第92話 夜の発作


「怪我したくなければ関わるなよ。シルエラさん、周期的にあるんだ」


 あーほんとウゼー疲れてんのにまた寝れねぇ、とこぼしながら、男が去っていく。


 聞いていると、俺が知っている夜泣きよりひどい。

 さめざめと泣くと言うより、絶叫するようなものになっている。


 加えて、リンデルという名前が混じるようになっていた。


「血が、血がぁー! 怖いよー! リンデル……リンデルぅ!」


(これを、放っておけというのか……こんなに怖がっているのに)


 胸を抉るような叫び声に、いたたまれなくなる。


 昔の記憶が呼び戻される。

 あの時も同じだった。


 俺と二人で野宿していた、デスゲーム化してすぐの頃。

 シルエラは突然うなされたように夜泣きしていた。


(だが俺は、こんなことをしに来たのではない……)


 俺の目的はここでリンデルを待ち、隙を見て殺すこと。

 籠城しているであろうリフィテル第二皇女を救うこと。


 今、俺が頭を悩ませていることは、全く関係がない。

 あの男の言う通り、騒ぐシルエラなど放置して夜中の酒場に出て、今のうちに情報集めをすればいい……。


「ああぁぁぁ! いやぁぁぁ! リン……リンデル!」


 聞こえてくるそれは、すでに絶叫に近かった。

 隣の部屋が空になっているという意味がよくわかった。


(……これきりだ)


 俺はすみません、と言いながら扉を開けて、中に入った。

 中は真っ暗だが、【暗闇耐性】のある俺は細部に渡るところまで見えている。


 シルエラはベッドの中にいるようだった。

 積まれた本を倒さないよう、そっとベッドのほうへ歩いていく。


「血が、血が……いやぁぁぁ……」


 ベッドの中から、苦しみ悶える声が漏れてくる。


「……シルエラさん、シルエラさん」


 俺は近づき跪くと、シルエラの肩を小さく揺らす。


「ああぁー、いやぁぁー!?」


 シルエラは眼を閉じたまま、銀色の髪を振り乱して頭を振っている。

 その顔は恐怖でひどく歪み、肩で息をしていた。


 俺はシルエラをそっと抱き起こす。


 すると俺の腕に鋭い痛みが走った。

 シルエラが恐ろしい力で俺の二の腕を掴んでいた。


「リンデル! リンデル!」


 唐突に見開かれた銀色の眼には、怯えを一杯に湛えている。


 シルエラがこんな追い込まれた表情をするのを、俺は初めて見た。


 その途端、俺はどうすべきかを知った。

 戸惑っている暇など、なかった。


「……ああそうだよ、シル。僕だよ。遅くなったね」


 あいつの話し方を、俺が忘れるはずがなかった。


 そういうと安心したように、シルエラが身体をぶつけるように抱きついてきた。

 シルエラの熱い吐息が俺の頬にかかる。


 シルエラは俺の背中に手を回し、ぎゅーっと隙間をなくすように身体を重ねてくる。


 リンデルのふりをしつつも、気持ちに抵抗があった。


(……悪夢が落ち着くまでだ)


 そう言い聞かせた。

 シルエラのは発作みたいなものなのだから。


「シル、もう大丈夫だ」


 俺はシルエラの頭を撫でながら、優しく背中を叩き続けた。

 俺の腕から血が流れている。


(まだ息が荒い)


「怖いよ……! あれが……あれが追ってくる!」


「大丈夫だよシル。あんなの、僕の盾で止めてみせるさ。知ってるだろう? 僕は最強の盾職タンカーなんだよ」


「………」


 シルエラはその言葉で安心したようだった。

 やがて絶叫は治まり、俺の肩元でゆっくりと規則正しい寝息に変わっていく。


 温かくて、柔らかかった。

 薄いレースの寝着しか着ていないシルエラ。

 いつもなら興奮してあたふたするのに、不思議と今の俺は冷静だった。


 そっと倒してベッドに横たえると、シルエラはそのまま静かに眠った。



 ◇◆◇◆◇◆◇



 翌朝、朝食を持っていくと、ケロリとしたシルエラが机に座って熱心に文献を読んでいた。


「遅すぎ」


 どんだけ待たせるのー、ていうか朝ご飯なに、と文献からは目を離さない。


「はい、すみません」


「6時半にできてるでしょ? 明日からもっと早く持ってきて」


「はい、わかりました」


 見ると5分、遅れていた。


「じゃあもう用無し。出てって」


 シルエラは、昨日までとまったく変わらない。


「はいすみません。ところであの、昨日の夜って……」


 俺は確認せずにはいられなかった。


「昨日の夜が何?」


「覚えてませんか?」


 シルエラが俺をじろりと睨んだ。


「はぁ? 何を? 余計な口きいてないで出てって。邪魔」


 本から目を離さなければならなかったシルエラが、目を三角にする。


「はい、すみません」


 俺は謝罪し背を向ける。


「アルマー」


「あ、はい?」


「ていうか何その腕の傷? 女でも襲ったの?」


 シルエラが俺の両腕に残る傷跡を見て、笑いをこらえている。


「いえ、違うんですが……」


「ぷっ、無理やりは嫌われるからやめなさいね」


「すいません……」


 俺はひとまず出ていくことにした。

 心の中では大きな疑問符が浮かんでいる。


(覚えてないのか……いや、確かに言われてみれば昔もそうだったか)


 部屋から出ると、昨晩、というか夜明け前に喋った同僚の百武将の男がニヤニヤして立っていた。


「お前偉いなー。シルエラさんの付き人なんて2日がいいとこなのに。ここ最近の最高記録だぜ」


「どういうことだ?」


「そのままだよ。こき使われる上に、夜中はあれだろ? 何しにきたのかわからなくなって、みんな逃げちまう。次々と本投げられて、目に当たって失明しかかったやつもいて……あれ、お前その傷、もしかして?」


 男が俺の両腕の生傷に気づいたようだった。

 俺は後半の言葉は無視する。


「ああ、でもリンデルが、いやリンデルさんがいれば大丈夫なんですよね」


 俺は確認するかのように訊いた。

 昨晩のシルエラは恐怖に怯えながら、リンデルだけを頼りにしていた感じだったから。

 リンデルが不在にしている今だけ、不穏な夜になっているに違いない。


 だが意外にも、同僚の男は首を横に振った。


「リンデルさんはもう半年以上、夜は近づいてないってさ。シルエラさんは朝になればケロッと忘れて元通りになってるし、あの状態のシルエラさんに近づく意味がねぇんだとさ。リンデルさんの言葉通り言えば、『喚かせとけ』だってよ。ハハハ、おっと聞こえちまう」


 男は笑い、ここがシルエラの部屋の前だったことに気付くと、気まずそうに口をつぐんだ。


 それを聞いた俺は男の背中を見つめたまま、立ち尽くしていた。



 ◇◆◇◆◇◆◇



 さっさと用事を済ませたかった俺は、昼食を運んだ際にそれとなく、夜外出していいか訊ねた。だがシルエラには冷たくあしらわれた。


 その後の俺は室内で重たい本を持ち、ずっと本の一部分を指で差し続けた。


 夜食を運んでうとうとし始めた頃、またシルエラの夜泣きが始まった。


「あああぁぁ! 助けて! 助けてリンデル! お願い、死んじゃうああー!」


 ホテルの中をつんざくシルエラの悲鳴。

 聞いているとどうも夜泣きというより、悪い夢にうなされているといった感じだった。

 程度がひどくなっているのは間違いなさそうだ。


(……シルエラ……)


 月経前症候群というものがある。


 女性は月経周期のある一時期に気持ちが不安定になってしまうことがあり、程度の差こそあるものの、ほとんどの女性にあると言われている。そして、それが著しく治療を要する場合にこの疾患名がつく。


 このように疾患に分類されているが、俺は決して病気だと言ってはいけないと思っている。

 むしろ、女性が子供を産むために身に背負ってくれる苦難の一つだと思うし、男も一緒に背負わねばならないと思う。


 看護師という職場ではよく経験したし、最初はわからず戸惑ったものだ。

 だがその分勉強したし、どうするべきか自分なりに経験で学んでいた。


 シルエラはたぶんそれが少し変わった形で出ているのだと思う。

 同僚の男も「周期的にでてくる」ようなことを言っていたし。


 俺は昨日と同じように、リンデルのふりをしてシルエラをなだめた。


 だが怪我なく、と言う訳にはいかなかった。

 本を振り回したり、引っぱたかれたりなどを繰り返し、シルエラはゆっくりと落ち着いていく。

 シルエラも好きでこういう状態に陥っているのではないと、俺は自分の中で言い聞かせる。


 シルエラが静かになるとそっと部屋を出て、残る時間を扉の前で泥のように眠る。


 そして朝になって朝食を持っていくときには、怪我が見つからないよう入念にチェックしてから入るのだった。

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