第93話 どじょうすくい



 シルエラの直属になって5日目。


 俺は今、直立不動で本の一部分を指さしている。


「ほらほらー。ずれてるでしょ」


「はいすいません」


「嫌だったら早く強くなって百武将になれー。弱いうちは我慢しろ―」


「はいすいません」


「ぷ。ごめん無理。やっぱアルマーが強いなんて想像できないわ」


「はいすいません」


「私を追い越して見せますとかぐらい、言って見せろ弱虫ーアハハ」


「はいすいません」


「弱虫弱虫弱虫―」


 シルエラの気分転換は自分より弱い者をいじることだが、別に意地悪い感じにやるのではない。

 だからまあ、気にならない。


 夕食、湯浴み、夜食といつも通りにその日も終わっていった。


 しかし夜更け過ぎ、それは起きた。

 そう。シルエラの夜泣き。

 それも昨日までとは比較にならないもの。


「いやあぁぁぁ!」


 金切り声でホテル中が目を覚ますのではないかというほどの大声。


 部屋に入ると、ベッドの上で乱雑に振り乱される銀色の髪が見えた。

 シルエラが上半身を起こし、狂ったように頭を激しく振っている。


 俺は飛びつくようにしてシルエラを抱き、背中を優しく叩き始めた。


「シル、僕だよ。リンデルさ。大丈夫だから」


「――うあぁぁーん!」


 しかし、今日のシルエラは様子がおかしかった。


 全く止む気配がない。

 そのうちに両手を乱暴に振り回したり、手当たり次第に物を掴んで投げ始めた。


 揉み合っている間にシルエラの肘が俺の頬を打ち、痺れたような痛みが走る。


「僕だ、リンデルだ」


 自信があったが、今日は耳に膜が張ったように全然声が届いていない。

 シルエラの顔を見ると、眼は開けているが焦点があっておらず、ただひたすらに叫び続けている。

 

 まるで意識だけが切り取られて、どこかに置き忘れてきたようだった。


 俺はシルエラの頬を軽く打ったり、肩を揺すったりと、いろいろ試した。

 だが喉を嗄らしながらも、シルエラの叫びは止むことなく続く。


(今日はまるで効果がない)


 俺はシルエラと揉み合いながら、思案する。


「うあぁぁぁー!」


 そこで、今日は叫びにリンデルの名前が入らないのに気づく。


(止めるには、止める方法は……)


 その時、俺の脳裏にぱっとひらめいたものがあった。

 そう、俺はひとつだけ、今のシルエラを止める方法を知っている。


 カジカのドジョウすくいだ。


 以前、これは抜群の効果があった。

 100%シルエラの夜泣きを止めた。


 だがさすがに即断できなかった。

 そのためだけに正体を危険に晒すことに、二の足を踏んだのだ。


「………」


 扉を見る。

 ずいぶん時間が経っているのに、ノックすらない。


(これを止める術がないことを……皆が知っているということか)


 皆があの同僚の男と同じ認識で、シルエラの苦痛は放置されている。

 一番近くにいたリンデルですら、半年以上前に諦めているという。


(……諦めた?)


 その時ふと、今まで考えなかった疑問がよぎった。


 リンデルと同じように去って、シルエラを見捨てて……俺はそれでいいのか?


「あぁぁー! 助けて……助けてぇー!」


 シルエラが叫び、助けを求めている。


 ひどい顔だった。

 見るも耐えがたいほど、恐怖に歪んだ青白い顔。


 喉が切れたのか、シルエラの口角から血が流れているのが見えた。

 誰にも救われない孤独な少女の姿が、胸に突き刺さった。


「シルエラ……」


 手段など、選んでいる場合じゃない。

 俺が止める。 


 それにカジカの姿を見られたとしても、シルエラは寝起きだ。

 いくらでもごまかしようはあるはず。


「シルエラ」


 俺はシルエラに向き直り、近づいた。

 口角から流れた血を指の腹でそっと拭きとると、覚悟を決めた。


「シルエラ、こっちを見ろ」


 シルエラから離れ、装備変更すると無言で経典との契約を解除した。

 そしてゆっくりと仮面を外す。


 俺の体が急激に膨らんでいく。

 白と青がストライプになったハンカチを頭に巻いた。


 雨笠を取り出し、頭にかぶる。

 蟹股に構えると、笠からちらりとシルエラを覗き、ニヤリと笑う。


 まだ泣き叫ぶシルエラの前で、前かがみになり、俺はじっくりと地面を見回す仕草。

 そして、あっと口を開きながら、見つけたドジョウを指さす。


 シルエラの視線が、俺の指を指した場所に向けられる。

 泣き声が、ぴたりと止んだ。


 裾をまくるふりをして、 尻を面白おかしく前後に振りながらドジョウへ向かう。


 ドジョウの傍まで来たら、雨笠を逆さにしてもち、足で石を除ける仕草。

 続けてしっかり腰を入れて、それ、それ、とすくう。


 彼女は揺らめく明かりの中、笠の動きをじっと見ている。


 俺は笠の中の泥や石を除けて、ドジョウを見つけ、シルエラの方を向いてにんまり。


 俺は手のひらをスルスルと逃げるドジョウを、空中で何度も掴み直す。


 やっとの思いで捕まえたドジョウを、そっと右腰の壺へ入れる。

 見ると、シルエラの目が俺の右腰に吸い込まれている。


「あ、ああ……」


 シルエラの目から、すっと涙が零れ落ちた。

 引き攣った顔ながらも、そこには小さな笑みらしきものが浮かんでいた。


 俺はドジョウすくいをもう一度繰り返し、シルエラの顔にしっかりとした笑顔が戻ったのを確認すると、灯りを消し、再び仮面を付けてアルマデルになった。


 そしてシルエラに近づき、そっと抱き寄せる。

 飲めそうなので、HP回復薬ポーションを飲ませた。


「カジカさん……?」


「何を言っているんだいシル、僕だよ。夢を見ていたのかい」


 俺は昨日までと同じように、シルエラの頭を撫でる。


「今、カジカさんがいた……。優しかったカジカさんが……」


 声を詰まらせたシルエラが、そのままうぅぅ、と嗚咽を漏らし始める。


「忘れたのかい。変態乞食には近づいちゃいけないよ。僕がずっと傍にいるからね」


 呆然とするシルエラ。


「――あ、あの、今、なんて?」


「変態乞食?」


「ち、違う。その後の方」


「……僕がずっと傍にいるよ。夜もお月様のようにね」


「………!」


 再び、シルエラの目がじわりと潤んだ。


「うぅぅ!」


 俺の胸に飛び込むと、背中に手を回し、涙を隠すように胸元に顔をうずめる。


「嬉しい……」


 小さい肩をしばらく揺らしたシルエラは、やがて、顔を上げて愛らしく微笑んだ。


「こんなあたしの、傍にいてくれるの……?」


 シルエラの話し方が、昔に戻っていた。


 さらさらとした銀色の髪が、俺の顎のところにあるのが何だか不思議だった。

 かつて、俺の手の届かない人だった、シルエラ。


「もちろんですよ」


 リンデルとしてなのか、自分自身の言葉か。


「好き……もうだめ……」


 シルエラが俺の頬にキスをした。

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