第63話 アルカナボス戦の幕開け


「よし、行こう」

 

 俺は奥の方の転移ゲートに侵入した。

 肌に感じる温かい水の中の感覚とともに、眼を開けていられないほどの強い光に包まれる。

 数秒後に転移を完了し、俺はダンジョン内に足を踏み入れた。


そこは明るかった。

 不思議と空気は澄んでおり、まるで外界のようである。

 

 水のせせらぎが聞こえ、見ると右手に小さな滝を作っている人工的な池がある。

 オレンジ色の魔法の明かりが手の届かない高さに数多く備え付けられ、黒光りする石畳をゆらゆらと照らしている。

 

 予想していた通り、俺の背後には階段があり、目の前は細い一本道になっていた。

 意匠を凝らした石壁の作りや気品のある灯りも、死神のアルカナダンジョンによく似ている。

 

(よし、地下六階っぽいな)

 

 俺は水を補充しながら小さく笑みを浮かべた。

 

 地下六階は構造が至ってシンプルだ。

 転移した目の前の階段の踊り場からまっすぐ進むと、ひょうたんを切ったような形で並んだ前室と本室がある。

 

 視界の中には誰もいないが、【上位索敵】では前室に30を超える存在が確認できる。

 

 前室にそっと近づいていくと、良く通る女性の声がした。

 俺は前室の入り口の陰に隠れ、静かに聞き耳を立てる。

 何かを説明しているような口調だった。

 

 少なくともプレイヤーたちが生きていることに、俺は安堵した。

 

「――統括チームの指揮に従ってください。撤退の指示が出た場合、起動中のダンジョンリコールに飛び込んでください」

 

 前室には一度倒すと再出現しない中ボス級モンスターがいたはずだ。

これの排除に成功すると、2つ目のバイパスゲートが開くことになる。


つまり彼らは中ボス討伐に成功し、そこを休憩スペースに変えたということだ。

 

「【女教皇】は現在までに三種類の攻撃が確認されています。単体雷撃攻撃、範囲スリープ、範囲物理攻撃です。このすべてをタンクチームが請け負う形になります。火力チームは範囲物理攻撃の際に巻き込まれないよう、位置取りに注意してください」

 

(ちょうどこれから【女教皇】に挑むのか)

 

 日没まで待ったので終わっているかと思ったが、タイミングはこの上ない。

 

  「【女教皇】は一定のタイミングで部下の致死毒蜘蛛デッドリィタランチュラを三匹召喚します。出現場所が決まっているので、火力Dチームはボスへの攻撃に加え、部下湧きには最優先で処理をお願いします」

 

致死毒蜘蛛デッドリィタランチュラ……!)

 

 胸が高鳴った。

 致死毒蜘蛛デッドリィタランチュラはレベル65で毒蜘蛛族の最上位に君臨する。

 物理攻撃の高さもさることながら、恐れるべきは何と言っても毒。

 

 糸武器が得られる可能性があり、つくづく狩りたいと思っていたが、『ザサハラ』という砂漠の中で、とりわけ『砂地獄』が頻発するエリアに出現するため、遠くから眺めることしかできなかった。

 

 できれば戦いのあとで亡骸にアクセスして、こっそり糸を頂戴したいところだ。

 

「――未確認事項として、【女教皇】のHPが三分の一を切った際に新たに見せる攻撃があります。今回はそれの確認、可能ならそのまま撃破を考えています」

 

 撃破という言葉に、仲間から歓声が上がる。

 

「本日のメインタンカーはギリルさんです。腕は折り紙付きですが、今回初回となりますので、ヘイトを乱さないようご協力をお願いします。以上。質問なければ支援魔法開始。それの終了を待って突入します」

 

 統括しているらしい女性の声が聞こえなくなり、そばで支援魔法の詠唱が始まった。

 

「アルドア・ブルーム・ラクサート 彼の者に聖なる鎧の加護を授けよ」

 

 複数のバッファーによる様々な支援魔法が付与される。

 俺が知らない詠唱もあったので、それなりの使い手が同行しているのかもしれない。

 

 数分してその詠唱も聞こえなくなった。

 踊り場からこっそり覗くと、【女教皇】がいる本室へプレイヤーたちが急ぎ足で移動していくのが見えた。

 

 皆にもう会話はなかった。

 金属鎧の立てる音、靴が石畳を鳴らすカツカツという音だけが聞こえ、極度に張り詰めた緊張感が痛いほどに伝わってきた。

 

(当たり前だ。デスゲーム化しているのだから)

 

 人がいなくなったのを見計らい、俺は急いで前室の内部を駆け抜け、本室の入り口手前で立ち止まり、そっと覗き込む。

 

 ボス部屋では攻撃を開始した瞬間、入り口に光の壁が出現して部屋への出入りが一切できなくなる。

 その前に入らなければならない。

 

 これはボスに対するゾンビアタックを禁止するためのものである。

 ゾンビアタックとは、死亡したプレイヤーがバイパスゲートを利用して神風特攻を繰り返して削り続ける攻撃のことである。


(あれか)

 

 中央には【女教皇】らしいモンスターが仁王立ちしており、皆はそちらに注目している。

 

(今しかない)

 

 俺は呼吸を止め、足早に本室に侵入した。

 

 壁に沿って進み、大きめの壁の凹凸を見つけるとそこへ体を押し込み、漆黒の「風切りのマント」で目から下を覆った。


詩織のように【忍び足】や【姿隠し】のアビリティはないので、心臓をバクバクさせながらの侵入だったが、見る限り、うまくいったようだ。

 

 大きく息を吐きながら、全体を見渡す。

 

 アルカナボス【女教皇】は四メートルほどの背丈をしていた。

全身が鉄でできているような銀色で、肌と髪には光沢があり、眼も唇も彫像のように同じ色をしている。


裾の長い白の衣を身に纏い、右手には銀色の錫杖を持っている。

 

 攻撃隊を形成するプレイヤーはチーム分けされており、5人ひとチームで6チームある。


 魚鱗の陣に近い形を作り、タンクを担当するチーム一つ、火力担当と思われるチーム四つ、そして少し離れているチーム一つに分かれているようだ。


一番後ろが言っていた統括チームなのかもしれない。

俺は火力ABCDで呼び合っているチームを覚え込んだ。

 

火力Aに蒼鎧の男が混ざっている。ミハルネだ。

 

  「タンクチーム開始ー!」

 

 先ほど説明していた声だった。

 

 彼女が統括リーダーのようだ。

 薄緑の髪は男のように刈り上げられ、前髪はリーゼントにしていて、クールな印象を受ける。

 

 顔は全体的に彫りが浅く、眼が細く釣り上がっていて狐を連想させる。

 赤のチャイナドレスのようなローブは、確かS級装備だった。

 

 名はエメラルド。

 

「おおおぉ!」

 

 タンクチームで呼ばれた者のうち、ひとりが鎧を鳴らしながら駆け寄って近づき、攻撃アビリティから入ってヘイト稼ぎを開始した。


 彼がメインタンカーのギリルらしい。

 まずはターゲットを安定させる作業のようで、この時間、他のプレイヤーたちは沈黙を守っている。

 

「わくわくするな」

 

「ああ、今回はうまくいくんじゃないかと思ってるよ」

 

 近くで声がした。

 二人は俺の目の前を素通りし、少し離れた所からダンジョンリコールを起動し始めた。

 

 見ていると30秒毎だろうか、時間を決めて次々と起動しているようだ。

ダンジョンリコールはちょうど5分で発動するため、緊急離脱できるようにしているのだろう。


使わなかったものは五金貨の大損なのだが、大勢の命には代えられない、といったところか。

 

「ギリルさん、いきなりメインタンカーに抜擢ってすげえよなあ」

 

「ああ見えてもギリルさん、今日は徹夜明けらしいぜ」

 

「……え? マジで?」

 

「来週、聖奈と挙式なんだってよ。それで二人とも準備に追われて、ここのところほとんど寝れてないらしいぜ。白い押花が挟まった招待状だったろ?」

 

「アッハッハ! 誘われてねえよ」

 

 二人組が談笑している。どうやら支援魔法バッファー系職業のようで、もう役目が終わっているようだ。

 

 視線を戻すとギリルが一人、【女教皇】に挑んで黙々とヘイトを稼いでいる。

 

 ヘイト値は一定以上となるとターゲットが固定された状態となり、魔物はしばらく他の対象を見向きもしなくなる。これをタゲ安定と言う。


タンカーがこの状態になって初めて、火力職アタッカー回復職ヒーラーが動き始めることができる。

 

 ちなみにこのタゲ安定はそのモンスターのそばにいる限り半永久的に継続する。この状態を離脱するためにはモンスターから距離を取るしかない。

 

待つこと12秒程度、エメラルドが手をあげ合図が入った。

 

「――火力チーム開始!」

 

「うおおぉぉ! いっけぇー!」

 

 エメラルドの力強い声とともに、一斉に火力チームらしいプレイヤーが殺到し、攻撃を開始した。

 

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