第65話 崩壊


「範囲攻撃だ! 来るぞ!」

 

 誰かのうわずった声が壁に反響して、金属音のように聞こえた。

 それを聞いた仲間たちが慌てて陣形を乱し、タンクチームからさらに離れようとする。

 

 そこで俺は見た。

 銀色の仮面をした【女教皇】が、口元を歪めて嗤うのを。


 範囲攻撃じゃない、あれは――。

 俺はさっき致死毒蜘蛛デッドリィタランチュラが湧いたポイントに目を向ける。


「――違う、部下召喚だぞ! 彩葉!」

 

 エメラルドが指をさして、喉も張り裂けんばかりに叫んだ。

 

(やはり来たか)

 

 次の瞬間、湧き上がる部下の姿を見て、皆が度肝を抜かれた。

 部下はなんと2か所に湧いた。

 

 一方が致死毒蜘蛛デッドリィタランチュラ、もう一方がワイトロード。


 3匹ではなく、5匹と5体。

 さらに悪いことに、タンクチームの両隣に挟むように湧いた。

 

「………」


 エメラルドが言葉を失い、多くのプレイヤーが後ずさりする。

 

 ワイトロードは多くのプレイヤーが苦手とする魔物だ。

 レイス同様、接触するだけで【レベルドレイン】をするからだ。


 俺に言わせれば、雑魚としか言いようがないんだが。

 レベルは65でも魔法は使えず、鈍足で防御力も低いと三拍子揃っており、実に与しやすい。

 

 だがそんなことすら、ここの皆は知らないかもしれない。


「……ィィィ……」

 

 出現した部下はすべて近くにいたタンクチームに向かう。

 気付いた彩葉たちが向かってくるが、まだ遠い。


 皆に焦りが出始めたのが、ありありとわかった。

 

「た、タンクの負担が大きすぎる!」

 

 エメラルドが、それだけを叫んだ。

 

「しょうがねえ! やってやるぜえ!」

 

 一方で、ギリルは《女教皇》を引きつけながら、気合でさらに10匹の部下のターゲットを取った。

 範囲ヘイトアビリティを使ったようだ。


 重ねて【如亀】のアビリティを使ったようで、身体が薄い青色のヴェールで覆われる。移動速度を捨てるかわりに防御力加算する技である。

 

 部下モンスターはギリルが見えなくなるほど分厚く取り囲む。

 その上から、さらに《女教皇》の錫杖がギリルめがけて降り下ろされる。

 

(いい判断だ)

 

 感心した。

 仲間を守るのに一番恐ろしいが、最善の選択肢。

 普通なら臆して取り乱す所だが、あの男は場慣れしている。

 さすがはメインタンカーに選ばれるだけはある。

 

 だが回復魔法ヒールなしでHPがもつかどうか。

 持っているなら【究極防御ウルティメットディフェンス】の使い時かもしれない。

 

 ギリルを囲んでいるワイトロードに、ピシャッと返り血が飛んだ。

 

「タンクと火力Aで《女教皇》への攻撃を継続! 火力BCDで部下を排除せよ! ワイトロード優先!」

 

 エメラルドがやっとこのタイミングで、喉を絞るように叫んだ。

 

 見れば、統括チームも冷静さを失っている。

 

 無理もない。

 この状況でメインタンカーが崩壊すれば、終わったも同然である。

 

「――やべぇ、やべぇって!」

 

「――に、逃げよう!」

 

 目の前にいた支援魔法師バッファー二人が尻尾を巻いてダンジョンリコールへ駆け出した。

 

(乱れたな)


 小さく舌打ちして視線を戻した次の瞬間、覆い被さる部下モンスターの山の中から、ぱあぁっと光が溢れだした。


 続けて召喚された部下たちが押しのけられ、剣と盾を掲げたギリルが現れる。

 

 ギリルの表面には輝くヴェールがかかっており、次々と凶悪な攻撃がギリルの表面を滑り始める。

 

 盾職タンカーがもつ最後の切り札、【究極防御ウルティメットディフェンス】だ。

 ギリルはこれで移動しない限り、15秒間あらゆる攻撃を無効化する。

 

 (うまい)

 

 HPギリギリまで粘ったか。

 

「お、おお……すげぇ!」

 

 逃げた支援魔法師バッファーの二人が足を止めて、感嘆する。

 

「やった! いいぞギリル!」

 

 周りから歓声が上がる。

 

「今だ! 火力チームは総勢で部下を排除せよ!」

 

 エメラルドの声が通り始める。

 しかし。

 

「――〈上位生体回復ライフリカバリー〉 」

 

 眩いまでの光がギリルの足元から天に向かって真っ直ぐに伸びる。

 それが消え去った後も、淡い光がギリルの体をほのかに包み続ける。

 

 ギリルの傷がみるみる塞がっていく。

 

 急激に減少していたギリルのHPを見てか、同じチームの女性が反射的に魔法をとばしたのだ。

 

 HPの20%を一瞬で回復させ、さらにHPの20%を20秒かけて回復する高位の回復魔法である。

 回復職ヒーラー系職業の最終形態、大司教アークビショップが使える強力な治癒。

 

「おい、早すぎるぞ」

 

 俺は隠れていることも忘れて呟いてしまう。

 

「――馬鹿野郎、逃げろ!」

 

 俺と同じことに気づいたのか、誰かが叫んだ。

 

 その言葉が正しいことを裏付けるように、ワイトロード三体と致死毒蜘蛛デッドリィタランチュラ二匹がギリルへの攻撃をやめ、ぐるりと向きを変えた。

 

 魔物たちに睨まれた大司教アークビショップの女性の顔が引き攣るのが、ここからでもよくわかった。


(『剥がし』になる)


 俺はこれから起きる現実がまざまざと目の前に浮かび、目を覆う。

 

 この状況を『ヒールヘイトによる「剥がし」が生じた』と表現する。

 

 ヒールヘイトとは、回復魔法ヒールを受けた対象をターゲットしているモンスターがヘイト上昇を受けるというものだ。


 せっかく攻撃してるのに回復するな、というモンスター側の怒りをイメージすればわかりやすい。

 

   今はこぞってギリルを攻撃していたため、この回復行動が囲んでいた部下たちに強いヘイト上昇をきたした。


 強力な回復魔法であるほど、ヘイト上昇は著しい。

 

  ――ヘイト不安定の間は、ヒールはしない。

 誰でも知っている回復職ヒーラーの鉄則である。

 

   「い、いやあぁぁー!」

 

 女の悲鳴。

 足を踏み出した俺も、間に合わないことを知る。

 

   大司教アークビショップの女性は、向かってきた部下たちに一気に囲まれた。

 

 続く、聞くに堪えない壮絶な音。

 その足元に、赤いものが大きな地図を作るように広がっていった。

 

聖奈せいな!」

 

 ギリルは叫ぶが、【究極防御ウルティメットディフェンス】を使っているため振り向くことすらできない。


 嫌な音が辺りに響く。


 やがて聖奈を襲っていた部下たちが興味を失い、ギリルに戻り、襲い始める。

 

「うっ、うえぇぇ……」

 

 残された惨状を目にして、誰かが吐いた。

 

 見る影もなくなってしまった大司教アークビショップの姿。

 彼女の使っていた美しい装飾のメイスが、おびただしい血に塗れて、亡骸のそばに横たわっていた。

 

「――聖奈ぁぁ! ちくしょう! 死んじまったぁぁぁぁ――!」

 

 ギリルが《女教皇》に向き合ったまま怒り狂う。

 そこに先ほどまでの落ち着いた様子はなかった。

 

「馬鹿が! やばくなったら見捨てろっつっただろうがぁ――!」

 

 ギリルは涙声で絶叫している。

 

「ギリル! 今はダメだ! 集中しろ。お前がメインタンカーなんだぞ!」

 

 いつの間にかギリルの傍にいたミハルネが、【女教皇】に向き合いながら叫んだ。

 

(聖奈とギリルは……)

 

 俺はさっき耳にした支援魔法師バッファーの話を思い出していた。

 

 聖奈という人もギリル同様、疲弊した状態で臨んだのだろうか。

 大司教アークビショップほどの熟練者でも、愛しい人の危機には冷静ではいられなかったか。

 

「この野郎! てめえらなんかになんで聖奈が……! うおおぁぁ!」

 

 ギリルが急に奇声を上げて剣を振り回し、自ら【究極防御ウルティメットディフェンス】を解除してしまった。

 ここで火力チームのタンカーがたどり着き、ヘイトで部下を引き始める。

 

 火力Dチームの彩葉が率先してワイトロードを引き、残りの火力BとCチームが致死毒蜘蛛デッドリィタランチュラにとりかかる。

 

 その様子を見て俺は首を傾げた。

 ワイトロードが優先されていない。

 

「――各自、撤退準備!!」

 

 エメラルドの迷いのない声が室内に響く。

 

 英断だと思った。

 女教皇のHPはおそらく残り20%程度と推測され、もう少し押せれば勝てそうな気はする。

 

 だが『二種部下召喚』の対策をとれていないことが問題だ。


 しかも『二種部下召喚』はこれで終わりではないだろう。


 繰り返された時に、彼らではすぐ対応できるとは思えない。

 さらにメインタンカーのギリルが、仲間の死亡で精神不安定になっている。

 

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