のプレイヤーが加勢して退治してくれたんだ。お礼をする暇もなく、その男はいなくなっちまったけどね」
はぁーあ、と言いながら、両手を頭の後ろに抱えて、皇女らしくないポーズをとる。
「しかしひとくちでプレイヤーと言っても、こんなに違うんだね……」
リフィテルが思わせぶりに言うと、上目遣いに俺を見た。
「なんだよ」
「だってさ、かたや――」
「それ以上言うな。自分でも情けないのはわかってる」
俺がふてくされると、リフィテルは楽しそうに笑った。
「ふふ」
がさつな話し方に似合わず、口元に手を当てて上品に笑うリフィテル。
そんな彼女を、素直に綺麗だ、と思った。
リフィテルは美しい顔立ちに加えて、ぐっと惹きつける笑顔で相手を虜にするのだ。
「それでさ……キミは獣人をみたことがあるかい?」
「獣人?」
「うん。獣の血が混ざった人らしいんだけど」
「もちろんいろんなの、みたことあるぜ。鰐だったり、犬や猫だったり。体にそう言う特徴を持って生まれてくるんだ。それこそミッドシューベル公国に行けば、飽きるほどにいる」
俺の言葉に、リフィテルの顔がぱぁっと明るくなった。
「ねぇ! もしかして、猫の獣人って、て、手とかも猫みたいになっているのかい?」
噛んでいた。
「なってる奴も、そうでないのもいる。獣の血の濃さで変わるみたいだった。だから四足歩行する猫そのものの奴もいるし、猫の毛が四肢に少し生えているだけの奴もいるんだよ。実際に見てみればいいんだ。百聞は一見に如かずってやつだぜ」
「不思議なこともあるもんだね……」
「みてたら仕草とか、かわいいぜ。耳をぴょこぴょこ動かす奴とかいて」
「えっ……」
とたんにリフィテルが顔を紅潮させた。
「彼らは森の中でひっそりと暮らしているんだが、ストーンウェブと言う、獣人ばかりが集まる街もあるんだぜ。そこでは変わった楽器で演奏するジャズみたいのもあって、宴の日は盛り上がるんだ」
「へぇぇ……」
「俺も一度だけ行ったことがあるんだが、本当に面白い。明け方までずっと歌や楽器の音が鳴り響いていて、寝られないくらい盛り上がっているんだ。次の日はどうするんだと思っていたら、やっぱりみんな昼まで寝てて、店は夕方までひとつもやってなかった」
面白いんだけど、飯を食うのに困った、と肩をすくめると、いつの間にかリフィテルが羨望の眼差しを俺に向けていた。
「そんな生活、一度でいいからしてみたいもんだよ……」
「ああ。行ってみるといい。4回目の外出はきっと楽しいものになるさ」
「ちがいないね……」
と、そこで一番近くにあった蝋燭の明かりがふっと消えた。
あぁ、と声を漏らしリフィテルがすっと立ち上がると、遠くの蝋燭から火をもらい、そっと移した。
彼女は魔法を使わなかった。
「あんた、降伏したら殺されるんだってな」
俺は聞きたかったことを確認することにした。
「…………」
リフィテルは微笑みを絶やさず、ふと水袋を取りだすと、頭を左に傾げて水を口にした。
「アタシは最後の王族だからね。次の降伏条件はアタシの命と引き換えに、ここにいる兵や女中たちの命を助けてもらうことになっている」
「あんた、それを受け入れるつもりだな」
「もちろんさ。皆殺しを避けられるだけでも感謝しているよ。兵や女中たちは何も悪くないからね」
そもそも第一皇子が圧政や拷問をする男でなければ、司馬はこの国を攻めなかっただろうし、リフィテルもこんなところで死を覚悟しなくてもよかったのだと思う。
「大丈夫さ。すぐに殺されはしない。司馬はアタシの持っている能力を利用したいみたいだからね。それこそしばらく拷問は続くだろうけど」
別にそれも怖くもないよ、とリフィテルは他人事のように笑った。
作り笑いだけで、その背後には何の感情も動いた気配がなかった。
「いいのか」
「ああもちろん。最初から迷いはない」
ピンクの爪を撫でながら、儚げに笑うリフィテル。
死の宣告を受けてすら、今ここで笑っていられるこの人は、どれだけ苦悩を経たのだろう。
『確定した死に一日ずつ近づいていく日々』というのは、想像を遥かに越える恐怖がある。
常に心臓を掴まれているような感じだろう。
彼女は、本当にもう諦めているのだろうか。
少しでも前向きな気持ちがあればいいが……。
そこで扉を叩く音がした。
「姫様。探しましたぞ!」
重厚な音とともに開いた扉の隙間から、セインが安堵した表情を浮かべていた。
時刻を確認すると、もう夜中の1時を回っていた。
立ち上がり、背を向けようとしたリフィテルに俺は声をかけた。
「リフィテル。明日の夜、もう一度ここに来てくれないか。最後に俺と雑談をしよう。心配するな。大した時間はとらせない」
「それも一興か」
「ああ、もっと面白い話をしよう。付き合ってもらえるとありがたい」
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