第71話 会うべきひとと
「えー!? ひ、170%……? 目が回っちゃいそう」
「詩織にあげたかったよ。【也唯一】じゃなければよかったんだけどさ」
少女を仮面の奥から眺めつつ、肩をすくめた。
今回手に入れた【也唯一】女神フレイヤの靴の話である。
そのおかげで俺の移動速度はB級装備の時の105%から、一気に170%に増加していた。
詩織は敏捷度が鍵となる職業なだけに、想像以上の羨望の眼差しを向けている。
今日の詩織はさらりとした茶色の髪を肩におろし、白のつやつやしたドレスシャツに、膝上までの薄いピンク色のタイトスカート、その下には網目の広い黒のストッキングを穿いている。
時は【女教皇】アルカナダンジョン攻略の翌日。
俺はアルマデルの姿で、これからバイトに入る詩織と昼食をとっているところだった。
今日は街角の美味しいサンドイッチを出すという噂の店に、ふたりで入ったところだ。
「今履いてるのがそうなの? ……紋様が上品ね」
詩織が物欲しそうな顔をするのは珍しいことだ。
「履いたら、なんでか体全体が軽くなるんだよね。二段ジャンプもできるんだ。壁とかも簡単に乗り越えられそうでさ……」
俺が性能を付け足すと、詩織が椅子から立ち上がった。
「うー」
唸りながら俺のそばにしゃがみ、俺の靴を両手で掴んで脱がそうとする。
近くに来た詩織から、いつもの甘い香りがふわりと香った。
「いや、ごめん。ほんと【也唯一】じゃなければ、詩織さんに……」
「……一緒に行きたかった」
詩織がはぁ、と溜息をつくと立ち上がり、自分の席に戻った。
すらりと伸びた指はもうすることがなくなったのか、グラスを揺らして、中の水に波を与えている。
「ほかにもいろいろ手に入れた。ほら、精錬石だよ」
もう取り繕うしかなくて、詩織の欲しがっていた世界の精錬石を見せた。
「す、すごーい……これが」
打って変わって目を丸くする詩織。
「使ってくれ」
「え!? む、無理よ。タダで頂くわけにはいかないわ」
「いいよ。どうせ俺にはもう必要のないものだ」
「ううん、駄目よ。どれだけの価格で取引されていると思っているの。あたしの身体でも払えないわ」
「いや、詩織の身体は……」
「ん?」
「いや、何でもない」
身体で支払う取引は公序良俗に反するので、何回肌を重ねても法律上1円も払ったことにならない。
なので騙す男は、するだけしてからこれを口にすることが多いとか。
俺はそう言いたかっただけだ。
詩織は気にせず、金貨2千枚を俺に渡そうとする。
それはさすがに多いので、譲らない詩織に金貨200枚で二つ世界の精錬石と交換する。
「安すぎるわ」
「ほら、リンデルの件もお願いしてあっただろ? その分で差し引きさせてくれ」
そして俺は先日、偶然そいつに会い、戦うことになったことを話した。
詩織を不安にさせたくなくて、命の危機を感じたことまでは口にしない。
「――ピーチメルバ王国に、仕えているの?」
「ああ、司馬の元で密偵みたいなことをやっている言い方だった。それで、あいつを探しにしばらくそっちのほうに行ってみようかと思っている」
「探されているサカキハヤテ皇国に入るということ?」
首を傾げた詩織の髪が、春の小川のようにさらさらしている。
「それも手だな」
「またしばらく帰ってこれなくなるじゃない……あたしも行く」
詩織の尖らせた口が可愛い。
「亡骸草集めもかねて死者の森の未探索エリアを歩いてからにしようと思ってる」
「うんうん。それがいいわ」
詩織が嬉しそうに微笑んだ。
「ところで……詩織は相変わらずかい?」
自分の話になると、詩織は久しぶりに顔をほころばせた。
「そうね。今、少し大きな仕事が入っていて。行けるかどうかわからないけど、くれた精錬石のおかげで【上位索敵】がとれるから、すごくありがたいわ」
詩織は悪党から金品を盗む、怪盗としての別な顔がある。
いろいろ聞いていくと、この二ヶ月で五つもの仕事に成功しているそうだった。
「無理だけはしてくれるなよ」
「うん、大丈夫よ」
詩織がニコッと、とびきりの笑顔を見せた。
「それより亞夢さんはどう? 心を開いてくれたかしら?」
「ああ、話してなかったな。あれからいろいろあってな」
俺は詩織に順を追って話し始めた。
はるばる国を離れてウンサルに会いに行ったこと。
リンデルとのやり合いで助けに出てきてくれたこと。
そして、昨日のこと。
そう、俺は昨晩、宿の部屋で亞夢を召喚していた。
街中で亞夢を召喚するのは初めてだったが、暴れずにいてくれた。
俺は頭を下げ、再度、救ってくれた礼を述べた。
亞夢は小さく唸っているのみで、話を聞いてくれていたものの、俺を完全に受け入れてくれたわけではないようだった。
俺は【女教皇】戦で手に入れた魂の宝珠を使って、三重苦のうちのどれかを解くつもりだった。
俺は自分の呪いを解くこともできたのに、頭になかった。
亞夢の呪いのレベルはわからないが、最上級の【悪逆無道】の魂の宝珠なら解除できない呪いはない。
亞夢にどれを優先して解くべきか訊ねるが、答えてくれないので、見ていて痛々しい、舌の呪いを解くことにした。
使い方を教え、慎重に亞夢の痛々しい手に持たせる。
うっかり手を触ってしまい、亞夢の唸り声に怒気がはらんだ。
それでも、俺は嬉しかった。
わずかに触れた亞夢の手が温かかったからだ。
頬をなでてくれた手が思い出される。
口元が緩んでしまった俺を、亞夢は変態だと思ったのか、俺に向かって一歩踏み出した。
ち、違う。
死を覚悟した瞬間、いいタイミングで魂の宝珠が効果を発揮し、輝き始めた。
そしてふいに光とともに宝珠が消え去ると、亞夢の舌からの出血が止まった。
亞夢は長年の舌の痛みが消えたようで、歪んでいた表情が幾分和らいだ気がした。
考えれば当たり前だった。
口内炎ですら日々あんなに痛くてつらいのに、亞夢は舌を削ぎ落されているのである。
それも10年も続いた痛みだ。
俺はこれを一番最初に解除してよかったとつくづく思った。
だが残念なことに、舌は再生しなかったと思う(ちゃんと見せてくれなかった)。
亡骸草を調合した第十位階HP
身体部位欠損の修復は損傷後24時間以内に限られるからだろう。
「そう。舌は戻らなかったのね……」
「ああ。だがあきらめてはいないよ。ひとつだけ思いついたことがあるんだ」
俺は今度死者の森に行った時に、それを実行しようと決めていた。
「あいよ。おまちどうさん」
年配の紳士風の店員が歩いてくると、テーブルにカタ、っと小気味のいい音を立ててサンドイッチの乗った皿を二枚置いた。
詩織と俺は、やっと出てきた巨大なサンドイッチに瞠目した。
焼かれて香ばしいパンの間には、ローストチキンのほか、みずみずしいレタスやトマトなど定番の野菜がぎゅうぎゅうに詰められていた。
俺はかぶりつき、詩織はナイフとフォークで上品に食べ始める。
甘辛いソースがよく馴染んでいて、どんどん口に入れたくなる味である。
見れば紳士風の店員が、こちらに向けてサムアップしていた。
「そういえば……。ノヴァスさん、彩葉さんと別行動でしばらくこの街に残るつもりみたいよ」
美味しいね、と幸せそうな笑みを浮かべていた詩織が、いつの間にか苦笑いしている。
「あの人、ずっと探してるのよ。カジカさんを」
「……そうだな」
彩葉にも釘を刺された件だ。
ノヴァスが俺を探すために業務をなげうっていろいろしてくれている。
「カミュが良ければ、いつでも段取りはつけられるわ」
「そうか」
俺は窓の外を見る。
事を進めてから話そうと思っていたが、そうもいかないだろう。
「詩織、済まないが取り計らってくれないか。今日か明日の夜で、ノヴァスに会おうと思う」
リンデルに復讐を果たすまでは一部嘘をつかねばならないが、今見せられる誠意は見せよう。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます