第83話 地下酒場1
サカキハヤテ皇国は先日、第二の都市カドモスをピーチメルバ王国軍に陥落され、その後のフェルナンデス砦での防衛にも失敗し、敗走した。
さらに昨日、総力戦となった名もなき平野での戦いに敗れ、最後の城での籠城戦に移行している。
ピーチメルバ王国軍は城下町グラフェリアを手に入れ、各々が武器を掲げて勝利の雄たけびを上げた。ポッケも知らず知らずのうちに、叫んでいたのを覚えている。
もはや完全勝利は秒読みに入ったと言ってよい。
(でも、昨日の今日なのに……)
ポッケは不思議そうな顔をして、忙しそうに走り回っている店員を見ていた。
本来なら、昨日陥落させたばかりの街で、占領軍が歓迎されるはずがない。
(先王の時代から続く、独裁と拷問って言ってたでしね……)
もしかしたら、とポッケは思う。
ここの民たちは司馬が支配下に置いてくれるのを、ずっと心待ちにしていたのかもしれない、と。
酒が行き渡ったのを確認し、ゴッドフィードが木製のカップを持って立ち上がった。
「さあみんな、立ってくれ。今回も5万の軍勢を相手に、百武将は一人も失わず勝つことができた。本当によくやってくれた。司馬様の作り上げた『禁軍百武将』の力、見せつけたに違いない! 乾杯!」
「おおぉぉ! 乾杯―!」
カップが頭の上でぶつかり合っている。
がちんという音とともに、誰かのライ麦酒の滴がポッケの頬に降ってきた。
(あぁーもう)
ぶつかる音が鳴り止むと、盛大な拍手が巻き起こった。
「続けて、サカキハヤテの肝をつぶし、俺たちに勝利をもたらした勇猛果敢な先陣ドリームチームに、乾杯だぁ!」
「カンパーイ!」
ハンカチで拭いているそばで、また白い泡が飛んできて胸元にかかり、ポッケは顔を顰めた。
(はぁぁ……)
おとぎ話のように、シャンデリアのついた大きな広間を想像していたポッケは、一番のお気に入りを着て登場していた。
黒地に白のエプロンのついた、膝くらいまでのピナフォアドレス。
裾にレースがついていること、肩のところが膨らんだバルーンスリープになっているのが好きだった。そして、下太ももまでの白い網タイツが大人っぽくなって気分がいい。
「ハハハ! ポッケも乾杯だ―!」
ゴッドフィードが、腰を折り曲げてポッケに視線を合わせてくる。
ニカッ、と笑う顔に浮き出る白い歯と、すでに酒臭い息。
いつの間にか、ゴッドフィードの片手はポッケのおさげをもてあそんでいる。
酔っぱらうといつもこうである。
(舞踏会まで想像していたのに。ひどいでし)
ポッケはその赤い顔を睨むと、自分のカップをちょっと強めにコン、とぶつけた。
やがてあたりがまた、雑多な喧騒に包まれていく。
楽しそうな笑い声が熱気に包まれて聞こえてくる。
再び腰を下ろしたポッケは蜂蜜のお湯割りに、お気に入りのライムを垂らして飲み始めた。
口の中を柔らかい甘さと、すっきりとした柑橘が駆ける。
そんな至福の時でも、ポッケはさっきから落ち着かず、スカートの中で膝をもぞもぞさせていた。
理由はわかっている。
やけに低い天井が言いようもなく怖いのだ。
しかも真上にあるランタンが消えていて、自分の周りだけ少し薄暗い。
年頃のポッケは暗がりが大の苦手である。
誰かが一緒に寝てくれればまだ安心なのだが、この世界に来てからはそんなことは恥ずかしくて言えず、仕方なく蝋燭をつけたままいつも寝ている。
それでも夜中に起きてしまうと眠れないし、おしっこなど行けたものではなかった。
そういうときのおしっこがどうなるのかは、乙女の秘密である。
そんなポッケの心中など知らず、両隣のピエールとゴッドフィードはライ麦酒を呷っている。
斜め向かいでは、数人がキーピーズのそばに謝意を伝えに来ていた。
「やっぱり、キーピーズのワイバーンが一番だった。あんなに人を物のように潰していたら、マジで怖えよ。ほんと敵じゃなくてよかったぜ」
「――ワイバーンがあの叫び声を上げて来てくれてさぁ、俺を囲んでいた奴らが腰を抜かして逃げていったんだ! ほんと命拾いしたぜ。ありがとう」
称賛した百武将たちは、キーピーズの前に零れんばかりのライ麦酒を置いていく。
「ガチで最高だった! あんたたちが先陣を切っていく様は足が震えたぜ!」
男がその時の興奮を思い出したかのように目を輝かせながら、キーピーズだけでなく、ピエール、ポッケたちを見渡した。
今回の戦も「先陣ドリームチーム」は活躍している。
なかでもキーピーズの
矢が刺さらず、剣も跳ね返す硬い鱗に敵軍は怯え、何もできずにただ惨殺されていった。
そして達夫の広範囲を焼く魔法の連発に、ピエールの息をつかせぬ連撃。
サカキハヤテ皇国軍はなすすべがなかった。
さらに一騎当千の百武将たちが戦線を駆けまわり始めると、敵は武器を捨てて敗走し始めた。
それに勇気づけられたピーチメルバ王国の一般兵たちが、逃げる敵兵の背中を追いかけて槍でつく。
第二皇女リフィテルの
「終わってみたら、俺は結局ワイバーンに潰されないように一番気を使っていたでよ」
ポッケの斜め前に座っている達夫が喉の奥を鳴らすように笑った。
アルコールのせいか、顔が耳まで赤い。
「当たり前。わい、一番」
キーピーズの前にはすでに空いたジョッキが3つ並んでいた。
さっきから水のようにライ麦酒を胃に流し込んでいるが、オーガであるせいか全く酔った気配がない。
(少し笑っているのかな)
ポッケは今まで、キーピーズの顔を怖くて直視できなかった。
普段の彼の顔は、おとぎ話の赤鬼のようだったからである。
だがこうしてのぞき見してみると、少し笑っている気がする。
ポッケは人の顔をそっと覗き見るのが趣味である。
かといって、そこに美を求めているのではない。
ポッケは綺麗で整った顔よりも、親しみの湧く面白い顔が好きだった。
ピエールのように非の打ちどころのない顔を美しいとは思うが、興味は全く湧かない。
むしろ達夫の無駄に細い眼だとか、ゴッドフィードの笑うと出る白い出っ歯が無性に好きだった。
そういう人間味溢れる顔の部分に心を囚われてしまう自分をポッケはよくわかっていて、ちょっと早いけれど、将来はそう言う男の人と一緒にいたいと思っていた。
(だって、見飽きないもの)
ポッケはちびちびとお湯割りに口をつけながら、そうやって気付かれないように人の顔を観察しているのだった。
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