第66話 撤退の中で

 

「――各自、撤退準備!!」

 

 エメラルドの迷いのない声が室内に響く。

 

 英断だと思った。

 【女教皇】のHPはおそらく残り20%程度と推測され、もう少し押せれば勝てそうな気はする。

 

 だが『二種部下召喚』の対策をとれていないことが問題だ。


 しかも『二種部下召喚』はこれで終わりではないだろう。


 繰り返された時に、すぐ対応できるとは思えない。

 さらにメインタンカーのギリルが、仲間の死亡で精神不安定になっている。

 

「――ギリル! しっかりしろ! 死ぬぞ!」

 

 エメラルドが声を枯らして怒鳴っている。

 

 他のチームの機転で部下はギリルから剥がされ、ギリルの相手は元通り【女教皇】のみとなっている。

 しかし本人は盾の役割を忘れ、無謀な攻撃を繰り返している。

 

 まるでやり場のない怒りをぶつけている、ただの子供だった。

 

 無論、そんな隙を見逃す相手ではない。

 

「ぐぎゃっ」

 

 盾が音を立てて落ちる。

【女教皇】の攻撃で、ギリルの左腕が肩からもがれていた。

 

 痛みで正気に戻ったらしいギリル。

 だが、もう遅かった。

 

「――ギリル!」

 

 ミハルネの声も虚しく、ギリルは滅多打ちにされ始める。

 最初は剣で受けようとしていたが、今はもう、ただ人形のように右に、左にと揺れている。

 周囲から回復魔法が飛んでいるが、焼け石に水であることは、皆が分かっていた。

 

「あうぅ……せいなぁ……」

 

 ギリルが諦めたように残った片腕で頭を抱え、屈み込んだ。

 

 次の瞬間、グシャという嫌な音が耳をついた。

 

「………」

 

 しーんと静まり返り、誰かの息を呑む音が、やけに大きく響いた。

 

(厳しいか……)


 俺は小さく唇を噛み締めた。

 

「――総員撤退! 四の五の言わぬ! ダンジョンリコールへ飛び込め!」

 

   エメラルドの切迫した声。


「ぐぇっ」


 【女教皇】は、目の前を逃げ去って行く魔術師系職業の男を錫杖で殴り飛ばした。

 男は吹き飛び、ぐったりとして動かなくなる。


 そこへ追撃の雷撃が降った。

 雷撃で焼け焦げた男は、もう息をしていない。

 

(崩れた)

 

 【女教皇】は無差別に攻撃を加え始める。

 ボス戦はこのようにタゲ安定を失うと、もう目も当てられない。

 

 火力に特化した職業や回復職ヒーラーは防御力が弱く、ボスの攻撃をいなすことなどできないからである。

 

 雷撃や範囲物理攻撃を受け、次々と倒れていくプレイヤーたち。

 

「やぁぁ――!」


 皆が必死の形相で逃げ惑う中、部下モンスターと戦い続ける人がひとりいた。

 彩葉だ。

 

 彩葉が受け持つワイトロードはまだ三体健在だった。


 彩葉は範囲ヘイトがないため、ターゲット安定させるのに時間を要していたのだ。

 かろうじて火力Dチームの仲間が二人援護してくれているが、回復職の爺さんはもういない。


 今の彩葉は最後の手段である【究極防御ウルティメットディフェンス】を使用し、危機を凌いでいた。

 

回復職ヒーラーが真っ先に逃げるか、普通)

 

 俺は舌打ちしていた。

 

 さっさと逃げた彩葉の仲間たちに苛立ちを隠せなかった。

 彼女は見捨てられたのだ。

   

究極防御ウルティメットディフェンス】 が終了した彩葉は【下位毒】に陥りながらもワイトロード3体と渡り合っている。


【下位毒】の解毒には【下位状態回復】の魔法が有効だが、回復できる者はいない。

 見ているだけでも彩葉は続けざまに二度紫に光り【レベルドレイン】を受けている。

 

 彩葉の位置はダンジョンリコールまで、あと30歩程度。

 

「みんな、気にしないで、入って――!」

 

 彩葉が切れ切れに叫ぶ。

 まだ居残っていた彩葉のチームのプレイヤーも、次々と彩葉から離れ始める。

 

(おい、ホントに離れるな)


 俺はマントを捨てて立ち上がり、姿を晒す。

 仲間からも捨てられていく彩葉を目にして、苛立ちを抑えきれなかった。

 

 糸の準備はとうに終わっている。

 

 と、そこで俺の視界の中を、ミハルネが仲間を連れて彩葉の方に駆けていく。

 ほぼ無傷の火力Aチームである。

 

(ナイスだ)


 俺は奴らを見直していた。

 今ならまだ間に合う。


 あいつらでワイトロードを……。

 

 だが次の瞬間、唖然とした。

 ミハルネたちは八方ふさがりの彩葉に気付きながらも、申し合わせたようにその横を素通りしたのだ。

 

(……!)

 

 安堵する様子を見せていた彩葉の顔に、はっきりと驚愕が浮かんだ。

 

(馬鹿な)

  

 胸で心臓がばくんばくん、と打ち始めた。

 これで彩葉は確実に、亡骸へと変わる。

 

 顔が怒りで歪んでいく。

 俺はもう人目を気にせず【死神の腕】を露わにし、全力で駆け出した。

 

「――あと5秒で起動するぞ! 急げ!」

 

 エメラルドの声は裏返っている。

 

「彩葉さん早くぅぅ――!」

 

「――彩葉さん!」

 

 皆の声に、振り向かずに頷く彩葉。

 

 その時、彩葉がワイトロードに背を向け、無理を承知で駆け出した。

 しかしそうはさせまいとばかりに、ワイトロードが無防備な背中へ襲い掛かる。

 

 一体が彩葉の背中にのしかかり、もう一体が防具の隙間にあった彩葉の上腕に噛み付き、【接敵状態】へ移行した。

 

「くっ!」

 

 一瞬の隙を見せた彩葉に三体目のワイトロードが襲いかかる。

 彩葉はよろめいて、倒されかかったのを必死で堪えた。

 

(無茶をする)

 

 俺は糸を放った。

 彩葉の最大の弱点は体重が軽いことだろう。

 すでに三体との【接敵状態】を許してしまっており、押し倒されるのは時間の問題だ。


「――きゃあぁぁ! 彩葉さん!」

 

「――頼む! 生き残っ――」

 

 仲間たちの悲痛な叫びが途切れた。

 ダンジョンリコールが発動し、そこに居たメンバーたちがひとり残らず消え去った。

 



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