第70話 彩葉とのひととき2



「いっぱいあるよ。ついさっきもあったぐらいだ。だから気にしなくていい。冒険者稼業はお互い様だ」

 

 お互い様、という言葉に、彩葉はくす、っと笑った。

 自嘲したようだった。

 

 俺を助ける事など、ある訳がないと思ったのだろう。 


「カミュさんはきっと、この怖さを乗り越えているのですね」

 

  この怖さ、とは突然訪れる死の恐怖のことだろうか。

 

 思い出せるのは、カジカだった頃にウルフに首元を抉られ、死にかけた時のことだ。


 あの時はノヴァスが助けてくれた。

 もちろん、思い出せばまだ体が震える。

 決して乗り越えてなどいない。

 

「今でも怖いさ。それでも、助けたいって気持ちが勝つと気にならなくなる」

 

 人はいくつもいっぺんに考えることができない。


 だからこそ一番大事なことだけを考えることで、恐怖に打ち勝ち、強く在れる。

 車に轢かれそうになった子を、身を挺して庇う親のように。

 

「た、助けたい……わ、私をですか?」

 

「そう。助けたいっていう気持ちに集中するとね……って、あ……えーと」

 

 話に夢中になっていて、彩葉が頬を赤くしながらこちらを見ていたことに今頃気づいた。

 なんだか、愛を告白してしまった気がする。


 助けたいとか面と向かって言ったら、だめだったろ。


「………」


「………」


 どうすんだ、空気。

 

「も、もしかして私たち、どこかでお会いしていますか? 仮面をされていて分からなかったのですが……」

 

 黒髪を耳にかけながら、真剣な表情で顔を近づける彩葉に、俺はつい仰け反った。

 

「いや、アテナイアテナイ」

 

 しどろもどろになり、怪しい外人のようになってしまった。

 なぜ俺はこんなに追い込まれている。

 

「………」


 彩葉がまた、クスっと笑った。

 

「だが……他人を助けるってたったひとりでも大変なことなのに、彩葉さんは今日、たくさんの人を救っただろ」


 俺は話を強引に変えた。

 俺の言葉に彩葉はありがとう、と目を細めた。

 

「デスゲーム化したのに、こんな風に体を張って助けてくださる方がいるなんて、思いませんでした。カミュさんこそ、素敵です」


「………」


 あえなく話は戻された。

 

「カミュさん?」


「……たまたま上手くいっただけだ」

 

「謙虚なんですね」

 

 上目づかいに見られて、俺は照れ隠しに片手で水袋をあおる。

 水はストレートに気管に流れ込み、俺は盛大にむせこんだ。

 

「ところで、カミュさんはどうしてこちらに?」

 

 俺はああ、そんなことか、という顔をし、苦しさを隠して正直に話した。

 まだ咳が数回必要な状態だが、それを押し隠して口を開く。

 

「コホン……実はとても運が良かった。近くで狩りをしていたら足跡を見つけてね。コホン。青く光る入り口を見つけたらバイパスゲートが二つあった。入ってみたら、皆が戦い始めるところだったゴボァ!」

 

 無理だった。

 最後の方は背を向けたので、気づかれなかったと思う。たぶん。

 

 気道を浄化した後「そしてそのまま、観戦して帰るつもりだったんだが」と何事もなかったように続けた。

 

「そうなんですね。でもそのおかげで命拾いしました」

 

 彩葉が伏し目のまま、肩にあった俺の手に自分の手を重ねてきた。

 そういえば彼女の肩に手を回していたことを忘れていた。


 なんとなく受け入れたが、温かさとそれが意味するところに気づく。

 

 そっと気づかれないように見ると、彩葉は目を閉じて、安堵したような表情をしていた。


「あ、そうだった」

 

 俺は彩葉の肩から手を離して、立ち上がった。

 なにか急に、やっていることが違う気がしたからだ。

 

「急ぐ用事があった。そろそろ失礼しよう」


「えっ!? あ、あの、大丈夫ですか?」

 

 つられて彩葉も立ち上がる。

 

「さっき、冷たい言い方したことは謝るよ。じゃあまた会えたら――」

 

「ま、待ってください!」

 

 彩葉は俺の手を握り、想像できないような強い力で俺を引き留めた。

 この人、さっきから案外積極的だ。

 

「……カミュさん。考えていたんですが、やっぱり【女教皇】のドロップはカミュさんが全部持っていくべきです。ご覧になっていたのならお分かりでしょう。私たちでは決して勝てる相手ではありませんでした。恐らく次があったとしても……」

 

 さすがだな、と思った。 

 この人はあの戦況を正確に見抜いている。

 

 確かに、メインタンカーのギリルが生きていたとしても、ワイトロードごときで混乱を強いられるようなチームでは、【女教皇】の次手で沈んでいただろう。


「もうこっそりもらっているさ。皆が欲しがるような良い品ばかりね」


 だが、そうは言わなかった。

 

「で、でも、【伝説級】や【遺物級】の装備もありますし、オリハルコン結晶や、お金だってこんなに……」

 

 彩葉が山積みになったままのレアアイテムや財宝を見て呟く。

 

「死んだ仲間への見舞金も必要だ。持って行ってあげてくれ」

 

「……でも……」

 

 でも、を繰り返す彩葉を、俺は手を上げて制した。

 

「彩葉さん。もう討伐してから一五分以上経ってる。そろそろ戻ってやったほうがいい。皆が心配しているはずだ」


「………」

 

 彩葉は美しい顔を歪めるようにして、困ったような顔をした。

 

「カミュさん……あの、みんなに紹介しますから、私と一緒に戻りませんか?」

 

「それは出来ない」

 

 彩葉の誘いに、俺は間髪入れず断りを入れた。

 

 想像するだけで、あの怒りがふつふつと湧き上がる。

 彩葉は良いとしても、ほかの『乙女の祈り』の連中が待っていたら、俺はこの怒りを抑えられるかわからない。


 俺はあの悲惨な時を過ごしてから、はっきりと歪んだ。

 もはや普通には生きられなくなっているのだ。

 

「そうなのですね……」

 

 俺がかたくなに拒む理由が、彩葉にはわからないようだった。


 当然だ。

 健全な彼女に、俺の気持ちは理解できないに違いない。

 

 彩葉は言いようのない表情を浮かべるが、諦めてくれたのか、離れたところに落ちているアイテムの元へ行き、拾い始めた。


「………」


 つい目で追ったが、俺はすぐに視線を逸らした。


 彼女は腰を折り、前かがみになるようにして拾っていて、白いミニスカートの裾が持ち上がり、ふっくらとした太ももの裏側が見えてはいけないところまで覗かせていたからだ。


 拾い終わった彩葉は、背を向けたまましばらく黙って立っていた。

 

「カミュさん、あ、あの、またお会いすることって……」

 

 彩葉はぽつりと、背を向けたまま小さく言った。

 

「ああ、次会った時はアルマデルと呼んでくれ。普段は話し方を変えているから、次会っても驚かないでな。明日すぐこの街を発つのか?」

 

 彩葉が振り返る。

 その整った顔に、少しだけ嬉しそうな笑みが灯っていた。

 

「明後日の午前に発つつもりです。フューマントルコで約束がありますので」

 

「そうか。どうしても必要な時は、亡骸草で取引広告を出してくれ。返事をするよ」

 

 取引掲示板は掲示板上でやり取りすることができる。

 だが、取引以外のコメントは厳しく制限されている。

 

「……連絡してもいいのですか」


 彩葉が伏し目がちになって訊ねてくる。


「もちろん」


「……私、本当にすると思いますよ」


「だからいいよって」

 

 顔を上げて頷いた彩葉は、「ありがとうございます」と可憐な笑みを浮かべた。

 

「私、実は『乙女の祈り』っていうギルドを作って活動しているんです」

 

「ほうほう」

 

 俺は知らなかった風に頷いた。

 

「もし何かありましたら冒険者ギルドから言伝をしてください。必ず対応致しますから」

 

「そうだな。レベルダウンさせちゃったしな。今度レベル上げでも手伝うよ」

 

 思いつきでついものを言ってしまったのを、彩葉は聞き逃さなかった。

 

「――ほ、本当ですか!?」


「あ、ハイ」


「嬉しいです!」


 やってしまったかもしれない。

 今さら、ただの社交辞令だったとか言えない空気にされてしまった。


「約束ですよ……! 実は三つも下がって憂鬱だったんですけれど、さっき女教皇を討伐した時に五つも上がっちゃいました」

 

 彩葉がぱちんとウィンクする。

 な、なにそれ可愛い。

 

「そ、そうか。それならいらないかね――」

 

「約束ですよ? 狩りに行くお誘い、待っていますから」

 

「え? いや、あの……上がったし、いらないんじゃ……」

 

 彩葉はもう、聞いていない。

 

「ではカミュさん、助けていただきありがとうございました。また後日改めて! 絶対ですよ!  さよなら!」

 

 彩葉は帰還ゲートに入る前に振り向いて、首をかしげるようにしながら小さく手を振る。


(か、かわいい……)


 その愛らしい仕草に俺は眼を奪われ、手を振り返すのすら忘れてしまった。

 

 青く輝く光とともに、彩葉の姿が掻き消える。

 そしてこの場所が本来、静謐な場所であることを知らされた。

 

 彩葉がいなくなった途端、今まで気付かなかった血の臭いが鼻をついた。

 見渡すと、部屋は少し暗くなった気がする。

 

(すごく、心のきれいな人だった)


 俺はいつの間にか溜まっていた息を吐いた。

 

 一緒に居ると、不思議と穏やかな気分だった。

 泣いていた彩葉に癒されたのは、俺の方だったのかもしれない。

 

 俺は外していた指輪とネックレスを戻すと、彩葉の通った帰還ゲートで他のプレイヤーと鉢合わせになるのを恐れ、徒歩でダンジョン入り口まで歩いた。

 アルカナボスを倒した後のアルカナダンジョンは魔物がいなくなる。

 

(はて……)

 

 はずだったが、地下1-3階の魔物はポツリポツリと生き残っているのがいた。

 デスゲーム化の影響だろうか。

 

 

 

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