第89話 懐かしい人に



 そしてさらに3日後の早朝。

 俺はサカキハヤテ皇国の城下町グラフェリアに到着した。


 街をはずれた北側に荘厳な佇まいのグラフェリア城が見える。


 城は近くの河川から水を引いた堀があり、入り口までは趣のあるアーチ状の石橋『楽想橋らくそうばし』を歩き、入城する形になっている。


 俺は予定通り、仮面以外の装備をあらかじめ買っておいたC級のものに落として城下町に入った。


 手にはC級の鞭を持つ。


 そしてアルマデルの姿のまま、禁軍百武将たちがたむろしているという噂の宿に足を運んだ。


 城を取り囲んで退路を断ち、心理的に圧力をかけるのは主に一般兵たちが行っている。


 そのため百武将たちは特にすることがなく、交代で見張り(といっても街をうろうろするだけだが)をして籠城の終了を待っているらしい。


 予想通りの腑抜け具合だ。


 耳にした宿についてみると、そこはギルド『北斗』がチェーン展開している大きなホテルだった。ホテル内には料亭があり、そこで高級料理を3食口にすることができるという噂だ。


 また、ホテルの係員としてプレイヤーが配置されているので、なにかと理解が早いのが良いという。


 俺は外で話し込んでいた百武将らしき男に声をかけ、士官見習いを始めたい旨を伝えたところ、この場で待つよう指示された。


 そう言われてもう10分近く経っている。


(熱帯エリアから来ると、ここはなかなか寒い)


 息が白く、じっとしていられず足踏みする。


 春といっても朝はまだ冷たい風が吹きすさんでいる。

 ここグラフェリアは温帯と冷帯の境目にあたる場所で、道の路肩にはところどころ雪が白く島状に残っている。


 それでも日中には気温が上がるのだろう。立ち並ぶ木々の梢には、早くも幼い緑色が息づき始めている。


 あたりからは肉の焼ける香ばしい香りと、朝の活気のある声がいくつも聞こえてくる。


 これで本当に陥落されたばかりの街なのだから、驚いてしまう。

 そんな折、遠目で二頭引きの上品な荷馬車がこちらに向かってくるのが見えた。


 やってきた荷馬車は、俺の目の前で止まった。

 ブルルと鼻を鳴らす馬の体からは白い靄が立っている。


「おお、物資が来たぞぉ」


 どうやら外でうだうだしているように見えた男たちは、この到着を待っていたようだ。

 声を聞いたプレイヤーたちがぞろぞろと建物から出てくる。


 そのうちの1人が俺を見つけると近寄ってきた。


 背の低い、ヒゲの生やした小太りの男だ。

 ドワーフであることは一目瞭然だった。


「……士官見習いを希望するというのはお前かの?」


「プレイヤーのアルマデルだ。今回の活躍を見て、ぜひ私も参加したいと思った。おねがいできないか?」


「確認じゃ。プレイヤーなら、ゲームだったころの運営会社の名前を知っているはずじゃ。答えろ」


 男の吐く息が白く広がると、もわりと酒の臭いが漂ってきた。


「ああ、『ドラモアコーポレーション』だ」


 このゲームのマニアだった俺が、忘れるはずもなかった。

 2年半もお付き合いしていた運営である。


「よし。いいじゃろう。……ところでなんじゃその仮面は?」


 ドワーフの男が俺の顔を指差して怪訝な表情をした。


「宗教上の理由で外せない。一番先に見られた女と結婚しなくてはならなくなる」


 それをきいたドワーフの男は、ふん、と鼻を鳴らした。


「なんじゃそりゃあ? まあ宗教に関してはとやかく言うつもりはないがの……。お前さん、職業はなんじゃ?」


「鞭使いだ」


「おお! それはなかなか良いのう。ところで何を従えている?」


 ドワーフの男は嬉々とした表情を見せた。


「いや、実は一次転職したばかりで、まだ何も捕まえてないんだ……」


「ふむ。認知妨害をかけておるようじゃが、その装備は何じゃ?」


「C級のミスリルローブセットだ」


 それを聞いたドワーフの男が、明るかった表情を失う。


「……そんな弱虫では戦場に出せないのう。野たれ死ぬだけじゃ。お前みたいな奴は帰った方が――」


「これ、大したものじゃないが、取っておいてくれ」


 俺は今度詩織と飲もうと買っておいた高級ワイン、ドンピリ・プラチナを取り出すと、そっと手渡した。


 男がワインを掴んで懐にしまう速さは、音速を超えていた。


「お前みたいな奴を探していたのじゃ。鞭使いは将来調教師になるしのう。あれはいい職業じゃ。一番いいかもしれん。うちにもひとり、とんでもないモンスターを操る奴がいるぞ。お主もでかいのを従えたら百武将も夢ではない」


「そりゃすごいな。ちなみに何だ?」


 訊ねた俺に、ドワーフの男は頭を振った。


「それはワシからは言えぬのう。お主自身で聞いて回るが良い。酒場に行けば自然と耳に入るじゃろうて」


「そうか、わかった」


 調子でしゃべってくれるかと思ったが、うまくいかなかった。

 情報統制もそれなりに敷かれているようだ。


「じゃがのう、ここでやらせる仕事も今はあんまりなくての。本国に戻って士官見習いの手続きをした方がよいかもしれぬの」


 俺は金貨を1枚取り出して見せると、ドワーフのポケットに入れた。


「どんな雑用でもいいのさ。要はピーチメルバ王国勝利の瞬間に、ここで参加していたい。司馬様や百武将の方たちの印象を良くして、あの国に住みたいんだ」


「……まあ司馬様もプレイヤーなら100金貨払ってでも雇えと仰っているくらいじゃ。いいじゃろう。ワシの一存で参加は許可してやる」


「感謝する」


「名前はアルマデル、職業鞭使い、アビリティレベルは4じゃな。ワシの方で登録しておいてやろう。最近になって士官見習いは増えておるからの、確かに今ここで誰かに気にいられておけば、本国に戻っても出世は早いかも知れぬの。ホホホ」


 ワインや金貨がよく効く男でよかった。


「ちなみに百武将様には、ササミ―やセガロと言った名の男は混ざっていないだろうか」


 俺は内心期待していたことを訊ねた。


「ササミ―? セガロ? 聞いたことがないの」


 ドワーフは眉をひそめる。


「それなら忘れてくれ。俺の勘違いだ。――ところで、何をすればいい? これを手伝えばいいのか?」


 俺はすぐそばで荷物が運び出されている馬車をちらりとみて言った。


「今の百武将の仕事は交代で酒を飲むだけじゃがな。お主は目についた雑用をして、我らの機嫌を取ることから始めるのじゃな。わしは百武将90位のヤエモンじゃ。狂戦士バーサーカーをしておる。お主の名前は覚えておいてやろう」


(なるほど。酒好きみたいだし、引き続きこいつに取り入った方が話が早そうだな)


 そう思って口を開きかけた時だった。


「あ、もしかして新人?」


 女性の声がした。


 ていうかその人ちと使っていいー、 本運びたくて、と馬車から言葉が続く。


 見ると、銀髪の女性が両手に本を何冊も持って立っている。

 肩甲骨の下ぐらいまでのストレートロングで、前髪を無造作に分け、小さなおでこを出していた。


 髪と同じ銀色の、ぱっちりとした目が人を惹きつける。

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