第三部

第78話 出陣


 広々とした空には一面、どんよりとした灰色の雲が覆っている。

 一瞬雲間に覗いた陽はすぐに隠れ、もうその姿を見せていない。


 そんな空の下で数時間前から、二つの軍が静かに睨み合っていた。


 ここはサカキハヤテ皇国の東側に位置する場所。

 皇国第二の都市カドモスの近くに広がる、広大なフリークヒール平原である。


 青天の霹靂とも言われた、ピーチメルバ王国の宣戦布告から3日。


 サカキハヤテ皇国の都市カドモスは、ピーチメルバへ繋がる街道上の要所にあり、各国からの使者や商人が通過する重要な地点である。


 それだけにピーチメルバ王国の王、司馬は一番にここを押さえる戦略をとっていた。


 展開された防戦側のサカキハヤテ皇国軍は約2万。

 対して侵攻してきた司馬のピーチメルバ王国軍は、その半分にも満たない。


 それでも、ピーチメルバ王国軍の誰もが、勝利を確信していた。


 蒼い三つ編みがふわりと風になびく。


 そんなピーチメルバ王国軍の間を、のどかな春風がなでていた。

 雲間から陽ざしが差し込んだならば、一気に季節の変わり目を感じられるほどの暖かさだった。

 

 まだ幼い顔立ちをした少女が、いかつい格好をした者たちに紛れて立っている。

 歳のころは10歳。名をポッケと言う。


 両耳の下で三つ編みにされた髪が目を惹く少女である。


 その愛らしい顔から視線を上に逸らすと、白い神官帽が蒼の中でちょこんと鎮座している。

 髪に負けない蒼穹と白のゴスロリ服には、いたるところにフリルのアクセントがついており、白のバテンレースが膝の上で裾を彩っている。


 S級装備「風鈴のローブ」である。


 だが子供かと思って見れば、長い睫毛の間から覗く、その聡明そうな漆黒の瞳。

 それはまるで適齢期のように女の力を持ち、男たちを惹きつける不思議な魅力を放っている。


 頬を撫でる風がふいに冷たくなり、ポッケは震えた。

 春めいてやっと暖かくなってきたと言っても、相変わらず嫌な時期だった。


 (早く夏になって欲しい)


 温かくなったら、学校帰りにそうしていたように、誰も見ていない静かな川縁に座っていたい。

 足を膝まで沈めて、うっとりと、とめどない空想にまみれていたい。


 ポッケがそんなことを考えていた折、先ほど降伏勧告に向かった男たちが馬をかけて戻って来るのが見えた。


 高く掲げられるのは、交渉決裂の合図。


 ポッケは大きなため息をつく。

 いよいよ、戦いが始まる。


「ここでの活躍が次の試験に反映されるんでし」


 ポッケは隣りにいた、鉄の騎馬アイアンホースに乗る背の高い男を見上げた。


 すらりとした長身で、骨格も均整の取れた優男である。

 くるくるとパーマがかった金髪を無造作に肩まで伸ばしており、その髪から突き出た耳が、エルフの特徴の一つ。


 その男が面倒くさそうに口を開く。


「他人の評価を1番に考えるなど、本当に無意味だ。自分の納得する結果であれば、俺はそれでいい。たとえ百武将から降りることになろうとも」


「それが必ず結果に結びつくから、ピエールはよいでし。百武将の3番隊長だし。でも残るか残らないかのぎりぎりのところで頑張ってる人もいるんでしよ。ボクのギルド仲間みたいに」


 ピエールと呼ばれた男はそれを聞いて、ふん、と鼻を鳴らした。


 その体では名立たる重鎧プレートメイルが自ら発光するように輝いている。

 そしてその両腰に下げられているのは、由緒ある双剣。


 彼の職業は、決闘者デュエリストである。


「それは頑張っているとは言わない。結果の伴わない努力など、ただの自惚れ。そんなので百武将の特権だけ欲しがる奴らなど、反吐がでる」


 ピエールがよれた金髪を小さく揺らして少女に背を向けた。


「……ピエール、ホント感じ悪いでしね」


 少女がぶつぶつ言いながら、愛らしい小さな肩をすくめた。


 自分のギルド『チームロザリオ』の仲間も百武将になるため、日々精一杯やっている。しかし残念ながら、百武将に選ばれたのは自分ともう一人だけだった。


「レベルの低い奴らの気持ちなど、知りたいとも思わない。俺は上だけを見続け、いつか最強の名を背負う」


 それを聞いた周りの男達も、あからさまにうんざりしたような表情を浮かべる。


 自分たちはピーチメルバ王国に配備された、エリートプレイヤー軍団「禁軍百武将」に配属されている。


 禁軍百武将はできて半年も経たないが、「士官見習い」となった1万人を超えるプレイヤーたちから非常に厳しい試練をクリアし、選ばれた精鋭たちである。


 士官見習いたちには月1回、禁軍百武将になる試験を受ける権利が等しく与えられる。

 一部の回復職ヒーラー支援魔法職バッファーの枠はあるものの、成績上位の者が百武将として登録されることになっている。


 士官見習いのうちは4人で一つの部屋に住む。

 窓のない、狭苦しい部屋である。


 そこで百武将や士官に仕える雑用係として、休むことのない日々を送ることになる。もちろん国からの給与はない。


 しかし一定レベルの能力を認められ、士官となれば二人で一つの窓のついた温かい部屋があたる。

 食事をとり、衣服を買っても余るほどの給与が与えられる。


 さらに百武将となると、暮らしぶりの差は歴然としたものに変わる。


 倍以上ある広さの、調度品の揃った部屋を一人ひとりにあてがわれ、食事や娯楽、果ては女を抱く金に至るまで、すべてピーチメルバ王国が負担してくれるようになるのだ。


 この「百武将試験」なるものはすでに3回行われているが、ピエールは常に5位以内だった。

 それは決闘者デュエリストの名の通り、職業的な強さもあったが、何よりも強さを追い求めるハングリーさが尋常ではないのだとポッケは考えていた。


「わいの、1番。絶対、負けない」


 終わったかと思われた話が、別の馬上から続けられる。

 言葉を挟んだのはピエールよりも背の高い、がっしりとした男である。

 名をキーピーズと言う。


 その顔の中では、極太のいかつい眉が目を引く。

 よく見ると赤茶けた肌に鼻と耳が少々尖っており、口に覗かせる犬歯も人とは思えない様である。


 知っているものが見れば、その男が亜人種、オーガであることを窺わせる。

 キーピーズは鞭使いから最終転職した調教師で、この世界で唯一、劣種レッサーワイバーンを調教することに成功したプレイヤーであった。


「キーピーズには聞いてないでし。まぁ、また1番はゴッドちんだと思うけど」


 天を仰ぐようにキーピーズを見上げながら、ポッケがつんと口を尖らせている。


 キーピーズは今回はじめて禁軍百武将となっていた。


 劣種レッサーワイバーンを手に入れ、前回の試験結果を大幅に上回る2位で通過してみせたのである。


「……ゴッドフィードの奴は別格過ぎる。あいつが敵じゃなくて本当に良かったと安堵している」


 ピエールが珍しく他人を褒める様子に、ポッケはにんまりとした。


「よかった。うちのゴッドちんは人望もあるようでし」


 ポッケは自分のギルド長への賞賛に、両手を腰に当てて迫力に欠ける胸を反らせた。

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