第94話 お別れの日1


 6日目。


 シルエラが部屋に置いてくれるようになった分、少し話が弾むようになったのは良かった。

 心なしか、物腰も柔らかくなった気もする。


 たまたま話題に上ったので聞いたところ、どうやら4日後にサカキハヤテ皇国に条件の良い降伏勧告が出されるそうだ。


 それで恐らく籠城は終了、サカキハヤテ皇国はピーチメルバ王国に降伏するだろうと言う。


 現在、サカキハヤテ皇国の籠城は16日を数える。

 城内部では切り詰めた食事で、過酷な環境を耐えているに違いない。


 シルエラが言うには、逃亡兵が大量に出て、城内の兵は200人も残っていないのではないかと言う話だった。

 逃げてきた兵に聞くと、内部ではリフィテルが指揮をとっており、逃亡を黙認しているという。


(限界だな)


 思っていた以上に情報は手に入らなかったが、新人として百武将の内部を嗅ぎ回るのは、ここらあたりが限度なのだろう。

 終わってみれば、詳しくなったのはシルエラの生態くらいだが、まあ仕方ない。


 いや、リンデルに関する情報も得られたから、俺個人としてはそう悪くはない結果か。

 準備もできて、あいつにはしっかり礼ができそうだ。


(さて、今日中に城に入るか)


 俺は本を持ちながら、シルエラの部屋の窓から見える城へと視線を向けていた。


 リフィテルは賢明だ。

 降伏勧告には応じることだろう。


 だがそうなれば、彼女の死は確定する。

 手遅れは断じて許されない。



 ◇◆◇◆◇◆◇



 夜食の買い出しのために外出を許可された俺は、このままシルエラの元に戻らず、去ろうかと迷った。

 だがこの外出をありえないほど快諾してくれたシルエラを、逆に裏切る気になれなかった。


(最後だ。夜食くらい作って去るか)


 どの道、城に飛び込むのは寝静まってからだしな。


「……え? こ、これ全部?」


「あんた、ホントに買ってってくれるのかい? 売れ残りだよ?」


 俺は店を回り、次々とありえない量の食糧を買い占め始める。

 もちろんこれは、シルエラのためではない。


「アルマー? 入ってー」


 買い出しを終え、帰ったことを伝えると、シルエラはすぐに俺を室内へと招き入れた。


「遅いじゃん、もー。まだ湯浴みもしてないし。お湯持ってきた後はすぐ夜食ね。肉キボー」


「はい、わかりました」


 俺はいつもと変わることなく、シルエラの言う通りにする。


 湯を持ち、シルエラが湯浴みをしている間に、夜食を作りに街の調理屋へ行く。

 今日は野ウサギが安くなっていたので、ウサギ肉の塩焼き、スープはウサギ肉の固いところと、そら豆と、ローレルの葉、胡椒を入れた。


 俺の定番の料理だ。


「………」


 作りながら、少々胸がもやもやしていた。


 俺はこれから、何も伝えずにシルエラの元を去る。

 あれだけ支えてきたシルエラの夜泣きから逃げるようで心苦しいのだった。


「入ります」


 夜食を持ってシルエラの部屋に入った。


 はい、わかりました、すみませんしか言えないので、俺は無言で木製のトレーから皿をシルエラに差し出す。


「なに、これ……?」


 シルエラが目を丸くしていた。


「はい?」


 シルエラの驚いた意味がわからない俺。

 訊ね返したものの、シルエラはそれ以上言わなかった。


 彼女はそのまま無言でスープに口をつける。

 眼を閉じて数口味わった後、ウサギ肉を切り分けて口に入れた。


「……ハンカチ頂戴」


「はい」


 手元が汚れてしまったシルエラが不躾にそんなことを言うので、俺は一番に掴んだハンカチをそのまま渡してしまった。


 見れば詩織からもらった、深緑に白の刺繍が入ったハンカチだ。

 一番大切にしていたものだ。


 シルエラがそれを雑には扱わなかったのが幸いだった。

 しかし気に入ったのか、まだそれを手元に置いている。


 無言で料理を口に運ぶだけのシルエラに、俺は何も言えずにいた。

 

 すると唐突にシルエラが銀色の瞳を向けて、微笑を浮かべた。


「アルマーって不思議」


「はい?」


「姿も何もかも違うのに……」


「えーと、はい?」


 相変わらず意味が分からないでいると、シルエラがとんでもないことを口にした。


「これ。昔カジカさんが作ってくれたのと全く一緒」


「………」


 俺は硬直していた。


「このローレルがいいのよね」


 言われてみれば、カジカの時にシルエラにこれを作って出していた。


 あの時もシルエラはこの世界に堕とされて泣いていた。

 元気づけようと思って金のない中、作った料理だった。


「ていうかアルマ―って、カジカさんと友達とか?」


「……とあるお店の、定番料理を真似しただけですが」


 問題ない返事だと思ったが、運動部ルールはすっかり忘れていた。


「ふぅん……あ、そういえば」


 シルエラはそんなことは気にならなかったようで、そのまま遠い目をした。


「なんだろ、思い出せない……。なんか、最近カジカさんに会ったような……」


 俺は心の中で小さく舌打ちする。

 シルエラの独り言が冴えている。


 俺の頬に浮かんでいた笑みは消えていた。


「シルエラさん。そろそろリンデルさんがお戻りになる頃ですか?」


 俺は確認したかったことを口にして、それを遮った。


「ん? ……いや、まだ1週間はかかるってさ。肩のところがきつくて少し直すってWIS(ささやき)来てた」


「まだ一週間も?」


 つい、咎めるような言い方になってしまった。


「え、何、会いたかったの?」


 シルエラが髪を揺らして首を傾げた。


「いえ。わかりました」


 トレーを脇に抱え、一礼し、退室しようと背を向けた。

 あと一週間は、さすがに待っていられない。


 もう戦場で会う形しかないだろう。


(……まあいい)


 シルエラの前でやることになるだろうが、仕方ないだろう。


「……ねぇアルマーって、カジカさんのこと知ってるの?」


 シルエラが話を戻す。


「初耳ですが……」


 俺は失礼と言われるのを承知で、背を向けたまま答えた。


「でもさ、さっきカジカさんって誰? って言わなかったじゃん?」


「お聞きするのも野暮かと思いまして」


「………」


 ちらと見ると、シルエラが不審そうな視線を俺に向けている。


「……あのさ。アルマーって、職業なんだっけ」


「鞭使いです。一次転職したばかりですが」


 話を変える前に変えてくれたな、と内心安堵していた。


「ふーん。でも同じ遠距離火力職アウェイアタッカー系なんだ」


「……同じ?」


「そう、同じ」


 振り返ると、シルエラがじっと俺を見ていた。


 話が変わっていない。

 そして、シルエラは俺の職業を忘れていなかった。


「……まぁいいわ。ごちそうさま。今日は眠いからもう寝る。下げて」


「わかりました」


 皿をトレーに乗せ、部屋を出る。

 時間にして10分少々だったが、それ以上に長く感じていた。

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