第72話 着飾ったノヴァスと
コートの襟で顔の下半分を隠し、家路を急ぐ男たち。
一方の女性たちは色とりどりに染められた毛皮を羽織り、窓の外を通り過ぎていく。
今日はいつもより風が強い。
葉を失い、痩せた木々のほっそりとした枝が、寒々と揺れていた。
ノヴァスとの約束まで、あと40分少々。
俺はカジカの姿になって店に入り、詩織の予約してくれていた席で三杯目のライ麦酒を飲んでいた。
冬のライ麦酒は良く冷えていてうまい。
そわそわしながら待つことになるのはわかっていた。
だから、考えることは用意してある。
昨日手に入れた【也唯一】のアビリティクリスタルだ。
俺はそれを手に取り、中に封印されている三つのアビリティを眺めていた。
封印されていたアビリティは三つとも、【也唯一】なだけあって、破格のものばかりだった。
一.
二.遺失古代語魔法 メテオ
三.アラートシステム
一の
トルネモの名は知らないが、おそらく空を飛べる騎乗動物に違いない。
疎通が取れ、戦いの時にも役立つのだと思う。
だが、せっかく手に入れたとしても、
召喚獣として使う手もあるかもしれないが、あいつ程ではないだろう。
二の遺失古代語魔法の獲得は魔術師なら泣いて喜ぶアビリティだ。
隕石を落とす魔法なら念願のドラゴン退治に勝算が出てくるかもしれない。
これでもいいが、広範囲攻撃すぎて日常使用できないし、俺の魔力では威力はたかが知れている。
最後の三のアラートシステムは、自分の分身を残し、その地点を通過した者に設定した攻撃を浴びせるというものだった。
これは地雷のように使うこともできるし、うまく配置すれば分身との同時攻撃も可能そうだ。
分けると弱くなるが、二体まで置くことができる。
ほかのと比べると一番地味で貧弱な印象だが、使いやすそうなアビリティである。
あの男を倒すのにもきっと役立ってくれるだろう。
(これにしよう)
リンデルはピーチメルバ王国に仕えている。
アルカナダンジョンでついつい寄り道してしまったが、俺の次の動きは決まっていた。
(いよいよだな)
テーブルの下でつい、拳を握りしめていた。
あのにやついた顔をぶちのめせる日を思うと、胸が痛いほど高鳴る。
(俺も歪んだものだ)
アルマデルの呪いのせいか、それとも俺の本性がそうなってしまったのか。
「……変わってないな。お前は」
そんなことを考えていると、後ろから待っていた声がした。
そして少し遅れて香る、いつもの果実のような香り。
見上げると、深緑のAライン型のワンピースを着た女性が目の前に立っていた。
毛皮を手に持って立つ姿は、すらりとしていて足が長く見える。
肩のところで外はねしているはずのブロンドの髪は、いつもと違い、アップにして綺麗に結われている。
いつの間にか料亭内の喧騒が失われ、周りの男たちの視線が目の前の女性に集まっている。
気付いた詩織が、その女性の本気の格好に、えっ、という顔をして立ち尽くしていた。
そう。俺の前に立っていたのは、ノヴァスである。
一方の俺はたいした変わっていない。
羽織っているローブを防御力の高いA級のアリスターズローブに変えただけだ。
色も同じ薄茶色である。
変わらぬ俺を見てか、ノヴァスは挨拶のように溜息をつく。
「あんたもな」
ヘルラビットの毛皮を椅子の背もたれにかけているノヴァスのすらりとしたうなじが目に入り、俺は視線を逸らした。
ノヴァスは料理を頼まず、
「……よく生きていたな」
向かい合っての第一声は、それだった。
ノヴァスは俺に疑うような視線を投げかけている。
少し視線を反らすと、ノヴァスの銀色のネックレスが目に入った。
鎖骨にかかったそれは、首元をより色っぽく見せている。
「運が良かった」
俺は肩をすくめ、それをかわすようにライ麦酒をぐいと呷った。
アルコールが喉を抜けていくのが心地よい。
「そうか」
それからノヴァスは俺を見たまま、しばらく黙っていた。
俺も聞かれるまでは黙っているつもりだった。
ノヴァスが運ばれてきた
「それで、お前はどうやってエブスを倒したのだ?」
大きく深呼吸をして気持ちの準備をすると、俺は言葉を並べ始めた。
話は出くわしたミハルネたちに話したのと同じだ。
「――エブスはいなかった」
「……はぁ?」
ノヴァスは予想外の俺の返答に、素っ頓狂な声を上げた。
「中で待っていてもエブスは現れなかった。やがて別の男が来て『俺が代わりに相手してやる』と言った。俺はエブス相手でないと意味がないと言って帰っただけだ」
「馬鹿な。エブスがゲートに入ったのを見たのだぞ? 無人の村でPVPが行われていたのも確認した。観戦は禁止になっていたが」
ノヴァスが気付いて反論する。
観戦禁止にしてあれば、プレイヤー名や対戦人数なども一切表示されない。他人からは、誰かが無人の村でPVPをしているということが分かるのみである。
「それは知らない。俺は中でそいつと話してそのまま
俺は視線を逸らさず、ノヴァスをまっすぐに見て言い切った。
「そうなら、なぜすぐに私に教えてくれなかったのだ? 今まで逃げ隠れていた理由は何だ?」
「逃げていたわけじゃない。ただ、その……腹を壊してしまっていて動けなかっただけだ」
俺は俯いて、腹をさする。
「10日近くも寝込んでいたというのか? 詩織殿に頼んで、お前を随分探していたんだぞ」
「借りていた宿の部屋から出られなかっただけだ。詩織も事が事なだけに言いづらかったんだろう。それより俺、痩せたと思わないか?」
怖い顔をしていたノヴァスの表情が緩む。
「ぷっ、馬鹿。お前のどこが細くなったというのだ」
ノヴァスが吹き出すと、今度は一転して笑いを堪えられない。
話を逸らしているのには気付かれていないようだ。
俺は真面目な顔をして、腕を捲る。
「見ろよこの腕とか」
「アハハ、だから全然変わってないというのだ」
無邪気な声を上げて笑っているノヴァス。
彩葉のように、笑っていいか判断した後に口元を押さえて上品に笑うのとはまた違う。
ノヴァスは面白いと思ったことを一点の曇りなく、笑う人なのだ。
以前はこの笑う姿を心底憎んでいたのに、今の俺はこの人の笑顔に癒されていた。
「……笑いすぎだぞノヴァス」
そう思いながらも、いつまでたってもけらけら笑っているノヴァスに、今度はちょっと腹が立ってきた。
「アハハ……すまん。だがそれはおかしいぞ。エブスが生きているのなら、私のところに来るはずだ」
そう。エブスはノヴァスの身体を頂くという約束をとりつけていた。
あの性格である。俺が生きていたとしても適当に嘘をつくなりして、すぐさまノヴァスを抱きに行くに違いなかった。
死んでいるから行かないのである。
「なに? どういうことだ?」
俺はこれでもかとばかりに目を見開き、初めて聞いたような表情を浮かべる。
ここで俺の話からノヴァスの話に切り替えれば、もう難しいところはない。
「え……? あ、いや……」
ノヴァスが目を泳がせた。
「おい、どういうことだ」
俺はもう一度繰り返した。
「――お、お前には関係のない話だ」
まずいことを言ってしまったと気づいたのか、ノヴァスの顔から笑みが失せた。
珍しく、視線を合わせ続けることができないでいる。
「今のタイミングで出る話が俺に関係ないはずがあるまい。ノヴァス、お前、俺になにか隠しているな? 俺のために、なにか約束したんだな?」
無人の村で突き付けられたセリフを、突き返す。
「……お前には、関係ない」
ノヴァスは絶対言わないぞとばかりに俯いた。
「関係ある。言え」
「関係ない」
「言えよ」
「……言わない」
普段はあんなに口が悪いのに、本当に優しい人だと思う。
「……まあいい」
俺はここであきらめたように装うと、ノヴァスが俺の顔を窺うようにちらりと覗き見た。
「エブスの姿はあれから見ていない。俺もどうなったかわからないんだ」
ノヴァスとこんな約束をするあいつを、俺が生かしておく訳がない。
「そうか……」
ノヴァスは再び斜め下に視線を逸らすと、腕を組んで何やら考え始めた。
ふと厨房側を見ると、詩織が、大丈夫? と目で訴えかけてくる。
俺は眼だけで頷き、問題ないことを伝えた。
「……見るに見かねて、ミハルネあたりが始末してくれたのかもしれないな……」
ノヴァスが独り言のようにポツリと言った。
「ミハルネが?」
俺は論点のずれた話を歓迎するようにノヴァスを促す。
「エブスが事前に細工をしないよう、『北斗』の連中にずっと監視させていたはずだ。前日に会った時には何も言っていなかったが……なにか画策を見つけて言い咎めた時に、大ごとになったのかもしれないな」
「……なるほど。それはありそうだな」
俺は真顔で頷いた。
そんなはずがないことは知っているのだが。
そこで、テーブルに料理が並び始めた。
香辛料の香りがふんわり漂ってくる。
さっそくノヴァスが椅子から腰を浮かせると、小皿に料理をとって俺の前に並べてくれる。
見かけによらず、こういう女性らしい気回しをされると、つい心が奪われる。
「ミハルネはもうこの街を発っているし、確認はできないがな……。さて、温かいうちに食べよう。今日は私の奢りでいい」
「どういう風の吹き回しだ」
ノヴァスは目で微笑んだだけだった。
まだ俺が貧しい生活をしていると思っているらしい。
「まあいいか。遠慮なく戴く」
「そうしたらいい」
俺は楽しみにしていた肉料理を口にさっそく放り込む。
隣の席には詩織がライ麦酒を運んできて、にわかに歓声が上がっていた。
「そういえば、なぜおまえがサイズの合わない黒い外套を持っていたか、聞くことになっていたな」
ノヴァスが思い出したように言った。
近くでテーブルを拭いていた詩織が、手を止めた。
俺はすぐさま、テーブルに突っ伏すように頭を下げる。
「……実は、金がなくて、デスゲーム化した日に落ちていたものを拝借してしまった。格好をつけたくてあの時は嘘をついた」
ノヴァスが溜息をつく。
「……もう。どうせそんなことだろうと思ったのだ。最初からそう言えばいいのだ。急にデスゲーム化すれば、誰だって正気ではいられないだろう。別にお前を責めるつもりなどなかったのに」
ノヴァスは眉を下げて、いつもの「困った奴だ」という顔をする。
「つい、な」
俺は肩をすくめた。
隣の席では、詩織をまた呼び寄せる方法をあれこれ大声で話している。
「情けない奴め。我々の救済を受けないからそうなるのだ」
以前にも聞いたセリフだが、今のは不思議と耳に心地よかった。
ノヴァスは優しい微笑を浮かべている。
俺の好きな、あの微笑みだった。
「何度目かな、それ」
「アハハ」
ひとしきり笑い合う俺達。
「はいどうぞ」
詩織が俺たちのテーブルにデザートのチーズケーキと、珈琲をくれた。
にこりともせず、珍しく冷淡に去っていく。
「あ、ありがとう……」
ノヴァスの言葉が若干淀んだ。
ノヴァスのケーキにだけ、真上からフォークがぐっさりとささっていた。
「………」
「………」
俺たちは無言になりながら、いそいそとデザートを戴いた。
そんな折にノヴァスと目が合って、ぷっと吹き出した。
ノヴァスがふと運営販売のティッシュを取り出すと、口元をすっと拭く。
それで思い出し、俺は懐から丁寧に畳んでおいたハンカチを取り出した。
以前ノヴァスが落としたものだ。
酔っていたのもあったのだろうか。
その時の俺は、思い出したものを早く返すことしか考えていなかった。
「今日――」
「そうだ。ノヴァス――」
言葉が重なった。
「ごめん、先にどうぞ」
「いや、私の話はあとでいい。お前、それは?」
ノヴァスが俺の手にあるハンカチを指で指し示す。
さっきまでと違い、微笑んでいるのに、目だけが思いつめたような暗さを帯びていた。
何を言おうとしたのだろうか。
ひとまず、見せてしまったので先に話す。
「これ、この間落としただろ?」
「あ……探していたんだ。拾ってくれたんだな。どこにあったんだ?」
ノヴァスが目を丸くして、差し出されたハンカチを受け取りながら訊ねる。
「……え?」
そこで、俺は気づく。
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