第69話 彩葉とのひととき



「……そ、そんな高レベルの呪いが?」


「嘘じゃない」


 う、嘘だなんて思っていません、と彩葉が付け加える。


「……私も初めて見ます。あの……大丈夫ですか? 私に何かできることはありませんか?」

 

 彩葉は自分の胸に右手を当てて、左腕を大きく外へ広げた。

 影をつくりそうな睫毛の奥から覗かせる瞳は、吸い込まれる気がするほどに澄んでいた。


 デスゲーム化したすぐ翌日から救済に動いたという、優しさと行動力を持ち合わせた眩い女性。

 こんな高嶺の花が俺を気にかけてくれている。

 

 人を引き付ける魅力を持っているのだろう。こうしている間にも、俺は彩葉に好感を抱き、もっと話したい気持ちが芽生え始めているのを知った。

 だが同時に、彩葉のペースで話をしてはいけない気もしていた。

 

 このままではいずれ話が自分の正体に及びそうだったからだ。

 それにいくら美しくても、この女性は『乙女の祈り』の長だ。


「………」

 

 胸が、どくん、と跳ねた。

 

 ――そうだ。『乙女の祈り』。

 

 あの、『乙女の祈り』だ。

 

 さんざんいたぶりやがった、リンデルがいたギルド。

 俺への嘲笑いが日々蔓延していたギルド。

 

「………」


 俺の顔から、笑みが消えた。

 忘れられない過去が、昂ぶる怒りの炎を巻き起こす。

 

 まもなくして、彩葉に対する冷ややかな気持ちが俺の心を占拠した。

 

「……済まないがゆっくりしていられない。先に大事な話をする。俺についてだ」

 

  口調が変わっていた。

 

「あっ……はい」

 

 纏う雰囲気が変わった俺に、彩葉は眼をぱちくりさせる。

 

「仲間にはそのまま話すがいい。見知らぬ仮面の男が混ざっていて《女教皇》を倒し、一部のアイテムを漁って去っていったと」

 

「え? あ、あの……?」

 

 豹変した俺に、彩葉はついてこられずにいた。

 

「だが、俺の名は誰にも告げるな」

 

「わ、私なにか、失礼なことでも……?」

 

 それを無視し、俺は振り返って山積みになったアイテム類を指さす。

 

「この残り物のドロップ品は、全部お前が持っていけ」

 

 そう言って俺は先ほど拾わないで置いておいたアイテム類を指差した。

 彩葉が口に手を当てて一瞬言葉を失う。

 

「えっ!? 待ってください……! これは討伐されたカミュさんのものですよ……!」

 

 彩葉が目を白黒させる。

 だがわかっていないのは彩葉の方だ。

 

 人は見返りを求める生き物だ。

 たとえあんな戦いの終わり方をしたとしても。

 

 ファンファーレが鳴ってしまった今、《女教皇》が討伐されたことはこの世界全体に知れ渡った。


 彩葉が生きて帰れば、あの仲間たちは期待に胸を膨らませ、帰還した彩葉にドロップ品を出せと詰め寄ることだろう。

 そんな中、俺がドロップ品を余すことなく持ち去ったと知ったらどうだろう。


 まずその仮面の男とやらを恨む。


 百歩譲ってそれはいい。

 だが次に非難が集まるのは、無関係の彩葉なのだ。



 ――なんで倒したのにドロップないの?


 ――あんなに苦労したのに、ご褒美なしかよ。


 ――なんで拾ってこないんだよ。


 

 もうたくさんだ。

 顔には出さないものの、彩葉は間違いなく見捨てられて傷心している。

 この期に及んで、この人をさらなる暴力に晒したくない。

 

 だからこそ、そこそこの価値のあるアイテムを持って帰ってもらう。

 

「亡くなった人が多い。仲間には俺からの見舞金だと言え。ほかのアイテムも好きに使うがいい」

 

 金は多めに残した。人気のあるオリハルコン結晶も残した。

 取り合いにはなるだろうが、おそらく納得はしてくれるはずだ。

 

「……あの」

 

「それから――」

 

「あ、あの!」

 

 彩葉が突然、大きな声を上げた。

 俺はつい、口を止めてしまう。

 

「……カミュさんなんですよね?」

 

 彩葉は知っているのを確認するような口調だった。

 尖った言い方をする俺など気にならないのか、まっすぐにこちらを見ている。

 

「俺の話の最中だ。口を挟むな」

 

 俺の冷たい言い方にも、彩葉はひるまなかった。

 むしろ、すっと一歩前に出る。

 

「あの! YESかNOの、それだけでいいのです! どうか、お願いします!」

 

 しん、と静寂があたりを支配した。

 

「大事なことなのです……。四本腕の糸使いですもの。カミュさんなんですよね? 一生、私の心に残る名前です。絶望的な状況から私を救い上げてくださった方の名を、きちんと覚えておきたいのです」

 

 俺につられて厳しい表情をしていた彩葉が、ふっと笑った。

 人を安堵させるような、穏やかな笑みだった。

 

 信じられなかった。


 今の彩葉は俺以外の皆が見捨てたことを、知っている。

 それがどれだけ心に深い傷を与えるものか、どん底にいた俺はわかっているつもりだ。

 

 それでも、彼女は微笑んでいる。

 俺には決して真似できない、心の強さをもった人だった。

 

「……そうだ。今の名はアルマデルと言うが」

 

 俺は頷いた。

 それを見た彩葉は、感極まったように口元を手で押さえた。

 

「やっぱり……。私、あの戦い方を見て、噂は本当なんだなって思いました」

 

「噂?」

 

 頷いて彩葉は続ける。

 

「舞うような戦い方がとても美しくて、一人で状況を変えてしまうほどの、圧倒的な強さを持つと」

 

 軽く鳥肌が立った。

 誰が美しいじゃ。

 

「本当に噂通りでした……。ワイトロード三体を一瞬で屠り、相手がアルカナボスであっても、ひるむことなくたった一人で立ち向かって守ってくださるなんて……。その勇気に私、もう……心が震えてしまいました」

 

 彩葉が目を潤ませる。

『勇気』という信じられない言葉を使われると、俺はとたんに挙動不審になった。

 

「そ、そんな大したことじゃない」

 

 俺は頭を引掻きながら天井を見た。

 彩葉は少し誤解している。

 

 もちろんあの時は彼女を助けるために割って入った。

 顔を知っていた人だった、ということもあるが、孤高に戦い続ける彩葉を誰も助けようとしない様に苛立ったのだ。


 皆の為に率先してワイトロードに立ち向かった彩葉を見捨てることは、俺にはできなかった。

 

 それに【女教皇】は残りのHPも少なかったし、ワイトロードは俺からすれば、雑魚だ。

 確かに思ったより危なかったが、勇気と言われると……違う。

 

 しかし彩葉は俺の動揺には気付かずに、零れそうな涙を隠すようにうつむくと、そのまま頭を下げた。

 

「……本当にありがとうございました。あの時は、カミュさんがいなかったら私、絶対に死んでしまってました……。ワイトロードたちに押し倒されて、死ぬんだと思ったら、急に怖くなって……わ、私……」

 

 彩葉は頭を上げられず、口を押さえたまま肩を震わせた。


 そのまま力が抜けたのか、両膝をつく。

 頬を流れ落ちた雫が輝き落ちて、石畳に跡を作る。

 

【戦乙女】の崇高なイメージとは裏腹に、彩葉は儚げな様子を見せていた。

 

 言葉が出なかった。

 彩葉は見ず知らずの俺の前で、ありのままの弱い姿を全てさらけ出している。

 

 確かに死を間近に感じたら、誰でも普通の思考を維持するなんてできないと思う。

 殺されるのだ。滅多打ちにされ、人形のようになっていたあのギリルのように。

 

 だが俺ならば、そこまで素直に心の内を赤の他人に見せられるだろうか。

 傷つくのを恐れ、僅かであろうと表に出せないだろう。

 

 それが俺にはない、彩葉の心の強さをありありと感じさせた。

 同時に、俺の中に出来つつあった彩葉への拒否感はあっさり氷解し、代わりに温かい気持ちが芽生えてきた。

 

 不思議だった。

 どうして人の涙には、他人の心を変える力があるのだろう。

 

 俺はハンカチを取り出して彩葉に握らせ、顔を覗きこまないよう横に座り、鎧の隙間から肩をそっと撫でた。

 



 ◇◆◇◆◇◆◇




 高い位置から、オレンジ色の魔法の灯りが煌々と照らしている。

 

 彩葉は座りこんだまま、まださめざめと泣いていた。

 俺はその隣に座り、彩葉の肩をそっと撫でながら黙っている。

 

『乙女の祈り』とか、もうどうでもよかった。

 

「……ご、ごめんなさい。気が緩んでしまって……」

 

 ひとしきり涙して落ち着いてきたのか、濡れた声で彩葉は謝罪した。

 尖る必要のなくなった俺は、無言のまま彩葉に水袋を差しだした。

 

 詩織にもらったその水袋は、入れた水にミントの味が広がるようになっているものだ。

 彩葉はありがとう、と言った後、両手でそれを受け取ると上品な仕草でこくりと飲んだ。


 飲んだ後、不思議そうな顔をしている彩葉に、俺は声をかけた。

 

「俺も死にかけて、助けてもらったことが何度もあった。あんたの気持ちはよくわかる」

 

「か、カミュさんでも、あるのですか……?」

 

 目尻に光るものを残しながら、彩葉はこちらを向いて必死に話をしようとしている。

 その懸命さについ引き込まれそうになるが、平常心を失わないよう、続けて話し始めた。

 

  「いっぱいあるよ。ついさっきもあったぐらいだ。だから気にしなくていい。冒険者稼業はお互い様だ」

 

 お互い様、という言葉に、彩葉はくす、っと笑った。

 自嘲したようだった。

 

 俺を助ける事など、ある訳がないと思ったのだろう。

 

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