第75話 雨の中で1


「だ、だから! 強くもないし、勇気とは程遠い、こそこそするだけの臆病者を、私が好きになることなど一生ない! 断じてありえない! 今すぐ消えろ!」

 

 ノヴァスがカジカの話で照れたのか、強引にまとめた。


 正直嬉しかったが、ノヴァスの口にした「好きとかではない」という言葉は昨日と同じベクトルだったので、もう誤解しようもなかった。

 

「わかりました」

 

「――わかったら消えろ」

 

「ノヴァス……いくらなんでもひどすぎるわ」

 

 彩葉がはっきりと白い目でノヴァスを見ていた。

 

 そんな時、俺の頰をポツリと冷たいものが打った。

 続けざまに俺の顔で同じことが繰り返され始める。

 

 雨だった。

 見上げると、空に浮いていた先ほどの入道雲はどこかに消えてしまっている。

 しかし、ポツポツと降り始めた雨は、すぐさまスコールのように地面に叩きつけるそれに変わった。

 

「これから出るという時に、ついてないな」

 

 激しくなる雨音に、ノヴァスの声もかき消されそうである。

 

「空は大した雲がないのに……天気雨でしょうか。いったんあそこで雨宿りしましょう」

 

 彩葉が騎獣スフィアに白馬をしまうと石の塔を指さす。

 

「わかりました」

 

 ノヴァスは自分の馬を、塔の外の雨の当たらない場所へと進めていく。

 自分はすぐ動けるようにと考えたのか、雨宿りの間、そこへ置いておくつもりだったようだ。

 

 だがそこには、すでに俺のリピドーがいた。

 

「駄目だ! そっちに行くな」

 

 激しい雨音が俺の声を遮っていたようだった。

 

 ノヴァスが気付いた時には、栗毛の馬が言うことを聞かず、興奮し始めていた。

 

「きゃあぁー!」

 

 豪雨の中、栗毛の馬が後ろ足で立ち、弓ぞりになっている。

 

 ノヴァスが馬を御しきれず、振り落とされる。 

 頭から落ち、さらにその上に、興奮した馬が倒れようとしていた。

 

「ノヴァス!」

 

 彩葉の悲痛な叫びが響いた。

 

 俺は迷わなかった。


 一気に駆け抜け、落ちてきたノヴァスを空中で抱き、倒れかかってくる馬をすいと、かいくぐる。

 

 背後でどすん、という音がする。

 

 振り返ると馬の方も濡れた草地に横倒しになっただけで、怪我はなさそうだ。

 

「す、すごい……」

 

 彩葉の感嘆の声が聞こえた。

 俊敏な女神フレイヤの靴のおかげで、難なくこなせたのはありがたかった。

 

「アルマデルさん、こちらへ!」

 

 俺は彩葉の言葉に頷き、石つぶてのような雨の中を薄目を開けながらノヴァスを抱えて走る。

 そして、石の塔の入り口をくぐった直後、状況に気づいたらしく、ノヴァスが俺の腕の中からもがき、降りた。

 

「……感謝はする。だがお前などではなく、別な男性がよかった」


「ノヴァス。そんな言い方はおかしいですよ」

 

 彩葉がノヴァスを見る。

 

「………」

 

 だがノヴァスは俺と彩葉に背を向け、黙した。


「ノヴァス。お礼くらいはきちんと……」

 

「いや、私があそこにロバを置いておいたのが悪かった」

 

 俺は彩葉を制した。


 それでいいと思った。

 俺はもっとノヴァスにひどいことをしている。


「アルマデルさん……」


「彩葉さん、もういいですから」

 

 石壁に寄りかかった。

 髪から雨水がしたたり、濡れたローブが肌にべっとりと張り付いて、心地が悪い。


「………」

 

 そうしていると、彩葉が黒髪を揺らしながら俺に駆け寄ってきた。

 ハンカチを取り出すと俺の顔を拭き始める。

 

「ご自分を危険に晒してまで……ノヴァスに代わって礼を言います。ありがとうございました」

 

「身体が勝手に動きましてね」

 

「助けたい気持ちで恐怖が見えなくなる、というやつですね。ふふ。拭きますからじっとしていてください」

 

 黒髪を耳にかけて、彩葉が俺の肩に手を乗せると、目元から優しく拭き始めた。

 じっとしてと言われたが、そもそも今の俺は石壁と彩葉に挟まれ、動こうにも動けない。

 ふんわりと甘い香りが漂っている。

 

「ノヴァスさん、怪我はありませんか」

 

 俺はそんな状態でも、わざわざ遠くにいる方の女性に声をかけた。

 

 彩葉の手が一瞬止まった。

 彩葉の顔には、ある感情がありありと浮かんでいた。

 

「二度と私に触れるな」

 

「……わかりました」


 俺を嫌いで嫌いで仕方ないようだ。

 まあ、俺も好かれようと思ってしたことではない。


 そんなことを考えさせられたせいで、俺は今さっきまで、何を考えていたのか、忘れてしまった。

 

「ノヴァス、度が過ぎていますよ」

 

 彩葉はその声に怒りが混じっている。

 

「………」

 

 だがノヴァスは思い出したように何かを探しているようで、それには返事をしなかった。

 

「ノヴァス? どうしたの」

 

 俺と同じように雨を滴らせながら、不安そうに何かを探すノヴァスの顔色が青かった。

 落ち着きを失い、全くノヴァスらしくない。

 

「……彩葉様、済みません。ハンカチを宿に忘れたようなので、取りに戻ってもよろしいでしょうか」

 

「ハンカチなら、私、別のがありますよ」

 

 彩葉がアイテムボックスを探すそぶりを見せる。

 

「……いえ、大事なものなので。少々失礼します」

 

「彩葉様。すぐに戻ります」

 

 ノヴァスが笠と外套を羽織ると、もう出来上がっている水溜まりを割りながら走り去っていく。

 

「………」

 

 止めようと、また身体が勝手に動こうとした自分に、心の中で舌打ちした。

 

「アルマデルさん」


 そんな俺の肩を押さえるようにして、彩葉が自分の方を振り向かせる。

 

「大丈夫ですよ。ああ見えても、侍に転職したエリートですから」

 

 彩葉が微笑を浮かべた。

 

 侍―SAMURAI―か。

 剣使いソードマスターからの最終転職は決闘者デュエリストが鉄板すぎて、侍は人気に欠ける職業だった。


 だが俺は侍が好きだった。

 一つ一つのアビリティは火力としては弱いものの、攻撃準備時間が短く設定されているため、発生が早い。

 刀が必要だが、あれば遠隔攻撃である【居合抜き】も使えるようになる。

 

「転職したばかりなのかな」

 

 ノヴァスはまだ、片手半剣バスタードソードを持っていた気がする。

 

「そうですね。まだアビリティは第七位階に入ったばかりだったと思います。じっとしていただけますか?」

 

 ノヴァスがいなくなり、彩葉と二人になると、なぜか落ち着かない気分になった。

 彩葉はハンカチを変えながら、目の前に立って濡れたローブを叩いて水分を抜いてくれている。濡れているせいもあって、背中にしている石壁がいつもより冷たく感じた。

 

 ザァァァ、という激しい雨音が、この世界で俺と彩葉を孤立させている。

 

「……カミュさんがノヴァスに恋をしていたなんて意外でした」

 

 彩葉がすぐ近くから俺を見つめてきた。

 二人になると、カミュと呼ぶようだ。

 だが俺の方は、アルマデルの口調を崩さないことにした。

 

 ふっと笑う、あの癒される笑顔を見せてくれる。

 時々顔を撫でる彩葉の手が温かい。

 

「もう過去の話です」

 

 小さく笑った。

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