第91話 付添になって


「それはそれは。なんていう店を贔屓ひいきにされているのでしょう。教えて頂きたいですね」


 俺の目はもうシルエラを見ていなかった。


「忘れた。なんとかのアトリエ、とかっていう……ていうかあんたローブなんだし、いらないでしょ。バカなの」


 ああ、すみません、と言葉が自動販売機のように出る。


 行くか。


 リフィテルを捨てて、フューマントルコに行けば、あの男をすぐ始末できる。

 数日後には、いよいよなぶり殺せる。


 どうやって殺すかは何百通りとイメージしてある。

 どれも決めかねるくらいだ。


 急に息が荒くなり、全身の血が滾ってくる。


「――」


 目の前から聞こえるシルエラの声は、もうただの音だった。


 俺はシルエラに背を向け、立ち去ろうとする。

 この瞬間、俺の頭にはリンデルのあのニヤついた顔しかなかった。


 その時。

 シルエラが俺の前に回りこんで、ずいっと立ちはだかった。

 歩き出していた俺は、ついシルエラとぶつかってしまう。


「ぁん。――ねぇ、ごめんってば。あたしが悪かったからさ。そんな怒らないでよ」


 シルエラが両手を俺の頬に添えて、顔を覗き込んだ。


「え?」


 何が起きたかわからず、一瞬戸惑った。


「だからぁ。ごめんなさい。これでいい? どうしたら許してくれる?」


 シルエラが目の前で困惑した表情を浮かべていた。


 その手が温かくて、その感触に正気に戻された。


「あ、あぁ、すみませんこちらこそ」


 俺は横を向き、吸い込んでいた息を吐いた。


(……熱くなるな。慌てる必要はない)


 もう少し、もう少しだけ待てばあいつがここに戻ってくる。

 一週間であいつが戻ってくるなら、ここにいる間に始末できる。


 シルエラの部屋を訪れた後のリンデルをつけて行って殺す。

 こちらの方が簡単なくらいだ。


 シルエラは個室を借りている。

 ということは、戻ってきた後もリンデルと離れている時間があると考えてだろう。


「で、許してくれるの」


「許すも何も、失礼しました」


 俺はいつの間にか握り締めていた拳を緩めた。


「ではまず、昼食をお持ちすればよいですね」


 俺の言葉にわかってんじゃんー、とシルエラは少し笑った。


「夜食メニューは任せるー、てかカツサンド禁止ね。料理中以外はこの扉の外で待機。夜もそこで寝て。夜食の準備の時間になったら、声かけて離れていい」


 冷や汗が出てきた。


 普通に過酷なことを要求している。俺は24時間この廊下にいろということか。

 そして、夜中に扉の外から声をかけるのか。


「あの、でも夜中はお隣さんにご迷惑じゃ……」


「安心して。両隣りは空きだから」


「わ、わかりました」


 まずいことになってしまった。

 これでは酒場にも行けないということか。


 あとねー、と俺を指さしたまま、シルエラが続けた。


「うざいから『はい』、『わかりました』、『すみません』以外は言わないように」


「はいわかりました」


 まるでどこかの運動部のようだ。


 ということで、俺はシルエラの24時間雑用兼飯係に任命された。

 内部の事情がある程度分かればいいと思って簡単に入ったが、大変なことになってしまった。


(ひとまず2-3日、様子を見てみるか)


 隙があればシルエラごと酒場に連れだして、情報を取りに行くのが良いかもしれない。


 昼前になりシルエラに昼食を届けた後、俺はさっそく夜食用の食糧調達に向かった。


 城下町グラフェリアには軍と契約しているというピーチメルバの商人がたくさん来て、食料品を並べて売っている。軍の参加者が優先的に購入できるようになっているようだ。


 日中は特にシルエラから声がかかることはなかった。

 夕食を持っていったとき、ああ、いるの忘れてたー、と言われた。


 23時頃、シルエラがそろそろつくってーと扉ごしに声をかけてきた。

 夜中に俺は毛皮を羽織りながら、街の調理屋に行き、鍋にテールスープを作った。


 その隣で詩織がよく作ってくれた「白身魚の香草包み焼き」を焼いてみる。


 それにライ麦パンをひとつ。


 料理を持って行くと、マジ遅すぎー、とシルエラが冷たく言う。


「はい、すいません」


 シルエラが箸を持ってさっそく白身魚をつまむ。


「……合格」


「はい?」


「これ美味しい。しばらくこれでいいからつくって。あとパンいらない」


 シルエラは胃にズシンと来なくていいわ―と独り言を言っている。

 目は本に落としたままだ。


 そりゃ美味しいに決まってる。あの詩織の技を教えてもらったのだ。


「シルエラ様、お酒はいかがいたしますか? よろしければ美味しいワインを――」


「そんな頭がぼやけるもの、口にするわけないじゃん。余計なこと言わないで」


「……わかりました」




    ◇◆◇◆◇◆◇



 

 それからが思った以上に難しかった。


 酒場に行って、百武将のことを見聞きしておこうと思ったのだが、なかなかそうさせてもらえなかった。


 夜はいつ呼ばれるかわからず、つきっきりでシルエラのそばに居なければならない。

 離れていいのは調理中だけだし、ちょっと手間をかけると「遅い」とクレームが入る。


 最初の二日はシルエラはいつ寝ているのかというくらい、ずっと文献を読み続けていた。

 俺はシルエラの借りている宿の一室の前でうたた寝する日々が続いた。


 3日目くらいから俺を信用し始めたのか、シルエラは親しげに俺を呼びつけて、部屋の中に置くようになった。


「アルマー、この文献のここを指差したまま、持ち続けて」


「はいわかりました」


「アルマー、肩揉んで」


「はいわかりました」


「アルマー、手を汚したくないの。林檎を切って口に入れて」


「はいわかりました」


 だの言う。


 シルエラ、最初はあんなにお淑やかに見えたのに。

 知っているだけに忍び笑いを隠せない。


「アルマー、何が可笑しいの」


「すみませんごめんなさい」


 しかし酒も飲まない。

 それどころか、外食にも出ない。


 食事にも全くこだわりがないようで、俺が作る代わり映えのしない食事を飽きずに食べ、終わるとまた文献に目を落とす。

 部屋から出るのはトイレくらいだった。


 三日目になり、俺はとうとう切り出した。

 夕食から夜食までの間の2時間、酒場に行きたい、と持ちかけた。


 理由は、と問われたが、酒の場が好きだから、と濁しておいた。


 もちろん夜食の準備はきちんとするし、夜食は店から料理を持ち帰って色をつける、とお願いしたが、残念ながらシルエラは頷いてはくれなかった。


 今の俺の上司はシルエラだから、彼女がOKを出さないと、俺の自由はない。


(やれやれ……情報集めが進まないな)


 そんな風に終わりかけた一日だった。


 俺がうとうとしていると、突然甲高い音がした。

 それがシルエラの叫びであることに気付いたのは、やや経ってからだった。


 それくらい、人の声と思えぬものだった。


「うわぁぁぁーん、追ってくる! 怖いよぉぉ! リンデル!」


(夜泣きだ)


 彼女のこの発作のようなものを、俺はよく知っていた。


 だが慌てて立ち上がったものの、扉の前で立ち尽くしていた。

 少しして二つ奥の扉がギィと開き、男が出てくる。


「あーうるせーうるせー。ついでにしょんべん」


 今朝見た男だった。

 百武将の同僚なのだろう。


 男は俺と同じように起こされたようで、眼をこすり、うんざりした様子で歩いていく。

 この悲痛な叫び声が聞こえていても、男はシルエラの部屋の前を素通りしていく。

 男がふと思い出したように足を止め、俺に振り返った。


「怪我したくなければ関わるなよ。シルエラさん、周期的にあるんだ」


 あーほんとウゼー疲れてんのにまた寝れねぇ、とこぼしながら、男が去っていく。


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